ローマのバス・ヴァイオリン II 〜 コレッリ
はじめに
既報の通り、17世紀前半のローマを代表する作曲家/チェリスト「コスタンツィ/チェロ・ソナタ集」がコジマ録音より絶賛発売中です!
朝日新聞のfor your Collection クラシック音楽でも推薦盤!
リリースに関するnoteはこちらです。
https://note.com/takashikaketa/n/na8e5db6d5bec
CD「コスタンツィ/チェロ・ソナタ集」発売!
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懸田貴嗣/コスタンツィ チェロ・ソナタ集
というわけで、ローマの作曲家コスタンツィのチェロ・ソナタ集のリリースをきねんした連続シリーズ、今回のテーマは「ローマのバス・ヴァイオリン」の話、第2回目です。
「ローマのバス・ヴァイオリン」1回目の記事はこちら。
ボローニャからローマへやってきたボノンチーニとバス・ヴァイオリンを巡る話題を中心にお話しました。
ちなみに時系列から言うと、1660年代のモデナ/ボローニャの話、ローマにおけるコレッリの話、ボノンチーニの話、ナポリの話としていくのが筋なのですが、いきなりボノンチーニの話から始めてしまいました。今回はその一つ前の話、コレッリ周辺についてです。
アルカンジェロ・コレッリ(1653−1713)
前回は、モデナ/ボローニャからローマに移ったボノンチーニ(ら)とローマとナポリへの影響を概観しました。ジョヴァンニ・ボノンチーニがボローニャからローマへと移ったのは1691年のことでしたが、それより遡ること20年ほど前、同じようにボローニャからローマへと大志を抱きつつ、ヴァイオリンを抱えて旅した音楽家がいました。
その人こそが、後にヨーロッパ中に影響を与えることになる音楽家、アルカンジェロ・コレッリ。
フジニャーノ生まれのコレッリは13歳からボローニャで音楽の教育を受け、ボノンチーニと同じようにアカデミア・フィラルモニカの会員に推挙され(コレッリの場合は17歳)、ローマへとやってきたのでした。
若きコレッリの肖像はこちら。(画像は近年出版されたコレッリ研究の著作の表紙)
この特徴的な構え。そして鼻筋が通り、大きな目をした美しい顔。
早くて1671年、少なくても1675年までにはローマに移っていたコレッリは、当地に居を構えていたスウェーデン女王クリスティーナ、その後パンフィーリ枢機卿、オットボーニ枢機卿という強力な庇護の元で、あれよあれよと言うまにローマで名声を築き、弟子達や相棒フォルナーリとともに”Bolognese”ボローニャ派が形成されます。
ということで、今回はついにそのコレッリが過ごしたローマのバス・ヴァイオリン事情に入っていきましょう。
La Via 「コレッリの時代におけるローマのヴィオローネとチェロ」
まずはローマのバス・ヴァイオリンについて語る場合に避けては通れない、「コレッリ研究 STUDI CORELLIANI IV」に掲載されたStefano La Viaの論文(1994)をざっと見ていきましょう。原文は40ページほどあるイタリア語論文です。
タイトルは、
「コレッリの時代におけるローマのヴィオローネとチェロ 用語法、楽器学的モデル、演奏技法」
« VIOLONE» E « VIOLONCELLO» A ROMA AL TEMPO DI CORELLI
TERMINOLOGIA, MODELLI ORGANOLOGICI, TECNICHE ESECUTIVE
まず論文冒頭から。
ローマにおいては、主に8フィートのバス・ヴァイオリンを意味する「ヴィオローネ」から「ヴィオロンチェロ」への名称が決定的に変更していくのは1720年代です。モデナ/ボローニャの1670年代、ナポリの1710年前後のと比べると、ローマは流行に遅れをとっているように思われます。これは何を意味するのか。
またコレッリの作品5(1700)の図版にあるものは、どのような楽器なのだろう?
(下図右下のバス・ヴァイオリンをご覧あれ)
コレッリの1680年代から1700年までの作品1〜5で指示された「ヴィオローネ」、1714年の没後出版であるコンチェルト・グロッソ作品6のコンチェルティーノ「ヴィオロンチェロ」は、どんな楽器なのでしょうか。
ヴィオローネ Violone とは
まず「ヴィオローネ Violone」について。
元々はガンバ属だろうがなんだろうが弦楽器全般を指す「ヴィオラ Viola」に、大きい意味の接尾拡大辞「one」がついて、Viol-one ヴィオローネ。つまりは、大きなヴィオラ、という意味です。大きいヴィオラ、なのでもちろんそれは低音弦楽器を意味します。どのくらい大きいかは非常に曖昧です。
ヴィオローネ Violoneという語自体は16世紀から記録に現れるようですが、17世紀イタリアに限定した場合の「ヴィオローネ」が指示している楽器を一言で正確に説明することは困難です。
そして、イタリアではボローニャにおいてまず「ヴィオローネ」が、より近代的な「ヴィオロンチェロ」という言葉に取って代わられていくという現象が起こります。この移行時、何が起こっていたのか?
その変化を探ることで、ヴィオローネの意味するところも見えてくるのではないか?
ということで「ヴィオローネからヴィオロンチェロ呼称移行問題」についてある程度知る必要がここで生じるわけです。
Bonta ボンタ論文とは
というわけで、La Viaは、ここでチェリストであれば必須の論文であるS.Bontaの主張を要約してくれます。以下、5分でわかるBonta。
バス・ヴァイオリンに必要な低音を出すには、弦の太さ、密度と長さが必要なわけですが17世紀前半のプレーンのガット弦では限界があります。そう、その頃はヴァイオリン属楽器の弦は全て裸ガットの弦でした。きつく撚ったハイツイスト、複数本をロープ状に撚ったヴェニスタイプ、質量を増やすために金属粉をが混ぜられたローデッドガットなど、いろいろな工夫は行われていました。
楽器を大きく、つまり弦を長くすればもちろん低音は出ますが、弦長が長すぎると発音と操作性の問題があり、そのバランスを見極めなければなりません。
このタイプの主な欠点は、扱いにくさに加えて、低音弦(プレーンガットなので、特に太い)については、張力ー長さー密度のバランスが悪く、音質が満足できるものではなかったのでしょう。たとえば低い音を出すために弦の密度と長さが十分でない場合、張力は伸びたパンツのゴムのようになる。そんな弦を弾いたときの音や感触を想像してください。
この問題は、まず駒を楽器の下側に移動し、弦の「振動長」を大きくすることで解決してしまったといいます。現代では駒はほぼ決まった位置にいるので、今の感覚からすると、そんなことするなんてWow大胆!ヴィオローネの進化と17世紀前半の成功は、この解決策に関連している、とBonta博士は言っています。
もう一つの方向性として、作曲家がバス・ヴァイオリンに求める要求の変化です。それが楽器が変わってきたことによるのか、音楽の趣味が変わってきたのかははっきりとはわかりません。きっと相互に影響し合っているのではないでしょうか。
しかし、どう工夫しても限度を超えた小型化は、当初ほとんど成功しませんでした。
ヴィオロンチェロ Violoncello の誕生
そこに革新的な発明が生まれたのです。
ガットに銀線を巻く技術が開発されたことで、弦の直径を増やしたり、長くすることなしに、弦の密度を高めることで必要な低音が出るようになった。弦を短くできたことで、楽器を小さくすることが可能になったのです。
金属巻弦技術の発明により、初めてバス・ヴァイオリンの小型化が可能となりました。
前回触れたように、ヴィオロンチェロという語が記録上初出するのは、ボローニャのサン・ペトロニオ教会のオルガニストG.C,アレスティの出版作品でした。
-celloというのは、小さいを意味する接尾辞、violone + cello = violoncello
小さくなったデカいヴィオラ、というのがヴィオロンチェロの意味。
つまり、これは上述したようなバス・ヴァイオリンの変遷過程を示しているというわけです。
その後、この変化を裏付けるように、1670年代にボローニャの公文書で同じ奏者の楽器名がヴィオローネからヴィオロンチェロに変更されるなど、バス・ヴァイオリンのヴィオロンチェロ表記が増えていきます。
ボローニャで起きた革新的な金属巻弦の発明が、楽器の小型化を実現し、それがヴィオロンチェロの誕生となった。ヴィオロンチェロは、その後ボローニャ以外への急速な普及をたどって、1740年代のパリの大流行につながる、というのがBontaのストーリーです。一言で雑に言うならば、金属巻弦がヴィオロンチェロを生んだ、です。
次の絵画(部分)はフィレンツェにある有名なガッビアーニが描いたバス・ヴァイオリン奏者サルヴェッティ Pietro Salvetti(?-1697)と楽器(1685年頃)ですが、最低弦だけが明らかに色が違う!これは一般的になって間もない金属巻線の図像資料として適切な例でしょう。
もう一つ、ボンタ論文でなにげに言っているが、注目すべき主張はこちら。
現代ではヴィローネといえばほぼガンバ属の16フィート、または8フィートのGヴィオローネの意味で使われることが多いですが、ボンタは「17世紀のイタリアでヴィオローネといえばヴァイオリン属にほぼ決まっている」と言っています。
しかし、La Viaは、ちょ待てよ、と。
ローマはもっと複雑だ、そんな単純な話じゃないんだ、ってことでしょうか。
とBontaの先行研究を紹介したところで本論へと進んでいきます。
ということで、続きは次回。
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