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読書レビュー『感染症と経営; 戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか』

「明日死ぬとしたら、今日その仕事をするか?」

スティーブ・ジョブスによる2005年のStanford Commencementスピーチには次の一節がある。とても好きな言葉だ。

毎日、今日が人生で最後の日だと思って生きれば、いつかその通りになる日が来る。

続いて「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」と毎朝、自問するよう助言している。これは比喩だ。比喩だ、というのは、たとえばある会社の全員が「明日死ぬ」と思った場合、殆どの社員は会社には行かないだろう、ということだ。家族か友人と過ごすだろう。自分ならそうする。自分の部下や同僚が同じ状況になった場合も、そのように勧めるだろう。

しかしジョブスのメッセージはもちろん「明日死ぬと思って大事な仕事をしろ」ということである。だから正確性を期すなら、こう言い換えるべきだ。

近いうちに死ぬと思って、自分が死んだとしても最大限のインパクトが残るように仕事をしろ。インパクトが残らない雑務や、脇道に囚われるな。

この場合、次のような事態が想像される。このメッセージを文字通り全員が、たとえばあなただけではなく、あなたのアシスタント、部下、上司、顧客、あなたの会社の株主、あなたの会社にお金を貸している銀行の担当者、あなたの家族、その他の全ての人々が同じように実践したらどうなるか。インパクトは残るだろうか。

言い換えれば、全員が死を意識した状況でインパクトを残す仕組みにはどんなものでありえるだろうか。コロナ危機の中で、今日、私たちは特に現実に「死」の可能性を意識することが増えている。この問題に企業経営はどのように答えるべきだろうか。

戦前日本の経営史から現代の企業経営を考える。

本書『感染症と経営; 戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか』は上記の課題を正面から取り上げている。

著者は、戦前日本という「実際に死亡率が顕著に高かった社会」を取り上げることで、今日に通じる学びを引き出そうと試みている。

「全ての歴史は現代史である」とはE. H. カーの言葉だが、まさに戦前の経営史からどのような学びを得るかは、読者がおかれた状況に依存する。

本書は戦前の企業の個別事例から現代的な意義を読み解いていく。たとえば顧客と直接関係を構築する「主婦之友社」の取り組みは今日のD2Cと比較すると面白い。労働環境の改善は多くの企業で重要なテーマだ。コロナ対策が行われていない企業を選びたい労働者は少ないだろう。あるいは外部環境が目まぐるしく変わる中で、安定株主をどのように確保するか、という課題はアクティビストが台頭する今日の株式市場においてIRへの示唆が大きい。また、会社から属人化を排除していくプロセスは、さながらベンチャー企業の上場準備のようである。

面白いのは、戦前はコンピュータもインターネットも当然なかったにも関わらず、展開されている企業活動は現在の企業社会と驚くほど似ているように見える点である。スタートアップにいると新しいジャーゴンが次々に生み出され、やれFOMOだ、Fly Wheelだ、ABMだ、いやKPBMだ、と常に追い回される。しかしそうした業界用語から一度距離を取って事業を見直すことも有益ではないかと思われる。

人生百年時代: シリコンバレーのメメント・モリ

「死」を意識することは冒頭で取り上げたスティーブ・ジョブスのスピーチをまさに引用する形でシリコンバレーで多く推奨されている。

一方で同じシリコンバレーの人々が取り組んでいることにはシンギュラリティやスーパーヒューマンに代表される「不老不死」「不治の病の克服」といったテーマも含まれる。また全世界的に人類の寿命は延びており、1950年に41歳だった人類の平均寿命は2021年には79歳になっている。

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それにも関わらず、なぜ「死」を意識することが奨励されるのか?

個人的な印象論で恐縮だが、これは会社の方の寿命が非常に短いからだと思っている。寿命が短い、とは次の1年に死ぬ可能性が高い、ということだ。会社がサバイブできるか、が極めて不確実であると言い換えてもよい。死を回避するためには、常に最もインパクトが出ることに集中しなければならない。最もインパクトを残し続け、成長し続けた企業だけが次の1年をサバイブできる、という世界観である。

これは「感染症による死の影」よりも、もっと「殲滅戦争による死の影」に近い世界観である。実際シリコンバレーでは「ブリッツスケーリング」のように企業経営をドイツの電撃戦に喩える向きもある。確かにブリッツスケーリングや、OODAループなどの議論には学ぶべきところがある。しかしドイツは結局第二次世界大戦に敗れた。中長期で持続可能なビジョンとオペレーションがなかったからだ。何よりサバイブできなかったらいなくなります、というのは顧客に対して無責任である。

死にぞこなうことを想え

死を想うことは、申し上げた通り個人的にも非常に大事だと思っているが、同時に特に経営者各位は「死にぞこなうこと」を想うことも重要だと思っている。

死にぞこなった事業を、顧客が(採算が取れないとしても)いる限りにおいて、どのように継続するか。後ろ向きだが、私の所属先である株式会社LegalForceでは事業や製品を始めるときに「この事業 / 製品は死にぞこなっても責任を取る覚悟があるか?」ということを議論する。「死にぞこなっても責任を取る」覚悟があって始める事業は、きっと「明日死ぬとしても絶対にやる」事業になると思う。

最後が急に宣伝で恐縮だが、そういうのいいな、と思った方は、当社に向いていると思うので、ぜひ一度twitterでDM等いただけるとありがたい。

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ディスクレイマー

なお、本書の著者である清水剛先生は、私の大学院時代の指導教員である。事実誤認等はないように気を付けたつもりだが、本記事が中立だとは特に思わないで欲しい。

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