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Etude (22)「さあ、あなたの暮らしぶりを話して」

[執筆日: 令和3年3月31日]

 「どんな女性にとっても、最良の夫というものは、考古学者に決まっています。妻が年をとればとるほど、夫が興味を持ってくれるでしょうから」

 コロナ禍にあって、旅の事を書くのは、絵に書いた餅を眺めさせるようなものでありますし、目に毒という気もいたしますが、旅行をするためには、最低3つの要素が必要な気がします。第一は、好奇心、所謂、今生きている場所より素敵な場所があるかもしれないというユートピア的なものを希求する好奇心、あるいは想像力。第二は、遠くに旅をすることを可能にする体力。異文化の違いで苦労する訳で、忍耐力というか、受容力、寛容力が。そして第三に、お金でございます。この3つがあれば、旅は色々な意味合いで、人にとって、得難い経験をもたらすものでありましょう。
 旅も十人十色でしょうが、人によっては、文化的な物に出逢う、つまり、人もそうですし、食べ物も含めて生きている物に出逢うことに関心のある人もいれば、世界遺産といった過去の物、直接語りかけてくることのない物を見たいと思う人もいるでしょう。養老孟司さんが解剖学について述べていた様に、仕事というものは、大きく2つあって、動かないもの、変わらないものを対象とする仕事と、動くもの、変わるものを対象とする仕事があります。動かないものを仕事とするものの一つが、考古学者の発掘調査でありますが、アガサ・クリスティは、動かない、変化することが永遠にない物に取り憑かれた考古学者のマックス・マローワンに、一目惚れ的に惹かれた訳です。それが、冒頭になる、彼女の結婚観を述べた言葉でございます。

 アガサ・クリスティ(1890-1976)が「Come,Tell Me How You Live」を刊行したのは1946年で、彼女の没後1983年にペーパーバックで再刊され、邦訳単行本は1992年に出版され、文庫本(「come, Tell Me How You Live さあ、あなたの暮らしぶりを話して」(早川文庫、訳者深町眞理子)は、2004年に出版されています。
 私が読んだ文庫本の末尾にあります、訳者の深町さんの「1930年代のオリエント発掘旅行記」によりますと、アガサ・クリスティは、1930年、イラクで発掘調査をしていた考古学者のレオナード・ウーリー夫妻の招待を受けて、ウルの発掘現場を訪れ、後に夫となる考古学者、マックス・マローワンと運命的な出会いをし、同年結婚(再婚)します。アガサはその後も、第二次世界大戦時の数年間を除き、常にマックスの考古学発掘に付き添い、この本は1934年秋から38年秋までの日々の有様を物語る、初のノンフィクションです。アガサとマックスの二人三脚的考古学発掘の時期は、1931年イラク北西部モースル(ai-Mawsil)を拠点(ニネヴァ遺跡nineveh、ニムルード遺跡)とした発掘の第一時期、1934年秋からシリア(チャガール・バザール、テル・ブラーク、バリーフ河のほとりテル・ジードル)での発掘の第二期、そして、1948年からのイラクのニムルードでの1958年までの第三期になります。なお、アガサは夫の発掘に付き添いながらも、1934年から39年の間に、多くの長編、名作を発表しています(「オリエント急行の殺人」「ABC殺人事件「ナイルに死す「そして誰もいなくなった」等)。
 発掘が行われていた時期、英国はイラクの直接統治を諦めたものの、傀儡政権の下で支配権を振るい、他方シリアはフランスの支配下にあった時代(レバノンも)。本でも言及されていますが、発掘された出土品の配分で現地当局と考古学者たちとの悶着も多かったようで、時代が時代ですから、仕方がないのかもしれませんし、英国人はそういうものなのかなと思うのは、植民地政策の善悪には踏み込まない(政治には口を出さない)アガサの作家としてというか、人間としての態度を、私的には、完全に手放しで称賛できるかというと、難しいところではあります。
 アガサが社会問題や政治問題に首を突っ込まないのは、フランスの作家とは違うかなあと思いますが、他方、この本は、中東は今も日本からすれば、地の果のような場所で、未知なる世界ですが、当時、シリア・トルコ・イラク国境に偏在していた、そして今も未解決のクルド人の存在を知ることもできるし、今は国を持つことになったアルメニア人の生き方なども含めて、文化人類学的に興味深い描写があって、まさに居ながらにして、旅を味わえる本であります。
 イスラム文化という、ある意味ではキリスト教的文化とは真逆の地での夫のマックスとの苦労は多いけれども、幸せな時間を、再現、そう再現したこの本、小説とは違い、プロットがあるわけでもなく、生きることが苦しいほどの悲劇が起きるわけでもない、私たちにも共通する日常性を、客観的というか、覚めた眼(作家の眼ですね)で描いたアガサは流石だと思います。なお、アガサは、考古学には全く関心もなく、彼女の関心は人であり、ミステリー小説の題材や、どのようなトリックで事件を構成しようかと、日々思索していたようであります。
 以前に徒然でも書きましたが、私が最初に中近東を訪れたのは、1990年春。イスラエル・エジプト・シリアの三国ですが、1990年という年は、私にとってはある意味で運命的な年でもありました。一言では語れない、強烈なる文化ショックを受けたのがこの三カ国の訪問でした。エジプトからシリアのダマスカスに向かい、そこで見た光景は多分、一生忘れることもないでしょうし、そして、テロリストによって壊滅的被害を受け、いまでは幻的な建造物になってしまったパルミラ遺跡palmyraを見た時の感動は、言葉の有利性を忘れるほどでもありました。幸いにして、アガサは、そのパルミラを見た時の模様を以下の様に、言葉で残しております。なお、私の撮った写真が手元に一枚ありますが、もしもご関心があれば、ご希望に応じて、添付してお送りします(デジタル写真でもない白黒写真ですが)。

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撮影 : 二木孝

 「七時間にわたる暑熱と、単調さと、寂しい荒れ地の連続のすえにーパルミラ!まさにそれがパルミラという古代都市の魅力だと思う。熱砂のまっただなかに、忽然と幻のようにあらわれる。そのほっそりしたクリーム色の美。美しく、幻想的で、とても現実とは思えないーまさしく夢芝居のように非現実的な、どこかつくりものめいたこわれやすさがある。宮廷や神殿の土台、倒壊した円柱・・・・」
(注)ダマスカスから車で7時間です。

 なお、利他の関連で申しますと、仕事というのは、大なり小なり、必ずそこには利他的なものが含まれているのだと思います。それは、対象が動くもの、動かないものに係わらずにあると思います。他方、宗教関係者、あるいは宗教的な人は、仕事において意識的に利他的行為をするのでしょうが、そうではない私のような人間にとって、究極の選択を迫られることは一生に一度あるかないかでしょう。究極の選択とは、例えば、私が砂漠を一人で旅行していて、明日はオアシスのある目的地に着く場所で、行き倒れのかなり衰弱している旅行者から、水をくださいと頼まれたような状況が想定されます。私の持っている水は私の一日分の水しかありません。その時の選択をどうするかということですが、半分ずつ飲み分けるか、それとも、水を与えるだけでは体力も回復しそうもないので、水と食料も与えて、自分は飲まず食わずでオアシスに急行して、助けを求めるか、それともその人を捨てていくか、といったことが選択肢としてありえます。また、タイタニック号の沈没の際のように、救命ボートに乗れる人数に限りがあり、相愛のカップルのどちらかが救命ボートに乗れない場合、どうするかという状況もあり得ます。ないことを祈りますが、例えばコロナ対策用のワクチンに限りがあって、夫婦のどちらかが当面接種できないような状況もあり得ます。
 こうした、日常性にはないような、命に係る究極の選択が迫られる時に、人はなかなか平常心ではいられないし、判断がつかないのではないかと思うのです。でありますから、私的に言えば、究極の選択をしないといけない時こそ、例のオートマティカルな力に依存した方がいいのではないかと。つまり、私の経験から言うと、結果的に世の中は「塞翁が馬」的であって、自分の意志というものは宛にならないのではないかということです。意志で人は変わるとか、世の中が変わるということを説く人も多いのですが、人が変わる場合、自分の意志で変わるよりも、受身的に変わった方が遥かに多いし、変わるというのは、外からの影響で変わるのが正しい認識ではないかと思うのです。しかし、そうなると、論理性や真理性を求める哲学や、科学的精神を優先する方からは、そんなことは信じられないし、証明もできないであろうという反応は来るでしょう。が、しかし、人が生きるというのは、論理的で科学的であるのかと言えば、大きな疑問を抱くのであります。

 本題からは、大きく脱線しましたが、最後に、私が「come,Tell Me How You Liveさあ、あなたの暮らしぶりを話して」で、アガサ・クリスティの作家としての観察力が面目躍如であるなあと思った文章と、私もその場所に行ってみたいなあと思わされた箇所をご参考までにご案内して、失礼いたします。

 「クルドの女たちは、陽気で、きりっとした目鼻立ち、好んで明るい色を身につける。頭には鮮やかなオレンジ色のターバン、服は緑や紫や黄色など。つねに背筋をしゃんとのばし、頭を高くもたげて、後ろに反りかえるような姿勢を保っているので、いつ見ても誇り高く見える。肌はブロンズ色、目鼻だちはととのい、頬は赤く、たいがい目は青い。いっぽう、クルドの男たちはみんな、むかし幼いころにわが家の子供部屋にかかっていた、キッチナー将軍の色刷り写真に驚くほど酷似している。赤銅色の顔、大きな褐色の八字ひげ、猛々しく、武人らしい容貌だ。(中略)クルドの女とアラブの女とを見まちがえることはけっしてない。アラブの女は、例外なく控えめで、内気で、話かけると目をそらす。こちらを見るにしても、遠くからだけだし、ほほえむとしても、はにかみがちで、顔も半分がたそらしたままだ。たいがいは黒か、黒っぽい服装をし、ぜったい女性のほうから男性に近づいて、話しかけることはない。それにひきかえ、クルドの女たちは、男性と同等か、対等以上であることを疑っていない。」
「人命を重んじる西欧式の理念になじんでいるわたしたちには、それとは異なる価値観に適応するのは容易ではない。ところが東方のひとびとの見地からすれば、それはいたって簡単なことなのだ。死というものは必ずやってくる。生まれてくることとおなじに、死は避けがいことであり、それが早くくるか遅くくるかは、もっぱらアッラーの神の思し召しによる。しかし、こういう考え方、こういう諦念は、わが現代社会にとりついた病根ともなっているものーつまり、心の煩いを解消してくれる。ひとが欲望から解放されることはないかもしれないが、不安からは確実に開放されるのだ。しかも、怠惰はひとの自然な状態であり、快いものだが、働くことは不自然な強制にすぎないのである。」
「シーク・ハディは、モースルの近くの、クルド人の多く住む丘陵地帯にあり、その付近を発掘したとき、わたしたち夫婦はそこを訪ねてみら。世界広しといえども、おそらくここほど美しい、平和な里はないだろう。そこに行くには、オークや柘榴の茂みを縫って、山の清流づたいに、曲がりくねった道をどこまでものぼってゆかねばならない。空気はさわやかで、新鮮かつ静澄である、道のりの最後の数マイルは、歩くか、あるいは馬に乗るしかない。このあたりの人々の心はまことに純粋なので、クリスチャンの女性も、裸で清流にはいって水浴びができるといわれている。」
(注)シーク・ハディはイェジッド族の聖地で、イェジッド族は世界がシャイタンの手に委ねられているとする宗教をもち、シャイタンの後に、イエスの世が来るとされ、イエスは預言者ではあるが、まだ完全な力をもっていないと考えられ、また、シャイタンの名を口にすることは禁じられている。)
 
「およそラース・シャムラーほど魅惑的な場所は、この地球上にふたつとあるまい。紺碧の水をたたえた小さな美しい入り江、それをふちどる真っ白な砂浜、白い、低い岩山。」
(注)ラース・シャムラーはアレッポAlepppの近郊にある場所)

(了)


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