くもがきらいな人に読んでもらえたら。
(くもがきらいな人に読んでもらえたら、と思って書きます。)
「あ。あれは卵?」玄関ポーチの天井に目を止めた妻が言った。
「ほんとだ。卵だ。生んだんだね。」言われるまで気づかなかった。
夏からうちの玄関前に立派な巣を作っていたじょろうぐも。秋までの間、様々な虫を捕らえて食べ、その体はずいぶん立派になった。
そして11月。つい先日まで放射状にしっかり張られていた網が、いつしかあちこち千切れて風に揺れていた。修繕するのをやめたらしい。
こおろぎの声もだいぶ前に途絶えた。巣に掛かる虫もいなくなった。
じょろうぐもは天井の隅に移動して、卵を生んでいたようだ。丸く張っていたお腹がほっそりしている。卵には膜のような網がかぶせてある。巣を作る糸とは違う、白く細い糸で。
そして膜の上からさらに自分の身で覆い被さり、身じろぎひとつなくそこにいた。その姿を見つけてから8日。そこから動かない。
もう何も食べず、水も飲まない。縮んだ体は、さらに少しずつ細くなってきている。
夜毎霜が降り、数日前には雪も降った。何日持つんだろう。
こうして命が尽きる瞬間まで、卵から離れずに守るつもりなんだ。卵がかえる春までは見届けられない。でも1秒でも長く我が子を守ろうと、自分の残り時間の全てをそこに注ぎ尽くそうとしている。
それでもこれは愛ではないと。
虫には愛などない、機械のようにプログラムに従って行動しているだけだと。やはり言い切る人がいるのだろうか。
私は、それが人間のイメージする「感情」とは違うものであったとしても、この行動の動力は愛の原型だと思う。
このじょろうぐももまた、こうやって去年の初冬を見知らぬ母に守られて、今年の春に生まれてきたんだろう。夏の間中彼女が食べた無数の虫たちの命が、今度は彼女の子どもたちに流れ込む。
さらば。
冬が来た。やがていつかの春へ。
* * * *
(追記)
上記までが、11/22に私のFacebookに投稿した記事の転載。
今日の夕方、家に帰って来てポーチの天井を見上げると、じょろうぐもの姿が無かった。
下のほうをさがすと、置いてあった空の水鉢の底に、命尽きて落ちたくもの姿があった。卵を見つけた日から18日。
今年の春に彼女が卵からかえって今日まで、おそらく7か月ほどの生だったろう。その中での18日。人間の80年の人生に置き換えたならば、7年ほどの時間に当たる。
飢えと寒さの中で、彼女が捧げた時間。そうやって守ったもの。
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