❨603❩1973.4.25.水.晴/ただいま勉強中/サント・ドミンゴ:ドミニカ共和国
三度目の手紙をスーザンに出した。
町を歩くと、必ずどこからともなく「チノ」 と声がとんで来る。中国人を軽蔑した云い方なのだ。
たいてい知らんふりして通り去るが、気分の悪い時、大人に云われると、そばまで寄って行って、
「俺は 日本人だ Yo say Japanes!」
とにらみすえてやる。
ほとんどの奴が驚いて、おじょうず笑いでごまかそうとする。
ペドロは昨日も来なかった。
読めると思っていた本が来なく、落胆の一日を過ごした。
今、宗教を考えている。やらないより、やった方がいいという。何物かを信じるという事は、重要な事である。
しかし俺は、もし信徒になったからといって、自分の善悪について問う事があろうと、決して頼ろうとは思わない。
又、御利益、功徳といったものも当てにはしまいと思う。
俺の心は、まだ弱く動かされやすい。
が、俺は99%まで自分を頼り、活かす事に尽くすつもりだ。
あとの1%は、運である。
「神・仏は尊ぶべきであり 頼るべからず」
指導者たるべき者、その地位に多少なりとも 溺れる事はさけるべし。
しかし、その責任義務は一時たりとも忘れることべからず。
ある時は高い所から、ある時は低い所より、又、同じ地位よりと、常に見る事を怠るべからず。
高くあるべき時・低くあるべき時・同等であるべき時も、それに応じた能力がなければならない。
能力とは、見識能力・統率能力であるが、何より加味されるべき重要な点は、個人・団体に対する、あたたかく、信頼のもてる人間性である。
<指導の結果は、自分自身の表われと思うべし>