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留学日記 #00: 交換留学を辞退した話

こんばんは。お久しぶりです。緊急事態宣言が明けましたが、皆さんいかがお過ごしですか。大学でも、対面授業が再開され、キャンパスに賑わいが戻ってきました。ちょっと騒がしいくらいです。

今日はコロナ関連の話題で1つ。

今年の秋から行くはずだった派遣交換留学を、辞退しました。この2週間は本当にバタバタしていて、体調も崩し、多方面からの連絡や書類の提出、大学の授業の消化などが、珍しく完全に滞ってしまいました(どこかの国際政治の先生みたいですね)。多くの方々にご心配をおかけしました。

私の派遣先であるアムステルダム大学(オランダ)の場合はコロナ禍での動きがかなり複雑で、相当翻弄されました。というわけで、だいぶ疲れています笑。というのも、「取り消し」連絡が4回も重なったからです。

まず、4月下旬に、現地の大学から「受け入れの取り消し」連絡が入りました。これは異例の対応で、こんなに早い段階で中止を決定するのかと驚いたものです。「変な期待を持たせたくない」「学生の今後を考えて、早い決断をした」ということで、なるほど、学生のことを考えてくれているのかな、と思っていました。

それが、その3週間後に、「『受け入れの取り消し』の取り消し」連絡が入ったのだからびっくり仰天。どうやらオランダでもワクチン接種が開始し、ロックダウンが解除されたようで、方針を変えたのだそうです。「どっちだよ」って感じですよね。それに、まだロックダウンが解かれた程度の状況で楽観視しすぎなんじゃないか?と疑念も抱いていました。

そしてそのさらにその1週間後、今度は慶應の方から「渡航レベルが2以上の場合は原則として派遣を認めない」という指針が出ました。まあ正直ここまでは想定内でした。周りには「なんでレベル1じゃなきゃダメなんだ」「何がなんでも行きたい」と憤る学生もいましたが、私はどこか冷静で、「大学として渡航レベル3の国に派遣を認めるなんて、まあないよなあ」と思っていました。

ただ、ワクチン接種が進めば、夏ごろには渡航レベルが下がるかもしれない。それまで待ってから渡航の可否を判断するか、それとも、今の時点で辞退してしまうか、どうしよう・・・。

そうこうしているうちに、周りは就活へと舵を切り始めます。僕としては留学で渡航する可能性があるわけだから動けないし、動きようがない。というかそもそも就活したくねえ。そんな感じで、何もできない、何もしたくない、何も考えたくない、という心持ちのまま数週間を過ごしました。(まあ実際出したインターン選考も案の定立て続けに落ちました笑)

事態がややこしくなったのは、その数週間後に大学が方針を変えたからです。「ワクチン接種など、必要な条件を満たした場合は、レベル2、3の国へも渡航を認める」という、大幅な方針の変更でした。これがちょうど慶應の大学内でのワクチン接種が決定した次の日でした。

つまり、渡航レベルの引き下げを待つまでもなく、留学が可能になったわけです。周りの人は喜び、すぐさま準備を始めました。留学と関係ない人たちは、相変わらず就活の話をしている。そんな中で、何も決断ができない自分が1人取り残されたような心持ちになりました。

そして結果的には、派遣先大学の履修登録締め切り日までに申告をしないという、なんとも消極的な形で、辞退を決めました。

辞退した理由

留学を辞退した理由は、簡単に言えば「今の時期に、コロナ禍のリスクを冒してわざわざ海外に行くよりは、日本にいる方が充実した日々を送れると思った」からです。

ワクチンが普及して、今確実に良い方向へ向かってはいる。でも、今後どうなるかはまだわからない。しかも初めての留学で、何かあった時のことを考えると、得られるものよりリスクの方が大きいのではないか。そう考えました。

そして、何よりも複雑だったのは、「留学に行けないかもしれない、いや、行けない可能性の方が高いかも」と思って、日本での生活を充実させてしまっていたことでした

「充実させてしまっていた」というと語弊がありますが、今の生活は、「今わざわざ海外に行く必要ないかも」と思えるほどに充実しています。コロナ禍で大変な思いをしている人がたくさんいるなか、それはある意味で、幸せなことなのかもしれません。

・今は大学での勉強が楽しい。やっと専門の授業が取れて、履修したい授業がたくさんある。ゼミもすごく楽しい。今のところ、日本での環境には全く不満はない。

・今は部活の活動が楽しい。自分の中ではこの半年でやっと軌道に乗ってきたところ。そして、まさにこれからが本番。

・何より、日本には友人も仲間も先生もいるし、安全に暮らせる環境もある。

この繋がりを全て断ち切ってまで行きたいと思えるほど、現時点で海外への渡航は魅力的に映りませんでした。だから、留学の辞退を決断したとき、変な安心感がありました。よし、ゼミもサークルも頑張れるって。

でもそれは見方を変えたら「逃げ」でもあって、「だったらそもそもなんで申し込んだんだよ」って怒られそうですよね。行くって決めたのは自分なのに、なんで行けない自分に安心しているんだろう。そんなに甘い決意だったのかな・・・という葛藤。そのあたりが自分の中ではまだ整理できていません。このモヤモヤとはもうしばらくの間、仲良くつきあっていきたいと思っています。

そもそもなぜ留学をしようと思ったのか

そもそもの動機といえば、次の2つが大きな理由でした。

①中学時代から語学を頑張ってきて、帰国子女とも互角なレベルになった。だけど、英語圏に一度も行ったことがない。だから、長期間の留学をしてみたい。

②大学生活4年は短い。1年間留学をして、5年かけて卒業したい。

「大学生活は短い」とよく言われますが、最近はその傾向がさらに増してきています。1,2年生で基礎科目、教養科目を学び、3年生から専門科目を学ぼうと思ったら、3年秋から就活が始まる。4年生で卒論を書いて卒業。となると、まともに専門分野を勉強できるのは半年だけで、就活までの猶予は2年半!?

それじゃあやっぱり短すぎる。もっとちゃんと勉強したいし、将来のことを考える時間が欲しい。そんな思いから、学生生活を伸ばしたいな、と思うようになりました。その一つの方法が、「海外留学」だったわけです。

でも、コロナ禍の中で依然として光が見えず、わざわざ今海外に出るよりは、日本にいたほうがいいのでは?と思うようになってしまいました。さらに、「大学院進学」という、①②を同時に満たす代替案が浮上したために、一層消極的になってしまいました。

どれが正解かは、わかりません。でも考えてみれば、そもそも自分がやりたいことが何なのか、いまだによくわかっていないのです。

中学受験と大学受験と、人生を決める大きな選択を2回しましたが、その時にも、「どうしてもこれをしたい、僕にはこれしかない」というものはありませんでした。ただ、目の前にあることに全力で取り組むのは得意で、それを続けているうちに道が開けてきて、その開けた道をただ歩いてきた、という感じなのです。

だから、大学の学部を選ぶ時も、あるいは陸上やトライアスロンを始める時も、「僕はどうしてもこれがやりたいんだ!」というものはありませんでした。言い換えれば、自分が置かれた環境にうまく適応して、そこでできることをやってきた。だから、例えば「留学」というような目標を決めてまっしぐらで頑張れる方たちとは、生き方そのものが違うのかもしれません。

ゼミの仲間と話していて凄いなと思うのは、皆それぞれ大学でやりたい勉強があって、勉強を楽しんでいるということ。私のゼミは西洋外交史と国際政治学を専門としていますが、自分は戦後の日本外交について勉強したいだとか、サイバー空間の安全保障の可能性について考えたいだとか、今の世界を地政学的に捉えてみたいだとか、自分なりの問題意識をもって勉強している人が多い。いわゆる「意識高い系」ではなく、「ホントに意識高い」人たちに囲まれています。

その学問が本当に好きで、勉強したくてゼミに来て、勉強したくて授業をたくさん履修している。だから3年生になっても週に15コマ近くの授業を履修している人もそれなりにいて(自分もその1人ですが笑)、大量の課題にヒーヒー言いながらも、なんだかんだ楽しそうに頑張っています。文字通りの「学生(student)」だなあ、という感じで、いつも刺激をもらっています。

一方で僕にはこれといった問題意識はなく、とりあえず時間割に載っている授業の中から面白そうなものを選んで、いろいろな専門科目の授業を履修している。でも、いまだにやりたいことは見つかっていないし、これから先見つかるという自信もない。そんな感じなんです。

そういえば、この前「リーダーシップ基礎」という授業で自己診断があったのですが、「ビジョン」の項目は特に自己評価と他者評価が乖離していました。僕はビジョンを全然持っていないのに、周りの人は僕がビジョン持ってると思ってるみたいです。なんでなんでしょう。

先生との面談と吉田茂の話

最初に派遣の取り消しが決まった4月下旬、ちょうど担任の細谷先生との面談の順番がやってきました。1人10分の面談のはずが、後ろに誰も控えていなかったもので、気が付いたら1時間くらい話し込んでいました。留学がなくなったということで、進路の話と、ゼミの進め方の話などをしました。そこで、

もし留学をしたいということであれば、むしろ大学院に進学して、そこで1年間交換留学に出てみてはいかがですか?

と言われて、、、。

大学院か、、、。確かに、あんまり真剣に考えたことなかったけど、ありかもしれない。大学院って、どんな感じだろう。想像もつかないなあ。

でも、かといって、就職する未来もあんまり見えないんだよな。こういうところで働きたいっていうのもないし、どちらかというと今は就職より、大学の勉強が楽しい・・・。

「僕、やりたいことがまだよくわかんないし、見えてくるような気もしないんですよね」と正直な思いを伝えたら、先生は「それは私もですよ」と言って、吉田茂の話を始めました。

かの吉田茂は、28歳で外務省に入省したんだそうです。入省するにしてはかなりの年齢。しかも下から2番目の成績だったんだとか。

一方、彼と同じ年に入省した人の中で、成績がトップだったのが、のちに内閣総理大臣を務め、A級戦犯で処刑されることになる広田弘毅でした。

天職を決めるのがどんなに早くても、成績がどんなに優秀でも、戦犯として処刑されることもある。逆に、天職を決めるのがどんなに遅くても、成績がどんなに悪くても、歴史に名を残す政治家になることもある。

自分がやりたいことというものはどうやら、早く決めればそれでよい、というものではなさそうです。本当にやりたいことが決まるのは、大学を出てからかもしれないし、働き出してからかもしれない。もっとずっとずっと先のことかもしれない。それは、わからない。だから無理に決めようと思わないで、ひとまずできそうなことに手を出してみるのも、悪くないんじゃないかな。

時機を待ち、ぎゅっと抱きしめる

人生を大きく変える転換点となるのは、ほんの小さな出来事だったりするものです。あの日の経験が、あの人との出会いが、あの本と、あの言葉との出会いが、人生を180度変えてしまうことがある。それは量的には一瞬の時でありながら、質的には永遠の時でもあります。大切なのは、その「時」を見逃さず、しかと掴んでぎゅっと抱きしめることです。

「あの時こんなことを思っていたなぁ」と、自分にとって大切な経験、大切な瞬間を一つひとつしまっておけば、必要な時に必ず力をくれます。今までしまってきた記憶の結晶が輝きを放ち、「自分はこれがやりたかったのか」「自分はこういう人になりたかったのか」と気づかせてくれます。なにげない一瞬が、かけがえのない永遠に変わる瞬間です。

私の好きな旧約聖書「コヘレトの言葉」の中に、次のような一節があります。

何事においても最もふさわしい時機があり
この世の中のすべてのことには時がある。
生まれる時があれば、死ぬ時がある。
植える時があれば、植えたものを引き抜く時がある。
殺す時があれば、癒す時がある。
壊す時があれば、建てる時がある。
泣く時があれば、笑う時がある。
嘆く時があれば、踊る時がある。
石を投げる時があれば、石を集める時がある。
抱擁する時があれば、抱擁をやめる時がある。
探す時があれば、探すのをあきらめる時がある。
取り置く時があれば、捨て去る時がある。
引き裂く時があれば、縫い合わせる時がある。
沈黙を保つ時があれば、口に出して言う時がある。
愛する時があれば、憎む時がある。
戦う時があれば、平和の時がある。

日本語では「時」ですが、英語では、"For everything there is a season, and a time for every matter under heaven"となっています。すべてのことには、season(「季節」というよりも、「ふさわしい時期」くらいでしょう)があるのです。ギリシャ語で言う「カイロス;καιρός」ってやつです。

同じように、留学をするにも「時(season)」がある。少なくとも自分は、今はその時ではない、日本で頑張る時だと思ったのです。そんな自分を、今はただ信じてみたいと思います。正解はわからないから、自分の選択を答えにします。だから今はオランダには行きません。日本で頑張ります。

何より、日本には仲間がいます。クラスやゼミ、部の仲間には、いつも刺激と活力、癒しをたくさんもらっています。そんな仲間たちと残りの学生生活をともに過ごせることは、私にとって大きな喜びであり、いつも感謝の気持ちでいっぱいです。

将来のことを考えると不安はもちろんあります。でも、不安があるからこそ頑張れるのも確かです。「あの時行かない決断をしてよかった」「あの決断は間違いじゃなかった」と思えるように、これからも成長を重ねていきたいと思います。もししんどそうにしていたら、絡んであげてください笑。


と、いうわけで、明るく終われましたね!よかったよかった。

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