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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業

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●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれますが、そのためには人生行路の細部の諸事…
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいた…
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#第一高等学校

『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (13) 巌頭之感

 山田さんの没後、遺稿集が編まれ、『山田又吉遺稿』という書名が附されて没後3年目の大正5…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (14) 明治35年の高等学…

 高等学校の入学試験の制度は複雑な変遷を繰り返しましたが、明治35年の変化はひときわ大きく…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (15) 予備試験と選抜試…

 明治29年3月、高等小学校を卒業した山田さんは上級学校には進まず、ただちに商家に奉公しま…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (16) 予備試験に応じる

 予備試験にもまた受験資格が付随していました。まず年齢が17歳以上であること、次に品行方正…

高瀬正仁
3年前
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一高のクラスメートたち

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高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (17) 選抜試験

 7月に入って身体検査があり、それから学科試験が行われました。試験科目は5科目。7月5日は数…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (28) 一高の日々の回想

 中先生は一高在学時代の思い出をほとんど語りませんでしたが、友人の安倍能成に自伝『我が生ひ立ち』(岩波書店。昭和41年)があり、一高時代のあれこれが回想されています。しばらく安倍さんの自伝から拾います。一高の表門を入ると正面に煉瓦二階造りの本館があり、別に廊下を隔てて理化学教室と平屋建の別館がありました。三学年の教室はだいたい本館にあり、一部のドイツ法文志望三学年の教室のみ、別館の南端にありました。

『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (29) 漱石先生の授業を…

 学校がいやでたまらず放浪を繰り返す中先生はひとりで歩いていたのではなく、いつも山田さん…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (30) 藤村操の死

 いよいよ試験が始まってしばらくすると夏目先生は生徒の机の間をまわりはじめました。単語を…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (31) 東京朝日新聞の記…

 藤村操の死は大きな反響を呼びました。一例として、東京朝日新聞の伝える第一報を引いてみま…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (34) 藤村家の人びと

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高瀬正仁
3年前
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