見出し画像

Etude (13)「芸術家と人間性」

[執筆日 : 令和3年3月21日]

井上ひさし(1934−2010)という作家がおりましたが、小説、戯曲、随筆、そして、テレビ、ラジオでも活躍し、多くの文学賞を受賞し、日本ペンクラブ会長なども務め、また様々な社会活動もされた、マルチ的な作家でありました。井上さんは、文化学院の講師もなさっていたようですが、国語学者も顔負けする程に日本語に対しての造詣があった人と言われ、私は彼の書いた文章に関しての本は何冊か読み、立派な人なんだなあと思っていました。しかしながら、今回、彼の「日本語教室」(新潮新書)を読みながら、この人、真面目に誠実に生きた人なのか、それとも人お笑い的に喜劇的に生きた人なのかな、どこまで彼の言葉を信じたらいいのか、解らなくなってしまいました。勿論、人間というものは分からない存在ではあるのですが、井上ひさしさんは多くの顔を持っているせいなのか、余計、その念を強く致します。芸術家は分かりやすいけれども、人間は分かりづらいと。
 彼は、山形で生まれ、仙台の高校(仙台一高)を卒業し、最初は上智大学ドイツ文学科に入学するも、ドイツ語は合わないと休学し、看護婦に憧れて、医学部を受験をするも、不合格となって、上智大学フランス語学科に復学し、卒業後は、様々な活動をしながら、75歳で永眠した訳です。色々なものが彼の人格や文学作品にも影響を与えているのでしょうが、生い立ち的には、父親が共産党シンパであったこと、かつ、文学者でもあったこと、経済的にも苦労しながらも、カナダのラ・サール会の孤児院で育てられるなど、キリスト教への関心もあったこと、他方、アルバイトで稼いだお金を全て赤線で使い果たすなど、金銭的にはあまり計画性はなかった人のようで、また、大学卒業後、浅草のストリップ劇場フランス座で働くなど、女性への関心が極めて高い(単なるスケベ人間と言うよりも、女性を文学における研究対象としていたのかもしれませんが)。一度、自殺未遂をしています。彼は、大変なヘビースモーカーで、肺の癌で亡くなりますが、肺癌と診断された時に、やはり煙草は肺に悪かったのかと言っていたようで、ある意味、幸せな末期とも言えます。
 作家業は所謂堅気の仕事をするようなものではないと、井上さんを見ていると思うのですが、彼は小説よりも戯曲の方が高く評価されているようです。私は彼の小説も全く読んだこともなく、戯曲を舞台でも見たこともないので、彼の芸術性は評価はできませんが、身体表現と同時に言語表現の両方がないと戯曲は成り立たないのでしょうから、まさに、右脳と左脳の両方に優れていた作家といえるでしょう。
 なお、この「日本語講座」は上智大学の親睦団体「ソフィア会」が企画・主催した4回に渡る講演会の模様を文字化したもののようですが、日本語の標準的な発音はかつては東北弁の発音にあったとか、日本語に入っている(英語ではない)和製英語の多さ、カタカナ表記文字(オノマトペとか)の多さについての指摘は流石と思いました。

さて、画家というのは、文字で表現するのではなく、デッサンと色であるものを表現する人ですが、右脳と左脳どちらに優れているのかなあと思うのですが、ドガ(エドガー・ドガ Edgar Degas 1834-1917)はデッサンで抜きん出ていた画家で、師でもあったアングルの教え(「なんでもいいから、線を引く勉強をしたまえ。記憶に頼っても、実物をみてでもいいから、出来るだけ沢山の線を引いてみる事だ」)を金科玉条の如くに生涯守って、デッサンに人生を賭けたような画家でした。ゴッホはあの黄色に示されるように、色に特徴があります。どのような色彩に描くかは、脳の意識(精神)とも関係があるようなのですが、詳しいことは私にはわかりません。デッサンは、これはもう職人的な能力が求められる訳ですが、小林秀雄の「近代絵画」で取り上げた画家の中では、このドガがある意味で、一番人間らしいように思えました。
 小林はドガがサント・ブーヴを敬愛していたこと、そして、好きな作家として、フロベール、モーパサンを挙げています。画家で小説家に惹かれる人は意外に少ないようで、詩人はいますが、詩人と小説家を比較すると、小説家の方が人間の匂いがより強烈に感じられるのですが、如何でしょうか。絵画から匂いが発散するというようなことはあまり経験的には無いのとは思いますが、ドガの絵を見てると、それぞれの動物(馬)や人間(踊り子や洗濯する女性等)から発散する匂いを感ずるのです。
 そういうドガが生前述べていた言葉、そして、詩人であるポール・ヴァレリーがドガという画家を如何様に見ていたのかを知る言葉をご参考までにご案内しますが、人付き合いがしやすそうなのは、ルノワールでしょう。どこまでも楽天的なおじいさんという感じで。モネは、絵画と音楽の相関性についての意識を覚醒させた画家とも言われますが、理屈ぽいというか、観念的な面もあるので、話をすると、難しそうな印象はあります。ピカソは天真爛漫な子供のようで、一緒にいて楽しい人だったんだと思いますが、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガは、孤高の人というか、側に近づくと拒絶されるか、大火傷を追う、そんな気がします。
 作家においても、作品は素晴らしいけれども、人間として付き合いのははなかなか難しい人が多そうな気がしておりますが、こうした二面性というか、矛盾を考えるのも学ぶ事の一つではないかと思います。なお、音楽家も画家もそうかもしれませんが、才能は持って生まれたものがどうもあるように思います。勿論練習はそれなりの効果をもたらすとは思いますが、持って生まれた物、特に身体能力の特殊性や、音楽では特に記憶力が良くないと上手になれませんので、そうした記憶を蓄え、宿すこと(入れたり、引き出したりする箱)の出来にも才能にも係ると思います。そういう意味で、私は全く不適合な人間だと思います。

「もし貴方が独身で50歳にもなると、まるでドアがしまる様な具合に、自分というものがしまって了う時期を経験するでしょう。友達に対してだけではないのだ。自分の周りのものをみんな片附けて了うのだ。そしてたった一人になってみると、今度は自分を片附ける、自分を殺すのだ、嫌悪の念から。私は、あんまりいろいろな事を企てた。今は、もう身動きも出来ぬ、力もない。・・・・私は、戸棚の中に、私の計画をすっかり詰め込んで、戸棚の鍵は身につけて持っていたが、その鍵も紛失して了った。」
            ドガの1884年にアンリ・ルロル宛に出した手紙

(注)ドガの生きた頃の50歳とは、今の70歳前後ではないかと思いますが、なんとも身につまされる気がします。

「誰の絵も、私の絵の様に自然な成り立ちから遠ざかったものはない。私の仕事は、大家達の仕事に関する反省と研究との結実だ。インスピレーションとか天然自然とか、気質とか、そんなものについては、私は皆目知らない」
「芸術とは悪徳である。誰も正当には、彼女と結婚できない、暴行によらなければ。芸術を言うものは、人工を言う。芸術は、不正直であり、残酷である」
        「デッサンは物の形ではない。物の形の見方である」ドガ
「人を軽蔑すると言うのは、まだ軽蔑の仕方が足りないからである。沈黙こそ唯一至上の軽蔑だ。ーーーと言うことだって既に言い過ぎである」
             サント・ブーヴ「我が毒」の「人生について」
「自己を要約して、一枚のデッサンの厳密さに化した人物であり、スパルタ的な禁欲主義者、言わば、一種の芸術上のジャンセニストであって、或る知的な残酷さが、その本質的な性格をなしていた」
                ヴァレリー「ドガ、ダンス、デッサン」
「ドガの仕事、特にデッサンというものは、彼には、一つの情熱、修行となり、それ以外の何物も必要としない或る形而上学、或る倫理学の対象となった。それは、彼に、様々な明確な問題を絶え間なく供給して、彼は、他のものに対して、好奇心を持つ必要を全く感じなかった。彼は専門家であり、又、そうであることを欲した。専門と言っても、彼の専門は、その究極の形に於いて、或る種の普遍性を備えていた」同

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?