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「〇活」の功罪

 「〇活」という言葉が定着して久しい。
 聞くところによると就職氷河期である2001年頃に「就活」という言葉が広く使われるようになったらしく、その後、2010年あたりから様々に応用されるようになったそうな。

 「〇活」という表現はその起源からもわかるように、ネガティブなイメージの行為をポジティブなニュアンスに変える効果がある。

 「妊活」というのは要は生殖活動をするということなので、従来であればなかなか開けっ広げに言えるものではない。しかし、「活」という言葉を使うと途端に言いやすくなるから不思議だ。

 「終活」も凄い。普通に表現すれば「そろそろ死ぬから死ぬ前に色々整理しとくね」ということになるが、この表現だと言われた方はどう返事していいかわからず困惑する。要は重たい。
 それが「活」という表現に変えるだけで悲壮感が吹き飛び、なんとなく前向きなニュアンスが生まれ、手伝いやすくなる。

 「婚活」も同様だ。具体的には結婚相談所に通ったり、積極的に合コンに参加したり、マッチングアプリを使ったりということになるが、「結婚相談所に行ってくる!」というのは何となく気恥ずかしさを感じるが、「婚活がんばる!」に変えるだけで恥ずかしさが軽減される。また、周囲にとっても「婚活がんばって!」と応援しやすくなる。不思議なものだ。

 こうした「〇活」という言葉が広がることによって、「表に出しづらいが出さざるを得ないもの」の負荷を下げ、本来向き合うべきものに向き合いやすくなる。それはとても意義が深いと思う。
 同じような事柄であっても表現の仕方1つで相手の受け止め方や行動が大きく変わる。この事実は平和な社会や人間関係を構築する上で、表現力を磨くことが地味に大切だということを示唆していると思う。その意味では政治家やリーダーの資質として表現力というのは必須の能力なのだろう。

 一方、気になる表現もある。それが「推し活」だ。
 お気に入りのアイドルやキャラクターのグッズを買い漁ること自体は悪いことでもなんでもないのだが、限度というものがある。

 「推し活」とはつまるところ「貢ぐこと」であり、この「貢ぐ」という言葉のネガティブなニュアンスが限度を越えないための歯止めとして機能していたように思う。したがって「貢ぐ」が「推し活」に置き換わると、この歯止め機能が失われてしまう恐れがある。
 
 「お前、それはちょっと貢ぎすぎちゃう?」

 従来であればそんな風に周囲も感じただろうし、注意を促すこともできた。ところがその行為が「推し活」として認知されてしまうと、周囲の心配センサーも弱ってしまい、際限なく貢ぐことを止められなくなる。

 要はネガティブなニュアンスを残しておいた方がいいものもあるのだ。

 キャラクターのグッズを買うとか、コンサートに行くとかいうような「オタ活」の範囲であれば問題ないと思うが、これが二次元ではなく三次元に置き換わるといよいよ怖い。

 そのうち、ホストクラブやキャバクラに足繁く通うことも「推し活」という言葉に置き換わるかもしれない。あるいは宗教の教祖にハマることも「推し活」の一環になるかもしれない。

 「彼をナンバーワンホストに引き上げるために「推し活」しているの」

 こう表現すれば本人の罪悪感も、周囲の警戒感も緩くなってしまう。
 
 メディアのみなさんには是非とも「推し活」という表現を2.5次元である「アイドルまで」に留めてもらい、三次元に転用されないよう意識してほしいと願う。

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