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危機感と飢餓感の先に①

 いよいよ年度も終わりが見えてきた。
 振り返れば今年も本当に色んなことがあったなぁ。ホントに。

 こういう時期なので印象に残っていることを振り返っていきたい。

 「自分、失敗したことないんで」

 生徒の放ったこのセリフは結構、印象に残っている。

 そのクラスはなかなかに大変で、授業といえば私語、スマホがメインで注意されたら寝る。そんな生徒が多かった。

 ひと昔前なら「勉強する気がないなら出ていけ!」と帰宅させることもあったが、近年は「生徒たちの学習権を尊重!」みたいなお題目でなぜか帰宅させる指導は封印されることになった。

 スマホも以前は没収して放課後に返却とかしていたけれども、学校全体の諦めムードからか、黙認、もしくはその場で注意して終わることが定着している。

 基本的に私の授業はプリントで行う。重要語句を穴埋めしていく古典的なやり方だが、以前と違うのはプロジェクターでスライドを出すので、教師側の黒板に書く時間がカットされる。だから、授業の進行は以前よりとても速くなった。

 その余った時間でペアワークをしたり、その単元のトピックについて意見を書かせたりしている。

 しかし、1学期をこのスタイルでやってみて限界を感じた。
 重要語句を書くだけなので、板書を写す量がとても少ない。意見は適当に当たり障りのないことを書けばとりあえず提出点はもらえる。
 
 そう察した生徒たちは私語やスマホや睡眠にいそしみ、授業のラスト数分で一気に友達のプリントを写して、ありきたりな意見を書いて終わる。そういう抜け穴に気付かれてしまった。

 2学期はスタイルを変えた。重要語句を写すのではなく、重要語句の説明を教科書や資料集を用い、各自で調べてまとめることをメインに据えた。

 これがすこぶる評判が悪かった。

 不真面目な生徒を中心に「前の方がよかった!」という苦情が出た。

 理由は簡単で、このスタイルだと私語、睡眠、スマホにいそしむことが難しい。板書量を増やして生徒の作業量を増やすという古典的な手法もあるが、心を無にして漫然と写すだけなので、少しでも脳を稼働させるためにこのやり方にした。

 苦情に対しては主旨を説明した。以前のやり方だと学習効果が薄い。平均点も低かった。このやり方に変えて学習効果が上がった実践例もあるんだ。とりあえず信じてやってみよう。

 以前のやり方の効果のなさをあの手この手で説明したが、不真面目な生徒たちは納得しなかった。むしろ、以前のやり方を絶賛しだした。そして、新しいやり方を「学習効果はない!」と断言してこき下ろした。

 これには違和感があったので、私も以下のように反論した。

 「君たちがこのやり方が嫌なのはよくわかった。でも1つ聞かせてくれ。一応私はプロだ。このやり方にして成績が上がった実践例もあるし、全体の偏差値が10上がったこともある。それを根拠に新しいやり方を提案している。でも、たとえば君は一学期に赤点を取って、追試も不合格で成績は1だった。自分自身の成績の伸ばし方もわかってないのに、何を根拠にそこまで学習効果について断言できるのか教えてほしい。」

 生徒は答えた。

「自分、失敗したことないんで」

 冒頭のセリフはこのやり取りで出てきたものだ。

 このやり取りに対するクラスの反応は二分化した。
 引いている生徒と、喝采を挙げる生徒。

 似たようなことを何度も書いている気がするが、人を成長させる原動力として「危機感」や「飢餓感」は重要だと思う。

 このままではマズイ!(危機感)
 もっと自分を高めたい!(飢餓感)

 教師は様々な手を使って生徒のやる気を引き出そうとするが、最も古典的なのがこの2つのどっちかにうったえることだろう。つまり、悪い例を持ち出してビビらすか、良い例を持ち出して憧れさすか。それを状況によって使い分ける。

 その意味で冒頭のセリフは彼に対する自分の無力さを突きつけられたものだった。

 「失敗したことのない人間」に危機感も飢餓感もない。こうした生徒に対する引き出しが自分には不足している。

 結局、その生徒は2学期に成績が向上し、無事に卒業できる流れになった。その意味では、あのやり取り自体には意味があったのかもしれない。しかし、私の課題は解決してはいない。

 試行錯誤あるのみ。






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