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新作の企画書を〈循環〉的に書くことについて

今2021/06/26まさに新作の企画書を複数書いていて、もう書き終えないといけない案件もありつつ、ちょっとメタなレベルで企画書とは何かを考えたい、そういうことを考えながら企画書を書こう、ということで今回のテーマは〈企画書〉、そして〈企画の立ち上げ〉です! しかし循環とは。

この記事のモチベーションの一部

かつて結構長い時間、新人賞に応募を続けていて、そのときはプロット/全体構成はそれなりに書いていたものの、それはホントにいきなり小説の構造を書き下そうとするもので、今思うと、もう少しメタレベル的な〈企画書〉を書いておくと良かったのではないかと今さらながら思ったりしています。なので、この記事はかつてのぼくのように書いている人にとってはいくばくかは参考になるかもしれません。そうなったとしたらそれはとてもうれしいことです。

企画書に何を書くか

さて、通例ぼくは企画書に〈①作品概要〉〈②執筆時期〉〈③全体構成〉を書きます。
②執筆時期=いつまでに書けるのかは、出版時期ともかかわるので、正確なスケジュール感覚が求められるところです。ただこれは超大きいテーマなのでまたの機会に。
④タイトル案を書き添えることもありますが、タイトルの案すら全然思いついていないこともあって、ここはまちまちです。タイトルだけ決まっているパターンだってあるはずですが、ぼくはこれまでないかも。基本的には原稿完成近くで決めます(〈『エンタングル:ガール』に連なる完全新作姉妹編〉を今書いていまして、そのタイトルは企画段階で決まりました。ただいま本編鋭意執筆中です!)

①作品概要

さてさて、この〈①作品概要〉こそが企画書の根幹であり、企画書冒頭に一行ないし二行で作品について明確に示したいところです。ここが数行なのか数ページなのかはなかなか議論が分かれるところだと思いますが、今日現在のぼくは、まずは数行でまとめたいと考えています。〈③全体構成〉を一部含みつつ、それよりはもう少しメタレベルの、で、結局これは何が面白い小説なのか、を書くところです。

⓪企画の周縁部

いきなり企画の根幹〈①概要〉が書ければ、そもそもこういう記事も書いていないわけでして、「新作を書こう」と思ってからの長い長い時間、思考は①概要の〈⓪周縁部〉にあって、SFミステリが書きたい的な希望だったり、あるいは取り入れたい数理的な概念や思いついたラストシーンの言葉だったりします。これらは一般すぎたり特殊すぎたり/抽象すぎたり具体すぎたり、企画にとって最適な抽象度/最適な一般性から外れているのです。このような想念的なものは、いずれにしろあくまでも企画の素材であり、つまり周縁で、これだけでは企画としても小説としてもまとまっていない、ふわふわとしたものです。
この周縁部でうろうろすることは結構楽しい時間で、アイデアを闇雲に増やしたり、一部書きたいところを書いたりして、さらに企画書の完成から遠ざかっていくこともあって、そろそろ企画の根幹にたどりつきたいところです。

部分と全体の〈解釈学的循環〉を思い出しつつ

たとえば物語を理解するとき、部分を理解するためには全体が理解できていなければならないし、全体を理解するためには部分が理解できていなければならない──〈解釈学的循環〉と呼ばれるものがぼくはすきで、今回も援用しようと思います。
企画の根幹をまるっと把握するためには、一般的なジャンルを決めるだけでは不十分で、特殊な場面を書くだけでも不十分です。これは言い換えると、企画書の根幹が一般と特殊の中間地点にある、ということに他なりません(たぶん)。
ここで、ならばということでいきなり作品を完成させてしまっても、それはそれで、企画の根幹を掴んでいないので、多くの場合、なかなか良いものにはならない気がしています。
──おそらく重要なのは〈循環〉なのではないか、〈循環〉に違いない、〈循環〉すれば企画書が書ける、というのが本記事で提案する、現時点のぼくの仮説です。

循環する企画書執筆

つまりいきなり原稿執筆を始めるでもなく、企画書以前の空想に耽溺するでもなく、そのあいだを循環/行き来することを目指してみたいのです。
実はすでにここまででぼく自身/この記事自体、〈循環〉しつつあります──企画書を書くという〈実践〉のためには、これまでに書いてきたような〈理論〉的理解が必要で、その逆も同様です。
科学において、理論/実践(理論/実験)は典型的循環であり、理論と実践の行き来──〈循環〉によって科学は発展していきます。

たとえば『ランドスケープと夏の定理』

こちらは第5回創元SF短編賞受賞作であり、ぼくのデビュー作です。それ以前にはあまり意識しなかった〈企画書〉的なもの、〈①作品概要〉を執筆前に準備した初めての作品でもあります。だからデビューできたかどうかは謎ということで。
そのときの〈①作品概要〉とは、弟と妹に分裂した弟を姉が別の宇宙を使って救う数学SF、といったものだったと思います。数学SF/物理SF/数理SF/理論SFは今でもぼくの小説上のテーマのひとつです。
そういうことを少なくともその前の数年間は考えていて、その時間によって略称ラン夏の〈①概要〉を思いついたのかもしれませんが、今ここで考えているのは、それをもう少しシステマチックに作り出したい、ということです。

企画書の根幹に書くもの

上に書いたように、「ランドスケープと夏の定理」執筆前の企画時には、登場人物とジャンルについて、ある程度は深堀り/把握していたことになります。
いつも登場人物やジャンルが重要、ということではないと確信しているのですが、とはいえ小説が何かについて書かれる言語芸術である以上は、何かが何らかの一貫性の元で語られるはずで、それは〈登場人物〉と〈ジャンル〉なのだ、と言い切ることは、たまには大切なようにも思います。
ただ、もっともっと重要なことがあります。冒頭に書きました企画の〈⓪周縁部〉でふわふわと考えているとき、それは当然、登場人物のあれこれやもろもろのジャンルを空想しているはずで、しかしそれは企画書の根幹=〈①作品概要〉にはならなかったのです。
つまり空想される〈⓪周縁部〉から、現実に作品になる〈①作品概要〉を作り出す/掬い出す工程が必要になるのです。しかし〈周縁と作品の違い〉とは──どうも初めに戻ってしまった、〈循環〉してしまっているみたいです。

今回のオチ:〈循環〉が生み出すもの

オチのオチを書いてしまいますが、〈周縁と作品の違い〉とは〈作品とのつながり〉のことであろうと現時点では推測しています。
人物の属性をいくら集めても──おそらく人物にもならないでしょうし──作品の周縁部からいつまでも抜け出せません。登場人物は登場する作品のなかで人物になるからです。一般的なジャンルを決めるだけではまったく不十分、というかそれだけではほとんど書き出すことはできず、①作品概要や③全体構成を作りながらその作品のジャンルが自然と決まっていく方向性も必要なのです。
様々な空想/無数の周縁情報に対して、作品そのものとの〈連帯〉、作品そのものへ向かう指向性を付与するべきなのです。ちなみに連帯はぼくがすきな哲学者リチャード・ローティの概念です。
登場人物がどのような世界でどう感じ、どう動くのか、そしてそれはどのように面白いのか。その明確化のためには、〈概要と構成のあいだの循環〉〈周縁情報と作品自体の連帯〉が手がかりになる──オチとしては悪くない気がします。

追伸

以上の考察は今まさにぼくが企画書を書かないとならないこの週末の思考を書き写した、いわば日記みたいなものです。日記の効能なのか、少しは考えがまとまった気分にはなっています。
超面白い企画が思いつければ、このような日記あるいは仮説をつらつらと書く必要もないわけですが、もしかすると、どこかの誰かのいつかのタイミングにおいては、この記事が奇跡のように役立つかもと空想しつつ、そろそろ追伸も終わりです。
このようなメタレベルの議論をすることは小説でもアニメでもゲームでもあります。担当編集さんやスタッフ同士で話すわけで、そのときはすでに作品は動いていて、その作品をネタにしながら、メタレベルの議論──作品論というよりは創作論を議論することになります。それ自体は作品作りにおけるほんのワンシーンではありますが、なかなか楽しい時間でもあります。たいていみんな忙しいので、作品そのものにすぐ戻ってしまうのですけれど。
──なので、ということでもないですが、小説やアニメの現場が超面白いことは明らかなので企画した新作小説はすでにSF考証SF《いであとぴこまむ》シリーズとして動いていて、その第一作が「配信世界のイデアたち」です。

ただいま長編版を鋭意執筆中の《いであとぴこまむ》は、アニメ会社に勤務する新人SF考証である〈いであ〉と〈ぴこまむ〉のふたりが活躍するお仕事小説です。今回の記事のような議論をしつつ、アニメ作りを通して、ふたりは泣いたり笑ったりしながら立派なSF考証になっていく、はず。こちらもぜひご期待くださいませ。では今回は以上ですー

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