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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (14) 明治35年の高等学校の入学試験

 高等学校の入学試験の制度は複雑な変遷を繰り返しましたが、明治35年の変化はひときわ大きく、総合選抜制が採用されました。全国各地に存在した7校の高等学校がそれぞれ独自に入試を実施するのではなく、文部省が一括して取り仕切るという制度です。もう少し正確に言うと、明治35年4月25日付で告示された文部省告示第82号「高等学校大学予科入学試験規定」により「総合共通選抜制」が施行され、入学志望者は全員が共通の入試問題に応じるということになりました。これがこの年の改革の眼目です。受験者に全国の高等学校を自由に選択させ、全国統一の入試を行い、答案を中央に集めて採点し、成績順で高等学校収容総数だけの合否を決め、その合格者をあらかじめ提出させてある三つの志望順を参考にして各校に割り振るという制度でした。個別の入試を行うと、一高のような特定の学校に志願者が殺到して競争が激化し、優秀な学生であっても不合格になることがあります。それでは人材の確保という面からおもしろくないというので、成績優秀者を遺漏なく拾い上げて高等学校に集めようというほどの考えでした。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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