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『SF考証とは何か』第1章

連載にあたって

今ぼくは小説家+SF考証をしていまして、小説家については──本当は複雑ではありますが──いちおうすぐにわかってもらえる一方、〈SF考証〉については一言二言以上の説明を要する状況にしばしば遭遇します。また、ぼく自身も日々理解が更新している状況でもあります。それはSF考証のみならず、SFや小説あるいは芸術について知る過程にもなっています。

ということで本連載では「SF考証とは何か」に最終章で答えることを目的に、ひとまずは〈SF考証〉にまつわるあれこれを思いつくまま書いていきます。できればいずれは本にまとめられるように。

さて、〈SF考証〉を無定義語として進めるのも──面白そうですけど──WikipediaにもSF考証の項目もあることですし、いったん現時点でのぼくの答えを一行にまとめると、
「主にアニメやゲームにおいて、作品のSF性を構築するスタッフ」
くらいが妥当であるように思えます。

上記、超ふんわりした定義/説明なので、当たらずとも遠からずな説明になってはいますが、連載が進むにつれて、どんどんキュッとした定義にできれば良いなと。

初回テーマ

そして初回テーマは「SF考証と小説執筆の関係性」です。

そのテーマにたどり着くため、もうちょっとだけSF考証の情報を膨らませておきます。SF考証は上記の定義のように、アニメやゲームのスタッフの一員として、作品のSF性を構築していくわけですが、それは実際には大きく以下の二つの方向で進められます。〈考証=案+検〉という、言葉遊び的ではありますが、そんなに実態と離れてはいません。少なくともぼくがSF考証する場合は①と②を、ほぼ同量、同時間しています。

①〈考案系〉新規アイデアを考えます。
こちらは企画立ち上げ時点から参加して〈作品のテーマや方向性〉を考案することもあれば、企画が進んで〈作中アイデアの仕組みやネーミング〉を考案することもあります。面白いもの新しいもの見たこともないものを思いつくことが本質です。

②〈検証系〉設定の整合性を考えます。
こちらの立場でも企画立ち上げ時点から要請されることはあり、中心的なアイデアがSF的に面白いのか新しいのか、あるいはゲームへの実装との整合性など、検証していきます。作品制作が進むにつれ、脚本や各種美術設定についても検証/監修を担当します。

考案と検証の相補性

①〈考案系〉と②〈検証系〉は互いに補い合っています。量子力学における〈波と粒子の相補性〉のように、波と思っていたら粒子だったり、ということです。

〈考案〉は閃き重視ではありますが、科学的事実や作品世界との整合性は必須であり、作品内ロジックを検証していて、そこから必然的にアイデアが出てくることは多々あります。また、手がかりを求めて文献調査や取材することは珍しくありません。

〈検証〉とはたとえば過去や未来の自分を撮影できる写真館の設定を考える案件があったとすると、現実の写真館について調べるのは当然として、と同時に、たとえば電力を大量に使うから一枚でも高額になる、といったことを想像する必要はあります。

そして小説との関係性

以上のような〈考案〉〈検証〉は、ぼくのもう一つの生業である〈小説執筆〉においても常に繰り返される行為です。

〈執筆〉には独特の論理があり、〈執筆〉=〈考案〉+〈検証〉という公式は成り立たないのですが、とはいえ小説執筆とSF考証は非常に似ています。

類似点

似ている部分の多くは、小説もアニメもゲームも〈物語芸術〉であるという事実に根ざしているように思われます。もう少しハードSF的に言うと、作品にはすべて作品内論理があり、その論理の〈展開と確認〉は、SF考証の〈考案と検証〉に似ているのです。

ちなみに個人的には、作品内論理は極めて自由性が高い、例外規則の多いものだと感じています。論理回路や電子回路とのアナロジーは楽しいのでそういう短編はあっても良いかもです。アナロジー、類比はSF考証でよく使われるようなと付記しつつ。

相違点

小説執筆とSF考証の違いは非常に多く、その理由も多様です。
今後連載を重ねる中で、きっと色々なことが明らかになると思いますが、ひとまずわかりやすい違いは作業に携わる人数でしょう。

〈小説執筆〉が編集さんとの打ち合わせ以外一人で進める作業であるのに対して、〈SF考証〉はアニメにしろゲームにしろ数十人から数百人の規模になります。
(※出版まで考えると小説もより多くのスタッフの皆様との作業になりますが、ひとまず今回は執筆に限定して。)

一人での作業はSF考証にもあります。大掛かりな設定やネーミングの案出しは、次回の──多くは2週間後の──打ち合わせまでに提出となることが多いです。

ただ、すでに出てきているように、SF考証の仕事は各種打ち合わせにおいて、その場で意見を言うことが重要です。

たとえば「このロボットは宇宙で動きますか」という質問に対しては、上に出てきた①考案系と②検証系、二通りの返答がありえます。
①考案系は、まさにその場で設定を新たに作るパターンです。基本的には監督たちと相談しながら、ではそういう設定にしましょう、と決めていきます。
②検証系では、科学的な観点とこれまでに作られてきた世界観設定から、必然的にそうなる他ないという結論を提案します。

③のパターンとしては、「動かしたい」というストーリー的要請が出ることもあり、そういうときは設定から変えることもあります。
ただ、アニメやゲームの場合、スタッフの人数が多く、それはつまり工程が多いからですが、後からの修正にはそれなりのカロリーが必要で──小説においても、執筆でも出版段階でも──直せることと直せないことはあります。

ということで必要なカロリーないしコストは違うものの、修正という観点においても、小説執筆とSF考証は似ているということに。

今回のオチ:SF考証とSFの〈ジャンル横断性〉について

小説・アニメ・ゲームはすべて芸術であり、それはひとまず〈ジャンル〉や〈メディア〉という言葉で分類され、「執筆とSF考証の類似点も相違点も、ジャンル/メディア特性によって説明される」的なことを言いたくなりましたが、思えばSFというこの謎の存在/作用は、およそどんなジャンルもSF化するのであって、となれば、その全ジャンルの芸術にSF考証もまた存在しうるのではないかと。

なお、より強い命題〈森羅万象はSF化可能であり、SF化された森羅万象へのSF考証はありうる〉も考えることができます。
こちらは、補題〈科学の対象はすべてSF化可能である〉が真ならば、成立するのではないかと。ただ科学の対象が森羅万象かどうかは議論の余地がありそうです。

話を芸術限定に戻すと、たとえばSF劇はありますから、演劇やオペラの現場にSF考証が入ることは大いにあるわけです。

そしてSF考証のご依頼は、上の議論のように、全ジャンル、芸術以外でも随時受け付けております。ご連絡はTwitterのDM▷https://twitter.com/7u7a_TAKASHIMAにお気軽にどうぞです!

では今回の最後として〈芸術以外のSF考証〉について触れておきます。
そういえばここまで全然書いていませんでしたが、SFは〈科学〉と〈芸術〉という2枚の幕/膜のあいだに存在するものであり、当然〈科学〉との相性は良いのです。
科学的な方向性で、最近たとえば次のようなセッションにもSF考証として登壇しています。

ただいま様々な業種の企業さまと、SF考証として、新規事業の企画を進めています。こちらは──昨今あちこちで議論されている〈SFプロトタイピング〉にも類する、ただもう少し別の言葉がありうるような──新しいSF/新しいSF考証の展開のようにも感じています。
かつての大阪万博で小松左京さんが関わっていく流れは小松さんの『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』(新潮文庫)にあるように非常に面白くリアルタイムで大変勉強になります。

本日から始まる「SF考証とは何か」を追い求める本連載では、歴史調査と実地調査をからめながら──SFの本来性からして──きっとより広く深い射程で世界の真相に触れられると思っております。ぜひしばらくお付き合いくださいませ。

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