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【大人しい問題児】


人に合わせることのストレスは、自分が思っている以上に多かったことに気が付いた。まわりに迷惑をかけないように言動に注意することも同様に疲弊する。

私の場合、子供のころから人間コミュニケーションが不器用で、友達もなく一人で遊ぶことが好きな「大人しい問題児」だった。子供の頃はそれでもよかったが、社会に出てからは、一気に困難が生じた。

そこでダメになる人もいるが、私は偉かった。数多くの失敗や事件を経験しながらも、なんとかうまく立ち回る方法を探し、データとして意識的にアタマに蓄積していった。例えば、初対面の人には笑顔で挨拶する、人の話を聞くときは適度に頷くなど。そうしていまの自分が構築されたわけだが、世の中には色々な人がいる。既存データにない振舞いには毎回たじろぐ。で、その都度データを更新していく。

そんなことを延々と繰り返してきて数十年が経ったのだが、ここにきて、もうやめた!と思うことがあった。

あることで精神的に相当追い詰められて、完全自己崩壊してしまったことがあり、そこでデータベースも同時に大部分を消失してしまったからだ。しばらく様子を見ていたが、いまさら修復は難しそうだった。さらに、自分は何を怖がっていたのかわからなくなっていた。もうこうなったら、残りの人生は、かっこつけないで、元のままの自分をさらけ出してもいいや!という結論に至った。

実はこれ、ここ数年の話なんですね。
するとどうだろう。人に無理して合わせないで、自分のまんまの言動で、好きなものは好き、イヤなことにはイヤと言い、違うと思うものにはNOを言うだけ(多少は気をつけるようにしているが)で、ストレスが激減。

それで、人に嫌われれたり、迷惑になったかと言うと、まったくその逆で、共感、共鳴する人だけがまわりに集まってくれた。逆に言えば、イヤな奴、合わない人が寄らなくなってきた。仕事場でもプライベートでもノーストレス、居心地がいいではないか。

なんだ、人に嫌われることがそんなにイヤだったのか、仲間外れがそんなに怖かったのか、できる子ちゃんでいたかったのか、そのためにこんなストレス抱えていたのかとバカらしくなった。もう最初から、「大人しい問題児」+α(経験値)として自分を出しておけばよかったと思うくらい。

そんな数年を経て、いま自分は幸せなことに、本当にわかり合える人たちに囲まれるようになった。

ゆたかさって、モノや友達の数の問題じゃないし、ましてやSNSのフォロワー数や、いいね!の数など関係ない。数少なくてもわかり合える仲間がいてくれたら、もうそれでいい!って思えるようになったから。そのかわり長く付き合って、大事に大事にしていこうと思う。それだけで、いまは十分ゆたかな気持ちでいっぱいだ。

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