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「敵は家康」読了者限定読書会レポート (4)

 いやあ、誠にありがたいことですね。

 先日、恒例の伊東潤先生の読書会(今後20年の関ヶ原物のベースとなるであろう作品「天下大乱」がテーマ)に行ったのですが、そこで、「礫」時代からネットで本作を読んでくださっていたという読者さんに遭遇。向こうも、私がその場にいるとは思っていなかったみたいでびっくりされてました。

 ご自身でも創作をされるとのこと、もしかしたらこれからお名前を聞くようなことも、あるかもしれませんね。とりあえず、感謝の念と歓迎の意を込め、「レッド・オーシャンへようこそ!」と言っておきました(←おい


 さて・・・さらにさらに前回の続き!


 ついに、あの人に言及するタイミングがやって参りました!事前の人気キャラアンケートでも、弥七を除けばぶっちぎりのナンバーワン人気、ねずみさんです!

プレゼンテーション 9

 この重要な準主役キャラクターのねずみさんですが、実は、当初はほんのチョイ役だけで、あとはすぐにお役御免となる予定でした。

 冒頭、村の悪童どもと弥七がトラブルになるとき、当初は初老の河原者「たにし」と弥七だけを登場させようと思ったのですが、もう一名いたほうがなんとなくバランスが良いかもしれないと考えました。そこで、「たにし」がやられたあと、悪童どもの最初の襲撃をかわし、弥七による礫のお礼参りを横で手伝う役(限定)として登場させました。

 そして、それきり姿を消す予定でした・・・なので、ネーミングも超適当、その場の思いつきで「ねずみ」にしてしまったという次第です。

 しかし、被差別民の集落に属する二人が、半武装(?)農村の子弟を死傷させておいて、そのまま無事でいられるわけがありません。自然な流れとして、弥七とねずみは、ともども、ソッコーで「陰」から逃亡しないと命はありません。

 仕方ない。

 行きがかり上、当初は二人組で逃亡してもらおう、しかし、適当なところでねずみは死ぬか、あるいは弥七を騙し食い物などを失敬して、途中で消えてしまうか、いずれにせよ雑魚キャラとしてのつまらぬ短い人生を全うしてもらおう、そう考えました(この時点でほぼ、成り行きだけで物語が動いています)。

 ところが・・・この、ねずみの存在が、物語を作る上でたいへん重宝するものだったのです。

 まず、矢作川の河原を二人が逃げるシーンの画が、画として「らし」かったことです。

そして、より重要な要素、登場人物が二人いると、場面の描写がたいへんに書きやすいということに気づいてしまいました。

当初の構想通り、弥七が一人で河原を逃亡するシーンを描くとすると、地の文で彼の思考や行動を延々と説明するか、なにかぶつぶつ独り言でも言わせるか・・・いずれにせよ間を持たせるには、執筆初心者にはかなりハードルの高い作業を延々と続けなければなりません。

 しかし、主人公にバディ(相棒)がいると、基本的に二人の会話だけで話をズイズイと進めることができるのです。書くための消費カロリーは1/5程度(体感値)。

 これは、使わない手はありません!

 いずれ、どこかに消えてもらうつもりではありましたが、まだしばらく彼を物語に登場させておこう・・・そう判断しました。


 すなわち、超重要キャラクターねずみさんは、こういったその場の思いつきで生まれ、その後の成り行き、なによりラクして物語を書き進めたいという作者の意識の低さによってなんとか延命した、その場しのぎのインスタント・キャラクターにすぎなかったのです。


プレゼンテーション 10


 ねずみというバディの登場により、本作は、当初の構想だった「弥七のソロ逃亡劇」から、「盗人と人殺しのバディ逃亡珍道中(?)」へとその性格を変えることになりました。

 この段階で、作者が頭に思い描いていた映画があります。

 アメリカ映画「夕陽の群盗」(1972年公開)。映画史的には、アメリカン・ニューシネマの佳作と評価され、全編になんともいえぬ枯れた哀感が横溢する素晴らしい作品です。
 
 ストーリーは、南北戦争の徴兵逃れをした若者たちの一団が西部を目指し逃亡の旅を続けるというもの。やがて彼らは「フロンティア」という名の曠野で悲惨な目に遭いバラバラとなり、最後に二人だけが残る訳ですが。この二人(バリー・ブラウンとジェフ・ブリッジス)の姿が、作中の弥七とねずみに重なりました。


 第六章までのバディ逃亡パートは、この映画作品の感触を常に頭に思い描きながら書いたものです。この過程で、どんどんとバディ、すなわちねずみの存在感が増していきました。

 また、数日居つくことになったおことの蚕小屋でのエピソードを書き連ねていくうち、元モブキャラのねずみに作者がどんどんと感情移入してしまい、この小屋を出る頃には、もはや退場させることのできない重要キャラクターに自動昇格してしまっておりました。

 創作者はよく、「勝手にキャラクターが動き出す」という表現をしますが、これがそれなのか、あるいは事前準備のいい加減さによる場当たりの結果なのか、なかなかに悩ましいところです(笑)



 死ぬか生きるか、河原者2名の必死の珍道中は、「ムツ」と源蔵、そして大勢の黒鍬衆を加えて沓掛城、そして鳴海城へと続いて行きます。

プレゼンテーション 11

 ちなみに、沓掛城は現在でもかなり堀や遺構の保存状態がよい(当時の城の縄張そのままかどうかについては諸説あります)のですが、鳴海城は、主郭の位置と伝わる場所にわずかな記念碑が立つくらいで、周囲は完全に宅地化され、往時の姿をしのぶよすがとなるものは現地にほぼ何もありません。

 そこで、脳内で鳴海城の画を描くため、半ば無理やりですが、茨城県坂東市にある関東屈指の中世城郭遺構、逆井(さかさい)城を無理やりそれに見立てて執筆しました。

 このエントリーの扉に掲げた櫓や物見櫓、土塀などは、実は記録や現地調査を元に、現地の自治体や歴史学者たちの監修のもと再現されたものなのですが、そこらの商業目的による再現城郭群とは違い、非常に雰囲気があり、リアルで、造形的にも素晴らしいものです。

 こちら、アプローチが悪く、車がないとキツい「知る人ぞ知る」名城なのですが、関東の人は是非いちど行ってみることをお勧めします!
(ちなみに、いつか、この逆井城を舞台にした本格戦国作品を書く構想を持っております!実現できるか全くわかりませんが、どうかお楽しみに)

 さて、この鳴海城でそれまでの逃亡ストーリーが終了し、とつぜん別の小説か、というような大転回がやって来ます。エスピオナージというかポリティカルスリラーというか単に流血の陰惨な陰謀物語というか。河原者2人は、否応もなくこの流れに巻き込まれてしまう訳ですが。

 もちろん、あらかじめ狙っていた訳ではありません(笑)

 既に書きました通り、当初は沓掛や鳴海に寄る予定などなく、ねずみや源蔵、おこと、そして黒鍬衆なんぞも一切登場しないことになっておりました(ムツだけは登場させる予定でした)。これは、ねずみの登場と定着によって、会話を軸にスイスイを物語を書けるようになってにわかな自信を持った作者が、何も考えず、つい調子に乗って愚かにも無制限に戦線を拡大していってしまった結果に過ぎないのです。

 もう完全に場当たり、その場の思いつき。これが戦争計画とかだと、このあと完全にハマって戦線崩壊し国を失ってしまうパターンですが、ただ、この作品執筆に関しては、その無計画・無鉄砲がたまたま当たりました。


 ちなみに、歴史小説界のレジェンド伊東潤先生には、このあたりの事情を、完全に見抜かれていましたね(笑)

【特別対談】早川隆×伊東潤 <歴史・時代小説の面白さ -史実と物語の狭間で->

> 早川 いえ、恥ずかしながらそこまで意識せず、感覚だけで書いていました(笑)
> 伊東 何となくそれは分かりました。厳密な構成はないなと(笑)



 ・・・ともあれ、このいっときの精神的無双状態と、無謀なる戦線拡大によって、本作がかなりの長編となることが決定的になりました。

 また、佐久間大学、岡部元信、拷問のプロ伝左といったおいしいサブキャラも次々と登場させられましたし、とりあえず物語に勢いは出たのかな、と思っております。

 まあ、結果オーライです。


プレゼンテーション 12


 そして、この鳴海城での大転回で、物語が終盤、怒涛の合戦シーンになだれこんでいくことも確定(ここまで血ィ見るなら、最後までやり切らな!)。冒頭、思いつきで描いた熱田神宮から見た二条の煙のシーンから始まり、またそこに戻っていく、最終版の基本形が、書きながら固まっていったのです。


 全てが結果オーライですが、

 ・バディ逃走劇
 ・鳴海の流血サスペンス
 ・ラストの戦闘シーン

と、まったく違う3つのストーリーが組み合わさったような、変化に富んだ、ある意味でダレようのない戦国冒険物語の骨格が定まったのでした。


 ・・・と、いろいろ書いてきましたが、ネタバレに関わるような部分は書けないので、とりあえずはここまでと致します。

 実はまだまだ、結末が変わった事情とか、タイトルが変わった事情とか、あのラストシーンを思いついた瞬間とか、当日のイベントではお話した内容もあるのですが、ごめんなさい、ここでは書けません!

 いつか、お話できる機会があればお話したいと思います。


 次回からは、当日の参加者の皆様にいただいた、ご意見・ご感想や、愛のあるご指導、キビシーご鞭撻の数々に触れたいと思います。お楽しみに!

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