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チャレンジマラソン

「マラソン大会?……いやあ、無理でしょう、私は素人だし、とてもとても。」
「いや、この大会はね、初心者用の大会なんだよ。ほら、ここに時間制限なしって書いてあるでしょう。」

 とある日曜、私は体育振興会の役員さんからマラソン大会のパンフレットを手渡されていた。

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 新春チャレンジマラソン
 マラソン初チャレンジの方必見!
 初心者向けの大会です!
 時間制限なし!
 3キロ、5キロ、10キロ部門募集!
 ジュニア部門、青年部門、中年部門、シニア部門あります!
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 私が毎日趣味でジョギングをしている事を知っている近所の人が、わざわざ家までパンフレットを持ってきてくださったのだ。

 もともと運動嫌いでインドア派だった私が…ダイエットと健康維持のためにウォーキングを始めたのは、五年程前のことである。
 ド素人ながら歩く距離を伸ばし、たまたま立ち読みしたマラソン入門のエッセイに感化されてジョギングを始めた。

 はじめて走った時は200メートルの距離でも息が切れて…とてもじゃないが、ジョギングなんてできないと思ったのだが。毎日地道に走る距離を伸ばし、今では毎日5キロの道のりを走り切ることができるようになった。いつも走っている公園を三週回るとちょうど五キロになるので、晴れている日は毎朝走っている。

「一回大会に出るとモチベーションが上がるよ、出てみたらどう?出店なんかもあるし、ご家族でぜひ。」

 正直、好奇心旺盛の血が騒いだ。

 私はなんだかんだ、あたらし物好きの未経験チャレンジに目がない無鉄砲者なのだ。やらずに後悔するくらいならやらかして恥を重ねたい、わりとかなりそうとう失敗も多いがごくまれにめちゃめちゃ充実感に浸れるようなタイプなのだ。

 子供の頃は体重過多で、大人になってからも運動から逃げまくり、この手の運動イベントに一切かかわったことがない。……今ならもしかして、運動イベントを楽しめるのかもしれないと思ってしまったのだな。

 私は、マラソン大会の申込用紙に記入をしましてですね。

「お母さん頑張って!お父さんは食べ歩きに精出すわ!!」
「お母さんの分まで豚汁食べとくわ!!」
「がんばって。」

 家族の応援を受け、初めて陸上競技場に足を踏み入れた。

 観客席には、人がぼちぼち。
 グラウンドの上には、人がわんさか。

 今まで、自分はいつだって観客席側にいた。冷たい椅子の上に冷えた尻をのせ、腕を組み組みカイロをもんでオペラグラスを片手にグラウンドを見下ろしていた。……わりと下から見る風景も圧巻なんだなあ、へえ、こんな感じにスポットライト?があたってるのか、スクリーン結構小さく見えるな、結構下はスタッフがいっぱいいるんだね、ビール売りのお姉さんがいる、寒いのに売れるのかなって売れてるな……。

 きれいなゴムグラウンドの上には、スタイリッシュなランナーたちが溢れている。グラウンドの上から望む観客席がやけに小さく見えるのは気のせいか…、あれかな、観客席からグラウンドを見下ろすと小さく見えるような感じなのかしらん。グラウンドは人がいっぱいいるわりにやけに広々と感じるんだよなあ。

 放送の音が大きく聞こえるし、ずいぶん風が冷たい。吹き付けるかぜを遮る壁も何もないからか。テレビカメラもある、やけにカメラマンがいる、あちこちでアップをしている人がいる、ちょっと待て、なんかやけにこう……プロっぽい人ばかりいるけど気のせいか。

「ヤバイ、私今日30分切れるかな?」
「30分は切りたいなあ……。」
「この前は25分だったんだけどさあ!」
「……。」
「あのおばあちゃん最年長ランナーだって!すごいよね、70歳で50分だって!」
「シニアからスタートでしょう、一緒にゴールできるかもね。」

 スタートまであと五分、まわりの参加者の声が聞こえてくる!!

 ちょっと待て、五キロを30分?!
 この大会、初心者向けって言ってなかった?!

 五キロなんて私いつも一時間かけて走ってるんですけど?!
 全然初心者向けじゃないじゃん、チャレンジじゃないじゃん、プロばっか参加してるじゃん!!!

 道理で周りに私みたいなキャラTシャツ&ジャージのおばさんがいないと思った、明らかに私…、浮いてる!!
 みんなすっきりシャレオツな美女ガースタイル、ドコにも首にスーパー銭湯のタオルひっかけてる人が……いない!!

 《《それでは一般女子40歳以上の部、スタートしまーす!》》

 パァン!!

 いまさらやめますというわけにもいかないので、腹をくくって走り始めた。

 くそう、こんなハイペースで走ったことがない!!いつものゆっくり走行なにそれおいしいの状態で、ランナー達の後を追う私、私ぃいいいい!!!

 グラウンドを一周して競技場から外に出て、田舎道をとっとことっとこ走る私!

「おっ!!クマモソがんばれ!!」
「クマモソ!!ふぁいっ!!」

 キャラTを着ているので、路上で応援してくれる人がばしばし声をかけてくださる!!

 ありがたいがとても返事を返す余裕が……ない!!!

 息は上がり足はもつれ、ただただ人々の応援を受けて前に進む時間が流れ!!

 いつの間にやら私の後ろには、最後尾を知らせる自転車のおじさんが!

「ゆっくりでいいよ~、時間制限はないんだから。」

 並走状態なのが微妙に気になる、いつも一人ぼっちで公園を走っているので、誰かが自分のスピードに合わせてくれているというこの状況が…非常に、ストレスだ!!!

 だがしかし、この並走を振り切るだけの技量は私は持ち合わせてなどいない。なぜならば、初心者マラソンという触れ込みのくせして、初心者は私しか参加していないからだ!!

 呼吸法も知らない、走り方の基本すら学んだことのない完全自己流ランナーである私は、手の振り方も足の上げ方もド素人丸出しでゴールを目指した。ようやく見えてきたグラウンドには、他の部門の皆さんが続々とゴールをしている。

「ハイ!ラストぉー!!」

 自転車のおじさんの声に、ラストスパートにならないダッシュをする私!!一刻も早くこの生殺し状態を抜け出したい、早く豚汁食べたい、あったかい服を着てぬくぬくしたい、足を投げ出して大の字になりたい、スーパー銭湯に行って汗を流したい、酒を飲んでべろんべろんに酔っ払ってすべてを忘れてしまいたいいいいいいいい!!!

 自分にこんな力が残っていたのかを思うくらいのスピードでゴールを目指して駆け出した私の目に映ったのは!

 前方でやけに人に囲まれて走っている…最高齢ランナーのたすきをかけたおばあちゃん!!うわああああ!!!めっちゃカメラマンが狙ってる、テレビカメラもいる、ちょ、こんなん一緒にゴールできないやつじゃん!!!でも…いまさら・・・止まれん!!

 私はおばあちゃんと並んでゴールをし、微妙な感じにですね。

 ちなみにゴールタイムは42分23秒、普段ぼてぼて走っているわりには、早かったと自分では思ったんだけれども。中年女子の部で優勝した人は19分というからもうね、体の作りが違うとしか。

「お母さん見てたよー!びりだったね!!めっちゃ目立ってたよ、良かったね!!」
「お母さんすごいじゃん!!ちゃんと走りきった!あたし救護車に乗っちゃうんじゃないかって心配してさあ、食欲湧かなくてクレープとじゃがバタとチョコバナナしか食べられなくて!よーし、心配の種なくなったからキンパとますの寿司とワッフルドッグとタピオカかお!!」
「おつかれさま。」

 感想賞を貰って観客席に向かうと、やけにつやつやとした家族が出迎えてくれた。褒められてんだか貶されてんだかよくわかんないな、もう……。

 結局大会の次の日からひどい筋肉痛になって、なかなか体調が戻らないまま走ることをやめてしまったのだなあ。

 今ではウォーキング一筋になって…もう五年、いや、六

 ゴールしたときの、見ず知らずのおばあちゃんと並んで写っている写真は、今も自分の部屋の壁に輝いているわけだけれども。

 また走りたいなあと、ふと思うことがある。

 あの時一緒にゴールしたおばあちゃんは、55歳でマラソンをはじめたと言っていた。私は腐ってしまったけれども、走っていた過去があるし、まだぼちぼち若い。今からまた走り始めたら、いつか順位を気にしないで気持ちよくゴールできるようなシーンに出会えるかもしれない。

 ……久しぶりに、走ってみようか。

 そうだな、走ると決めなくても、走れる準備だけしておいて、気が向いた時に走ればいいんじゃない?

 私は、買い物帰りにランニングシューズを見に行くことを、決めたのであった。


いわゆるスロージョグをしていたのですよ。

ちなみに、ジョギングを始めようと思ったきっかけとなったコミックエッセイはこちらです。


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