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親の「〜べき論」が子供を苦しめていると気づいた話


最近、ハッとした事を書きます。

息子は水泳をやっていて、選手として競泳をしていて、背泳ぎの選手なんです。
水泳は4泳法ある中でクロール以外は、50㍍、100㍍、200㍍の3つの距離が種目としてあります。

そして、大きな大会では12歳までは50㍍、100㍍が種目であり、
13歳以上は成長と体力が付いてくるんで、
100㍍、200㍍が種目になって来ます。

実際、全中やインターハイは100㍍、200㍍の種目しかありません。
オリンピックも100㍍、200㍍だけです。


親の「〜べき論」

だから、
親としては中学生になった今は100㍍、200㍍を頑張って欲しいなと思っていました。
高校は推薦を狙っている皮算用もあるんで、当然100㍍、200㍍共に速い方が目に留まる可能性も高いと考えていました。

一般論の「〜べき論」と息子の得意のズレ

しかし、息子の得意は50㍍、100㍍なんです。どちらも言えば、50㍍がより得意。本人もスプリンターを公言しています。逆に200㍍は苦手。苦手意識も出てしまいます。

だから、親子で会話しててもココの「〜べき論」議論が白熱し、お互い折り合わず、対立してました。

ただ、最近気づいたのです。

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親の「べき論」は子供のやる気を失うだけ

僕は世間で言う一般的な距離の100㍍、200㍍を目指せと言っていますが、これはあくまで競技者としての一般論なんですよね。
けど、息子はそれをわかった上で、自分の得意分野を伸ばし、そこで勝負し続けたいと。

つまり、親が本人の意思を尊重せず、一般論を押し付けているだけなんですよね。

これは今の時代に全く合ってない親のエゴだと気づきました。

当然息子のやる気は削がれます。

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親は子供の目指す道を一緒に応援する

世間がどうかではなく、子供が大切にしていることを応援する。そこを突き抜ける事を応援し続ける。一緒に伴走していく。
これが大切だなと考え方を改めました。

おそらくこれ以外にも自分の常識で判断していることは多いのではないかと思っています。

子供に対してもですし、仕事でも、夫婦間でも、友人関係でも。

当たり前に思っている事こそ、いま一度立ち止まって考え直したいなと思った出来事でした。

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