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お願いの期限

幼い頃、私はお願いを、した。

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

…祖母は、自分の衰えを、小さな孫に語ることが多かった。

若い頃は何でもできたのに。
若い頃は幸せだったのに。

年をとることはつまらないことだ。
年をとることは、死に向かっているということだ。

人は誰でも死ぬ。
人はみんな苦しんで死ぬ。

死んだら終わり。
死んだら何も考えられなくなる。

1人で死ぬということを覚えておきなさい。
1人で痛みに悶え苦しむことを覚えておきなさい。
1人で死ぬことは本当に怖いことを覚えておきなさい。

小さな子供に死の恐怖を語った祖母は、おそらく自分が一番怖かったのだ。
その恐怖を、孫に分け与えることで、自らの平穏を得ようとしたのだ。

「一緒にあの世に行こうね、そうしたら、怖くないから。」
「おばあちゃんが一緒に死んであげるからね。」

ことあるごとに言われて、私はそのたびにうんと言った。
ことあるごとに言われた私は、祖母と共に死ぬことを願い続けた。

何も知らない幼い日々は過ぎ、やがて私は物事を知るようになる。

共に死んだところで、意味がないことを知る。
自分の命は、誰かと共に終えるものではないと知る。
1人で死ぬことは、怖いことではないと知る。
死は、人に必ずあるものだと、知る。

……ずいぶん大人になって、幼い日の願い事をふと思い出す。

お年玉から100円抜いて、神社のさい銭箱に放り込みながら願ったあの日。

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

七夕の短冊に、一生懸命書いた願い。

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

願い事を書いて風船に託し、大空に飛ばした願い。

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

綺麗な虹がかかった時に、目を閉じて祈った願い。

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

流れ星が落ちた瞬間、願うのはいつだって。

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

「お願いします、私をおばあちゃんと一緒に死なせてください。」

……私は、何度、願った?

祖母の命の終わりが見えかけたころ、私は幼い日の願い事を思い出さずにはいられなかった。

私の願いは、届いているのではないか。
私の願いは、今もなお叶えられようとしているのではないか。

なぜ私はこんなことを一生懸命願ってしまったのだろう。

叶うかもしれない。
叶ったらどうしよう。
叶ってほしくない。

日々弱ってゆく祖母を目の当たりにし、幼き日に心から願ったことを思い出す。

泣きながら一人で死ぬのは嫌だと願った、あの頃の、私。

いつのころからか、願い事をしなくなっていた、私。

…それは、おそらく。

願い事が叶ってしまったら、私は祖母と共にこの世を去らねばならないと思い込んでいたからだろう。

願いが叶うことは、私にとって、恐怖の始まりでしかなかったのだ。

友達が、好きな男の子と仲良くなるためにおまじないに夢中になっている頃。
私は、願いを持つことすらせずに、ただひたすら生きていた。

同級生がこぞって合格祈願をしている頃。
私はただひたすらに、問題集と向き合っていた。

たった一度、願ったことが叶うというのであれば。
たった数回、願ったことが叶うというならば。

何十回も、何年も、あらゆる場所で願い続けた願いは…叶うのではないか。

何も知らない幼い自分は、ただ純粋に…恐怖から逃げようとして、叶えてはならない願いをしてしまった。

……何も知らない幼い自分の、純粋な気持ちを、受け入れてくれる存在がいたとしたら。

願い事の期限は、いったい、いつまでなのだろう。

私の願い事は、いつまで有効なんだろう。

私はもう、おばあちゃんと共に命を終える事を願ってはいない。
けれども、かつて真剣に願った気持ちは、もうすでに神様に届いているのではないか。
神様は、私の願い事を叶えようとしているのではないか。

そういえば、私は、もうおばあちゃんと共に命を終える事を望んでいないと明言していない。
そういえば、私は、長生きしたいと願っていない。

寝る前に、自分の鼓動を確認するように、なった。

私はまだ生きているか。
祖母はまだ生きているか。

私の願いは叶うのか。
私の願いは叶ってしまうのか。

私は、いつまで生きていることができるだろうか。

祖母の終焉は、唐突に訪れた。

私はその時、普通に生活をしていた。

ああ、私の願いは叶わなかった。

……もう、叶うことはないのだ。

願い事が叶わなくてよかったと、心から安堵した。
願い事は、叶わないものなのだと、心から安堵した。

ずいぶん、願わない人生を…過ごしてしまった私は。

願い事のしかたを、知らない。

願いたいことが、見つからない。

願うことが、できない。

願ったところで、叶わないと、知っている。

…何もできないまま、ただただ、毎日を過ごしている。

いつもウォーキングで訪れる神社で、いつものように、手を合わせ。
いつものように、この場所を訪れることができた感謝をする。

私にとって、神社とは…願い事を言う場所では、ない。

日々の無事に感謝し、そのお礼を伝える…場所。

長年の習慣は、簡単には、変わらない。
長年の思い込みは、簡単には、変わらない。

……けれど。

変わらない、状況を、変えるために。

私は、願い事を、してみようと、思ったのだ。

「願い事ができるような人生を歩めますように。」

私は、変わることができるのだろうか?
私は、何かを願えるようになるのだろうか?

…胸の前で合わせた手の平が、やけに、熱い。

私の、願いは、叶うのだろうか?

私は、私の願いがどうなるのか、その答えを知るために生きていこう。

幼き日の私に、恐ろしい言葉を吐いた祖母が、すべてを忘れてたった一人でこの世を去ったように。
私もまた、いつか…願い事をした日をすべて忘れ、たった一人で、この世を去る。

その日まで、生きて、行こうと。

生きて、行こうと。

・・・忘れて、しまうけれども。

願ったことも。
願わなかったことも。

叶わなかったことも。
叶ったことも。

願い事など。

願い事、など。

願う、ことなど。

…胸の前で合わせた手の平が、ずいぶん、熱い。

どこかで、あきらめている自分が、いる。
どこかで、叶うはずがないと信じる自分が、いる。
どこかで、結局意味がないと投げ出す自分が、いる。

叶ったところで、忘れてしまう。
叶わなかったところで、忘れてしまう。

けれど、それは、いつか訪れる瞬間であって。

…今では、ないのだ。

今、一番忘れたいことが、あるというのに。

…忘れてしまいたい。

私は、忘れることを、望んでいる。

「いやな事を、忘れることができますように。」

願い事は、あった。

あったのだと、気が付いた。

私の望みを、願えば、いい。

私の、望むことは。

「願い事が、叶いますように。」

「最後まで願うことができますように。」

「自分の人生を生きることができますように。」

「誰かの人生に巻き込まれませんように。」

「過去の出来事に囚われませんように。」

「未来に希望が持てますように。」

「素直な感情を表せますように。」

「笑うことができますように。」

「泣くことができますように。」

「できないと言えるようになれますように。」

「逃げ出すことができますように。」

「思ったことが口に出せますように。」

・・・・・・・。

時間を忘れて、願い事をし続けた私は、ずいぶん暗くなった風景に…はっと我に返った。

…胸の前で合わせた手が、やけに、冷たい。
…指先が冷えている。

私はこんなにも、願い事に夢中になっていたというのか。
私はこんなにも、願い事をもっていたというのか。

しかも。

願いはいくつか、叶って、いる。

たった一度、願っただけなのに、こんなにも簡単に、叶って、しまった。

私の、願い事が。
こんなにも、簡単に。

簡単に叶ってしまう願い事は、この世界に溢れているにちがいない。
簡単に叶わない願い事も、この世界に溢れているにちがいない。

私は、明日も必ずこの場所で願い事をしようと決めて…神社をあとにした。


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