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015 杏里「CAT’S EYE」(1983年)

作詞:三浦徳子 作曲:小田裕一郎 編曲:大谷和夫

今となっては伝わりにくいかもしれないですが、「CAT'S EYE」ってマンガはすごい人気だったんですよ。その後の「CITY HUNTER」がそれを超える人気になってしまったために、霞んでしまった感はありますが。

当然、そのアニメの主題歌として作られたこの「CAT'S EYE」も大ヒットしました。当時の売り上げで82万枚。最終的には130万枚まで売り上げを伸ばしました。しかし、これは異例でした。

杏里は「オリビアを聴きながら」で78年にデビューしました。尾崎亜美が書いたこの曲は、名曲として今に至るまで非常に高い人気がありますが、後が続きませんでした。CMに使われ、耳馴染みのあった「思いきりアメリカン」(82年)ですら、チャートでは74位止まり。起死回生のヒットとなった「CAT'S EYE」は、5年ぶり、シングルの枚数でいえば、12枚ぶりのヒットとなったわけです。

しかし、当時の杏里は、この曲のレコーディングをかなり強硬なまでに拒みました。レコーディングする段になって、ボイコットまでしたそうです。

今の感覚であれば、ヒット間違いなしのアニメの主題歌なんて、どんなアーティストでも歌いたいでしょう。しかし、当時、アニソン(という言葉すらありませんでした)は子供向けのアニメの主題歌に過ぎず、それをアニソンを専門としない歌手が歌うことは、歌手としてレベルを下に見られたと感じても不思議はありませんでした。杏里からすれば、かなりの屈辱だったはずです。実際、この曲がヒットしても、長い間、コンサートでは歌いたがらなかったそうです。

しかし、この曲を歌わせたスタッフは、この企画の可能性を見抜いていたんだと思います。81年には映画版「機動戦士ガンダム II 哀・戦士編」の主題歌となった井上大輔の「哀戦士」が、翌82年には『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編』の主題歌、井上大輔「めぐりあい」が大ヒット。テレビと映画との違いがあるとはいえ、「CAT'S EYE」が子供だけのものではなく、大人にもアピールするコンテンツになり得る、つまり、アニソンがより一般受けするようなものになるという可能性を見抜いていたのではないかと思います。事実、「CAT'S EYE」と同じく週刊少年ジャンプに連載されていた漫画のアニメ化に限っても、この翌年の「北斗の拳」では、クリスタル・キングやKODOMO BANDが、「きまぐれオレンジ☆ロード」では、池田政典、中原めいこ、和田加奈子が、「CITY HUNTER」ではTM NETWORKがと、アニソンを(今でいう)アーティストが歌う傾向が現れ始めます。

結果的に、杏里は次のシングル「悲しみがとまらない」(角松敏生プロデュース)も大ヒット。以降、安定してヒットを出す人気歌手となっていきます。

因みに、「CAT'S EYE」は、角松プロデュースのアルバム「TIMELY!」では、角松のアレンジによるファンキーでブギーなアレンジで収録されています。


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