青森県でのアート支援コンサルと研修②
今回の青森訪問で、ある利用者さんとの出会いが心に残りました。
だいきさん。発語はなく、かつては自身が大けがを負うほどの激しいパニックも頻繁にあり、ご本人も、事業所としても厳しい道のりを経て来たそうです。彼の体に残る傷跡からも、その苦難が偲ばれます。
彼の机の上に、〇がいくつも描かれた二枚の紙がありました。
一枚は赤のクレヨンで四つの丸。
もう一枚は数色のサインペンで六つの丸。
〇は、彼の描ける唯一の形なのだそうです。職員の方が「お手本で〇×△□の四つの形を書いた紙を見せたんですが、やっぱりぜんぶ〇になって」と説明してくれました。赤のクレヨンで描いた四つの丸は、その模写だったのです。
「人が〇を描けるようになるまでって、実はかなりの経験値と習熟が必要なんですよね。〇を描くって高度なことなんです。×や△を描くのはさらに高度で。だいきさんは20年かけて丸を描ける力を身につけたんですね。」
「すべて〇で描いていますけど、〇×△□の配置は正確に模写していますね。色も。そして、もう一枚のサインペンのほうは…もしかしたらお家の人とか、誰か人を描いてるんじゃないかな…?」
そんなことを職員の方と会話していたら、だいきさんがやおらクレヨンを取り、さっきの赤い四つの丸の下にあらたに〇を描き加え始めました。最初に青のクレヨンで二つの〇を、次に色を変えてもう一つ、また色を変えてもう一つ…
描き終えた時、気づきました。
「あ、だいきさんこれ、さっきの絵をもう一回描いたんだ!?」
いま私たちが話題にしていたサインペンの丸の絵を、だいきさんは私たちに向けてもう一度自分で模写してみせたのでした。色も配置も正確に再現しながら。それはだいきさんからの、私たちの会話への回答のようでした。
だいきさんはさらにもう一枚同じ絵を模写してみせました。同じレイアウト、同じ配色で。自分の意図が通じた喜びを伝えるように、勇んで描いています。
だいきさんは自分の思いを伝えようとしてる。だいきさんは自分の世界を広げようとしている。
私は思い立って、だいきさんに話しました。
「だいきさん、顔、描いてみようか」
私は紙に大きな〇を一つ、その中に小さな〇を二つ並べて描きました。だいきさんはじっと見つめています。
「これ、顔。これ、目。」
だいきさんはすぐにクレヨンをとり、描きうつしました。正確です。
「口」
もうひとつ〇を描きます。だいきさんも描きます。
「鼻」
またひとつ〇。だいきさんも。
人の顔が出来上がりました。たぶん、生まれて初めてだいきさんが描いた顔。
だいきさんが、その絵を私に差し出します。
「もらっていいの?」
ほんのり笑顔を浮かべ、うなずくだいきさん。
するとだいきさんは今度は白のクレヨンを取り、私が描いた顔に加筆し始めました。茶色、焦げ茶と色を変えていきます。
どうやら机の向こうにあるサンタの絵を、私の絵に加筆して模写しようとしているようです。白はたぶんサンタの髪。
〇だけでも表現できると分かっただいきさんは、さらに意欲的に描くことに挑戦しようとしたのでした。
だいきさんはそんなふうにしてその日描いた絵を、ぜんぶ私にくれました。
思いは深く、沢山あるのに、どんな切実なことであっても伝えられない。伝わらない。言葉を使えないことの苦しさと戦ってきただいきさん。そのだいきさんの思いに触れることができた、出会えた、一瞬の時間でした。
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