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ある役目を終えて安堵した出来事。

以前、「除霊ができますか?」と尋ねられたことがあります。

いいえ、除霊はできません。

除霊は霊を取り除くことですよね。
それは、宗教者として学びを修め
その力を持っている方でないと難しいです。
また、修行もしていない一般人ができることではないと思っています。
(実際にこれまでの経験からそう感じています)

しかも除霊は霊を取り除くこと。
ということは、
また誰かにとりつく可能性もあるわけで…。
霊を上にあげる(成仏させる)なら話もわかりますが…。

先だって、あるグループのひとりとして
50人ぐらいの祈りの旅に参加してきました。

そこで、九州のある土地において
先住民が後からやってきた侵略者たちに
迫害されたという歴史がありました。
(表には出ていません)

その供養の最中に
迫害された先住民の御霊の言い分が
私に降りてきました。

迫害がいかにひどいものであったか。

そして、今、このように
自分たちの存在に気づき、
悲しみを分かち合おうとしてくれる人たちがいてくれることを喜んでくださり…。

そこには宗教家もいらしたので
供養してくださり…。

その場にいた全員が
供養の意味を知り気持を寄せていたこと…
これが一番だったような気もします。

私は自分がパイプ(管)の役目になれたことが嬉しかった。
※メッセージを伝える管という意味

「伝えてくれてどうもありがとう」と
最後にメッセージをいただいたときには
涙が出て仕方がなかった。

1000年以上前の話で、
その長きにわたり苦しみ、悲しみ、
さまよっていた御霊の言い分を
受け止められたことに本当に安堵した。

これまでもそうであったように
供養は宗教家へバトンタッチして。

私自身は御霊が
「伝えたいこと」をキャッチする役目。
それを全力で努めます。

神社であってもお寺でもあっても
このような場であっても

四方八方からやってくる
メッセージを精査し
瞬時に自分の中のフィルターにかける。

きたメッセージすべてが
それとは限らないから。

低次元のものからのメッセージは
本当に巧妙でこれまでに何度も私もやられています。
(いかにもそれらしいので…)

『すべてのメッセージが
正しい出所からとは限らない』

だからこそ自分というパイプが
いつでもその役目を果たせるよう
心穏やかに保つ…。

落ち込むことや怒りに震えても
できるだけ早く平常心に戻るよう…。

まやかしに操られないよう
自分を律することを
し続けなければならない。

でもですね、当たり前ですが人間ですもん。
グダグダなときもあります(笑)
いやそっちの方が多い?(笑)

それでもなお、キャッチするメッセージを
狂いなく受け取るために
精進していきます。

つい、欲に負けてしまいそうな時もありますが💦



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