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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (13) 巌頭之感

 山田さんの没後、遺稿集が編まれ、『山田又吉遺稿』という書名が附されて没後3年目の大正5年3月に岩波書店から刊行されました。編纂者は中先生と安倍能成先生です。岩波書店の創業は山田さんの死と「銀の匙」の連載開始と同じ大正2年の夏8月5日と記録されていますから、山田さんの遺稿集の刊行は創業3年目というほとんど草創期のことでした。『山田又吉遺稿』は大きく二つの部分に区分けされています。前半は文科大学の卒業論文で、その題目は「エックハルト研究」です。文科大学というのはこの時期の東京帝国大学を構成する分科大学のひとつで、後年の文学部に相当します。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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