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適応力、正しさ、そして楽しさ。
周りの目を気にする。
自分の扱いを自分で決めづらくなる。
それは、自分の課題だけど、
本当に、本当に頑張ることなく、
じっくり楽しく取り組んでいけたらと思うのだ。
どうしよう!また苦しい!ってなって頑張ると、
辛くなることが多いから、
急がず、不器用でもいいから、
楽しんでやる、そこを目指したい。
もう、これは心の声だから、
完璧な独り言だけど、
正直、もう今の職場の人間関係が鬱陶しくて仕方がない。
はっきり言って悪口なので、
短くサクッと書くと、
役所のような、融通の効かない、ちっとも自由がないイケメンと、
クソみたいに、説明書のような論理を作って、いい子でないと気が済まないオタクと、
針の穴ほどしか視野を持たない、くそ偏見に満ちた、昭和のクソジジイである。
こう書いてみると、ちゃんとしてなきゃダメ。
これが、本当に本当に本当に本当に自分は嫌なんだな。
ちゃんとする。
いい子でいる。
正しくやる。
これが、自分自身には何にも役に立たないからである。
でも、
社会だから、仕事だから、
大人だから、と、
何とかちゃんとしようとしたり、
何とか応えようとするのだけれど、
本当に勘弁してほしい、そういう気持ちになるのだ。
却って、自分はその方がちゃんとできないし、
何もできなくなってしまう。
こと、応える、ということに関しては、
頑張りきって自殺までしたので、
半端ないストレスなのだ。
じゃぁ、自分の楽しさを、
自分がいいと思う、目的を、目指せばいい。
そこに毎回辿り着く。
ここにも何回書いているだろう。
でも、そこが正しさ、とか、
応える、とかいう気持ちへの恐怖によって、
よくわからなくなってきてしまうのだ。
正しさ、応える、ということによって、
自分は身を守ってきた部分も、
本当に沢山あったと思うのだけど、
それは、もう昔の話で、
子供の頃のサイズの鎧のようなものなのかもしれない。
今の大人のサイズは、
自分のサイズをちゃんと着こなして、
楽しさ、自分でいることで、
生きていきたい。
同じテーマで色々考えるな、と思いつつ、
毎回少し発見がある。
うん、今日も自分が生きていこう。
そして、人と繋がれたら、
本当に嬉しいな。
みんな全員とつながらなくても大丈夫。
前はそうやって応えようとしてたよなぁ。
でも、応えなくていい。
不器用でもいい。
楽しく、自分が、みんなと、
素敵な繋がりを持てたら、
こんなに嬉しいことはない。
そうやって、これからは生きていきたい。
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