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006 八代亜紀『ミスター・サムシング・ブルー』(1997年)

作詩:湯川れい子 作曲:長谷川智樹 編曲:長谷川智樹

八代亜紀といえば、今や演歌の代名詞の一人と言っていい大御所だが、同時に、業界内の地位に甘えることなく、演歌というカテゴリーをはみ出して歌唱力で勝負する、いち歌手としての面白さを見せてくれた人でもある。

その代表的作品が、『夜のアルバム』(2012年)や『夜のつづき』(2017年)などの、小西康陽がプロデュースしたジャズ・アルバムだが、僕はこれをあまり評価していない。
なぜなら、八代の歌がリズムに乗れていないからだ。

八代亜紀のルーツがジュリー・ロンドンなどのジャズにあることはよく知られている。
小西の狙いはそこからくる<ムード>であったはずで、ホンモノのジャズをやろうとしていたわけではないと思う。
しかし、演歌の時代が長すぎたのだろうか。
八代の中ではリズムに乗ってスウィングする感覚が薄れていたのかもしれない。

実は、八代はもう少し自然な流れでジャズに挑戦したことがあった。
それが『ミスター・サムシング・ブルー』(1997年)で、ビッグ・バンドでスウィングする日本語のオリジナル曲だった。
なかなか抑制の効いたオシャレなアレンジで、八代もそのムードに乗って、八代が得意とする囁くような歌い方を、いつものブルージーなフィーリングから少しフェミニンなムードに変えて対応している。

そのカップリング曲でラテン・ジャズな「Sentimental Boat to Heaven」を作曲したのは、小西と共に初期ピチカート・ファイヴのメンバーだった鴨宮諒。
ラテン・パーカッションやマリンバをフィーチャーした、明るく楽しい楽曲に仕上がっており、ラウンジ・ジャズ的なムードもある。

こういった曲を歌えて八代も嬉しかったのだろう。
この2曲は、小西作品の時よりも自然にリズムに乗れている。

この後、八代は洋楽のカヴァーやポップス系の楽曲などにも、散発的にではあるが取り組んでいくことになる(2013年には既発作品の中からジャズやポップスを歌った曲を集めたコンピレーション『Mr.SOMETHING BLUE ~Aki's Jazzy Selection~』がリリースされている)。
もっといえば、八代自身は自分を演歌歌手だとは思っていないのではないかという気もする。

では、なぜ小西作品の時は、うまくリズムに乗れなかったのか。
小西の音作りは非常にデフォルメされていて、特殊なグルーヴを持っている。
それを理解するためにはサブカル的な文脈を理解する必要があるのだ。
企画モノ的な作品において、そういったコンセプト性までを歌い手に求めるのはなかなか難しいだろう。

そもそも、演歌とジャズではリズムのアクセントが真逆。
このリズムの違いを乗りこなせるかどうかと歌のうまさは別の話だ。
出自が違う問題なのだということを理解する必要があるだろう。
逆にいえば、演歌のリズムの方が非常に特殊なのだ。

それでも、そういう企画に乗ってくれる八代(とそのスタッフ)の柔軟性は、演歌の業界の中ではかなり珍しいし、八代亜紀という大ベテランに対して親しみやすいイメージを作りだしているのは間違いないだろう。


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