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2022年から、独立することにしました。
勝手に独立することはできますが「自分の足で立ち、”誰かに認められる仕事"ができる人間」になるのは、まだまだこれからだと思っています。
また、仕事も大切ですが、人としてまだまだ成長したいです。

これからをたのしみながら、一人前を目指したいと思っています。

いつも周りにいてくださる方、ありがとうございます。

この世に生まれてから、本当にたくさんの人に助けてもらって今まで生きてきました。自分でも驚くほどの”ポンコツぶり”を晒しながら、よくここまで懲りずにたくさんの人が私に手を差し伸べてくれたと思っています。みんな、どうかしてるぜ(嘘です、感謝です)

小学1年生の頃、小学校に朝着いて気づきました。異様に軽いランドセルの中身は、昨日おやつで食べたバナナの皮だけでした。
高校生の頃、好きな人にラブレターを渡したら、相手の子の名前を間違えて書いてあって、ドン引きされました。(フラれました)
会社員になって、数えきれない数の喜びと並ぶくらいの始末書やら、トラブル対応などなど、上司・同僚・後輩に山ほどご迷惑をお掛けしました。

ポンコツバナナ小僧に、親切に教科書を貸してくれた友だち。

クリティカル凡ミス野郎の大恥を、爆笑で吹っ飛ばしてくれた同級生。

どんな時も私や仲間の未来を考えて、ともにとことん付き合ってくれる先輩・後輩・会社・お客さん。

どんな時にも近くには友人や先生、先輩、後輩、お客さんがいてくれました。私が転んでも転んでも、いつも笑って背中を押してくれました。これまで歩んできた人生で「落とし穴」という「落とし穴」には、全てハマってきた自信がありますw
こんな私が2022年を無事迎えられたのも、みなさんのおかげです。(毎日感謝の気持ちでいっぱいのつもりですが)一旦節目のタイミングで皆さんに勝手にここでお礼を伝えさせてください。

「本当にありがとうござました。これから独立したら自分自身がもっと心配なので、もっとよろしくお願いしますw」


父の仕事がキッカケでした。

うちの実家は、長野県松本市にある三菱(当時印画紙や現像用薬品のメーカーとしてフジカラーなどと並ぶ1社)指定の現像所でした。現像以外にも、一応スタジオがあって七五三や成人式などの撮影をしたり。近くの学校で運動会があれば出張して、撮影した写真を学校の廊下に並べて一枚一枚注文を受けて現像する、いわゆる街の写真屋さんです。(「写真屋」というと、なぜか母親が「うちは現像所なの!」と言い張るので訂正しておきます「うちは現像所です。」)


私が中学生くらいの時に、世界はデジカメ時代へ突入しました。
それまで松本市を中心に3店舗まで拡大していましたが、瞬く間にフィルムをお店に持ってくるお客さんは減っていきました。


そこで私の父は考えた末、畑を荒らす動物(猪・鹿・猿など)を追い払う仕事をすることにしました。

狂気の沙汰かと思うような事業転換ですが、二十歳の頃から狩猟を趣味にしていた父にとって、こうした「鳥獣被害」は身近なものでした。畑に猿の群れが近づいたら畑の所有者に知らせがくる装置。電気柵。蜂の羽音を流して追い払うスピーカー。次々に新しい商品を開発していきました。

高校生の頃に、私は父に代わって商品紹介ホームページを作りました。全国農業新聞に広告も出しました。でも、微塵も売れませんでした。毎日父が実験と称して設置しにいく機器はそれなりに成果があったようで、設置先の農家さんからは喜ばれており、今でも嬉しそうに帰ってくる父の表情を思い出します。

人生で初めてプロモーションを手がけた商品は「畑を荒らす動物を追い払う装置」という奇怪なプロダクトでしたが、私の人生初となる仕事は、一切成果を産むものではありませんでした。

私がプロモーションとして初めて成功したといえるのは、高校時代に手がけた「新入生向け生徒会"補佐員"獲得プロモーション(※「補佐員」とは、生徒会を手伝ってくれる人)」。新入生を対象にしたオリエンテーションで放映した学校紹介VTR"恋愛ドラマ「愛の深志高」"は、前年比20倍の補佐員を獲得しました。おそらく自分史上一番効果的なプロモーションだったのではないかと思う。(この成果を自慢する時点で、これから先の仕事に支障をきたすかもしれないので、念の為忘れてくださいw)
「知ってさえくれれば、手を伸ばしたくなる瞬間を作れればきっと売れただろうに」という父の仕事で成果が出なくて歯がゆかったこと、学生時代の環境みたいなものが今の業界に入るきっかけになりました。

新卒から、セールスプロモーション、AD、デジタル、PRとずっと広告業界で学ばせていただきました。

そして、自分自身の発想で、意志で事業を営む「自営業」の家に生まれたことで、自分の生きる道のどこかに「独立」という選択肢が常にありました。30代最後となる年に、自分自身の意志・やり方で社会に貢献する人間になるべく「独立」という道を選ぶこととしました。

たとえば父のように「小さなアイディア」を世の中に出そうとしている方。きっと必要としてくれる人の手に届いたら喜ばれるであろう、そのアイディアを形にして届ける仕事をしたいと思っています。父の鳥獣被害に関する仕事では、今度こそ高校生時代のリベンジを果たすべく商品を形にします。

そんなことから改めて自分がしたいことを振り返って、2020年からは、誰かの大切なアイディアに”のびしろをつくる”仕事をします。

のびしろをつくる会社「株式会社shiro」

4月には今年50周年(たぶんw)を迎える父の会社を引き継ぎ、社名・定款を変えて法人としても活動ができるように準備をしていく予定です。引き続き今まで通りの広報のお仕事などもさせていただく予定ですが、とにかくたのしんで仕事を、一人だけど、少しでも誰かに、社会の役に立てるようにと思っています。

今後とも、身近にいてくださる皆さまにはご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いできればと思っています。

あ、なんか結局まじめな感じで締めてしまったけど許してくださいw
今後、このnoteでshiroの取り組みを紹介していかれればと思っています!


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