富山での2年半 多くの経験と挫折とこれから
こんにちは☀️🌙
最近、ラジオ出演や住んでいるシェアハウスに関して雑誌の取材、もろもろイベントの登壇の機会を多くいただき、あと一応就活生ということもあって(3年後期)、これまでの経験やそこで得たことを体系的に記録する必要が出てきました。
入学した時からこれまで、きっともっと記憶があるうちにできたら良かったんですが、近い将来への見通しもついてきたこの時期だから(あと誕生日も迎えた👏)冷静に振り返ることもできるのかなとも思い、ちょっとまとめていこうかなと思います。
超個人的なことではあるんですが、読んでいただけたら嬉しいです。
富山に決めた理由とモチベーション
3年前の今頃、まさか隣県に大学進学するとは思っていなかった頃、私は自律神経失調症をこじらせ、変な痩せ方をした女子高生でいました。当時の自分の苦しみをもうありのまま思い出すこともできないけれど、受験勉強もそれ以前の生活もしんどくて、学校に行けない日も続き(本当に留年しそうだった)、毎日がぎりぎりの状態でした。
前期試験で別の大学を受けたんですが落ちてしまったので、担任にとりあえず薦めてもらった富山大学人間発達科学部に進学、合格した時はその学部で何を学べるのかも説明できないくらい、流されるまま富山での一人暮らしをスタートさせました。
今でこそこんな風に振り返ることができるけれど結構笑えないですね…、、
とりあえず大学入試の壁は乗り越え、体調も受験期に比べるとましに。
しかし2021年春に入学したため、世間はコロナ禍真っ最中。大学の授業もほとんどオンラインで、入ろうとしていたサークルも活動が不定期。感染者が出れば当日の予定もキャンセルに。外に出なければまただめになってしまう!と本能的に感じた私は、とりあえず大学のメールに来ていた「Sketch Lab学生研究員」に応募。正直な話、輪の中に居られる活動ができればなんでもよかったんです。
行政が運営する交流拠点で、いわゆる地方創生、まちづくり、もしくは起業といった分野に興味のある学生が集う場所。学生研究員の間(任期が約1年)施設を頻繁に利用することはなかったのですが、ここへの応募がこの2年半の方向性を定める転機となったのかなと思います。
たぶんコロナ禍でなかったら4月から大学のサークルに入り、別の形でキャンパスライフを楽しんでいただろうなと思います。不思議なご縁です。
泊まれる図書館寄処との出会い
学生研究員になって2ヶ月、その頃も体調に波があり、なかなか一歩踏み出せずにいた時に見つけたのが、大学生が運営するゲストハウス「泊まれる図書館 寄処」でのイベントでした。
当時大学3年生だった若女将のもってぃさんと知り合い、次第に足を運ぶように。
English Campや夏祭りイベントに参加したり、ちょっとずつ企画にも関わるようになったり、この場所の温かい雰囲気と人が好きで、大学1年の後期からスタッフとして関わるようになりました。
落ち込むこともほとんどなくなりました。この頃関わってくれた寄処の方々には感謝してもしきれません。
1年生の3月にスタッフを辞めることにはなるのですが、それまでの半年間、読書会の企画運営や基本的な接客業務、中学や高校の同級生も宿泊しにきたり…、たくさんの素敵な思い出がありますし、スタッフをやめてからは友達とお客さんとして宿泊することもありました。
また、歴代管理人のもってぃさん、りえさんはじめかっこいい先輩方から多くの学びと刺激を得た期間でもありました。もっと多くの方にこの場所を知ってもらうには、富山を盛り上げるには、など、地方創生の分野にも踏み出しました。
HATCHスタッフとしての2年間
寄処によく顔を出すようになった頃、「HATCHのスタッフとしてバイトしない?」とのお声がかかりました。
どこかに足を運べば、芋づる式に新しいヒト、モノ、コトにアクセスできるようになるのが富山の良いところかなと思うのですが、富山市の情報や人の拠点となっている場所の一つがここHATCHです。
この場所で得たことと、ここのコミュニケーターである富山オタクことちゃんの存在があまりにも大きすぎて、また別記事で紹介しようと思うのですが、「HATCHでやってきたこと」「HATCHをきっかけに繋がったこと」を簡単に紹介しようと思います。
●HATCHでやってきたこと
HATCHスタッフとしてのアルバイトは、基本的に夕方の時間、スタッフとして受付業務や掃除、SNS運営をすることが主なのですが、その他にもイベントの企画や運営、掲示物の作成など、やる気次第でどんなことにも挑戦させてもらえます。
学生スタッフも増えたので、シフトの時間は減ったのですが、まだまだ古株として(笑)富山に小さなインパクトを与えられるような活動を続けていきたいと思っています。
●HATCHをきっかけに繋がったこと
コワーキングという特性上、行政、民間問わず様々な方がいらっしゃいます。雑談からあれやってみよう、これしてみようとなってみることもしばしば。ありがたい限りです。
特に大きなチャレンジとなったのが、富山県の公式会議である成長戦略会議に、学生唯一の委員として会議に出席、公開カンファレンスでのセッションの出演をしたこと。
まちづくりやブランディングのプロフェッショナルの方々(感銘を受けた本の著者さんも…!)とミーティングでご一緒させていただくなんて、ある意味学生じゃなければできなかったなと思います。
でも(当然なんだけど)会議が本格的すぎて、自分なんかいなくてもと思い先輩に泣きついたこともありました。きっと私が会議に出席する意味なんて本当はそんなに大きくないんですが、それでも与えられた役割を自分なりに解釈する必要性は学べたかと思います。背伸びした意見を言うのではなく、「学生」「女性」としてのカテゴリーがどう現状を見つめているかを素直に言うということは、(立場上ね)自分にしかできなかったのかなと思います。
また、ちょっと毛色は変わるのですが、HATCHをきっかけに継続的なお仕事もいただけました。昨年の9月から、富山の瓦業者さんが発行している情報誌を発行しています。毎月A3両面を作っているのですが、「瓦に関係なく、お得意さんに楽しめる記事を」という先方のご意向のもと、かなり自由に作らせてもらっています。
テーマから構成、取材、制作まで1ヶ月で全てしなければいけないので、最初はひーひー言っていたのですが、1年やっているとかなり慣れてきたかなと思います。
この経験で大学の発表資料ひとつとっても丁寧に作るよう意識が変わったので、手を挙げてやってみてよかったなと思います。全く未経験の私に任せてくれた瓦業者さんには頭が上がりません。
先述したように、HATCHは起業支援の施設ですが、そもそも富山県の政策では起業に重点を置いています。今年の3月には、他のHATCHを利用している学生たちと「富山県 起業・ビジネス研修」に参加。2週間、アメリカのオレゴン州ポートランド、カリフォルニア州シリコンバレーに滞在、アントレプレナーシップとは何かについて学び、ビジネスプランを考えるという実践を行いました。
この期間、自分の不甲斐なさに涙が止まらなかったり(すぐ泣く)、自分が今後どうしたいのかについて真剣に考えたり、その結果きっと起業やビジネスをするわけではないんだろうな、と思ったりもしました。
なんとなくでもこれは自分ではないな、と思うことを探すことで、少しずつ将来ありたい姿を模索できたのかなと思います。
HATCHでは本当にたくさんの大人の方々や何かに挑戦している学生とつながることができています。かっこいい人たちのかっこよさの所以を吸収しながら、自分なりの理想の20代、30代が見えてきているような気がしています。
まちなか暮らしを始める
大学2年になって、「まちなか学生シェアハウスfil」の案内が届きます。
シェアハウスができる前に募集がかかり、先行入居者として昨年の11月からここでの生活を始めています。近くにHATCHなどもあり、3年生から授業も減るのでわざわざ大学の近くに住む必要もないと思い、即入居を決めました。
他の入居者が素敵な人たちばっかりなので、ストレスを溜め込むことが少なくなくなりました。季節のイベントごとの交流会や小旅行など、充実したシェアハウス生活を送っています。
filがきっかけで、密かにやりたいと思っていた新聞連載、ラジオ出演も叶えることができました。県や市の方々とも交流の機会が増え、より実感と知識を持って富山という地に関われているのかなと思っています。
↓これまで執筆してきた記事
↓富山シティエフエム「vigorノ広場」内での放送
また、ご近所さんとしてのご縁、そしてfilに住む前から映画やミニシアターが好きだったこともあって、まちの映画館「ほとり座」さんで、cinema student club(通称CSC)という団体のメンバーをしております。
「cinema student clubの放課後ラジオ」への出演や、フリーペーパーの記事制作など、立ち上げのゆうさんに(精神面含め)色々助けていただきながら、のびのびと活動できています。
そして11月26日には、開催テーマや出展団体などのコンセプトから、裏方まで主体となって取り組んでいるイベント「富山まちなか学生EXPO2023」が総曲輪グランドプラザにて開催されます。
filができて1年というタイミングで、入居しているかに問わず、学生が出展する大型文化祭です。絶賛追い込み中でございます。CSCでは公開ラジオ収録もいたします。また正式にこちらも告知できたらいいなと思っているので、チェックしていただけると嬉しいです。
富山以外でしてきたこと
ここまで(約5000字!)富山でやってきたことを振り返ってみました。
他にもお世話になった場所は多くあるんですが、主体的にやらせてもらっていることをピックアップして書いています。
多くの人に支えられて、贅沢な2年半を過ごさせてもらった分、お世話になった方々に絶対恩返しをしなければ思っています。何十年後になるかはわからないんですが、もっと成長した姿でいつか富山に帰って来れたらなと思っています。(まだ出ていかないけれど)
富山での活動のほか、興味や好奇心からいろんなところに行ったり、プロジェクトに参加したりしてきました。視野を広げるにあたって県外での活動は全て本当に有意義なものだったと思います。
環境省の方々との福島視察(2022年、2023年)
福島には大学生になって3度訪問する機会があり、福島第一原発事故から12年、中間貯蔵の現状と未来など、言葉を選ばずに言えばあまりにもグロテスクな現実と向き合うきっかけを与えてくれました。社会人になってもなんらかの形でこの地と関わり続けたいと思っています。
日中学生会議への参加(2023年)
今年、私にとって大きな転機となった日中学生会議。日中両国のチャーミングでバイタリティあふれる参加者との出会いは、人生の財産となりました。
日中学生会議と福島めっちゃ好きな話はまた別の機会にゆっくり振り返れたらと思います。
これまで書いてきたことはほとんど同時進行で起こっていて、filで活動しながらHATCHでアルバイトをして(他にも常時3、4個アルバイトや業務を受けていて)、夏はインターンのESとWEBテストラッシュで、もちろん大学もあって、、みたいな時には流石にげっそりしたり、少しずつ溜まっていくストレスで病んでしまったり、腐ってしまう時期もありました。素敵な人、かっこいい人と出会えたこと以上に、そうじゃない人ともたくさん出会ってきたし、成功体験の倍以上失敗しました。
自分を見失うくらいしんどいことなんてないに越したことはないと思っています。まだ若いんだからたくさん挫折したほうがいい、学生のうちに失敗しておくべき、そんな意見も理解はできるんですが、過ぎた痛みは過小に認識されがちで、今の自分の等身大の悩みを等身大に理解してくれる人なんてなかなかいないじゃないですか。
それを回避するのは甘えではなくリスク管理じゃないのかなと思います。
これから
この2年半、結果的に私は運と巡り合わせに恵まれ、辛いことや自分に嫌気がさすこともそれなりに経験しながら富山での大学生活を最大限味わえたのかと思います。
自分で言うんですが、色々活動していると「意識高いね」みたいに言われることも多くあって(いやだ)、就活のために色々頑張ってるね〜っていうニュアンスを節々から感じるんですが(就活のためだったらとっくにやめてるよ!愚痴ってごめんなさい!)、切実に、自分の興味あることを、たまたまこの2年半地域創生に据えていただけで、今後数年間はちょっとずつ違うテーマに取り組んでいきます。現在は向こう3年の計画中です。
お世話になった方々への感謝を忘れず、ありのままの感情を見過ごさず、これからも精進していくので、どうかどうか温かく見守っていただけると幸いです。
月並みで若干尻すぼみな終わり方で申し訳ないのですが、ここまでお読みいただいた方、本当に本当にありがとうございました。noteの使い方も模索中なのですが、他に記事が上がった際にはまた覗いてもらえると嬉しいです。