落ち葉
※こちら冬に投稿したものの改稿版になります※
……ああ、もうすっかり秋の終わりだな。
毎朝通う公園の光景が、すっかり暖色系に染まっている。
足元には、色とりどりの落ち葉が折り重なっている。
遠くに見えるのは銀杏の木かな?
手前に見えるのは紅葉だな。
桜の木の葉っぱが落ちて枝だけになっている。
春まで君は…吹き荒ぶ冷たい風に震えるのだね。
うーん気の毒……。
遠くに視線を飛ばしてみたり、近くを見上げたりして、季節の様相を楽しませていただく。
足元がやけにふかふかとしているのは…、落ち葉があたり一面を覆っているからか。時折足の裏に小さな塊を感じるのは、どんぐりの仕業だな。
赤、茶、黄色の、落ち葉。
きれいだよなあ…。
いい色だよなあ…。
私は秋の色合いが、かなり、好きだ。
黄色と赤、茶色が混じる感じがとても好きで……、やたらと絵に描いていた時期があった。スケッチブックに葉のない木を一本描いて、そこに思いのままに絵の具を置いていくという事にハマったのだ。
筆の先を使って、一枚一枚の葉を描くように色を重ねて。
指の先に絵の具を乗せて、一枚一枚の葉を置いてゆくようにして。
消しゴムハンコで葉を作り、一枚一枚の葉をスタンプしながら色の融合を楽しんで。
自分の描いた、自分が生み出した秋の色。
自分の世界が、スケッチブックの中を彩った。
自分の世界が、スケッチブックの中に集まった。
自分の世界が、スケッチブックの中で自由に枝を広げていた。
その、自由で、賑やかで、色鮮やかな世界に…自分を、入れてみたくなった。
木の根元に、一人、二人。
自分の肖像ではない、自分がなりたい姿を描いた。
こうなったらいいな。
こうなりたいな。
こうなるには。
色んな気持ちを乗せて、一人、二人。
こうなれますように。
こうなりたい。
こうなる。
いつしか、スケッチブックは、私の大切な宝物になった。
大切に、大切に、学習机の奥にしまっておいた。
――何これ!変なの!秋なのに半そで?!馬鹿じゃないの!
――こんな木あるわけないのに!常識を知らない子だねえ!
学習机の引き出しにしまっておいたスケッチブックを、几帳面な祖母に見られてしまった。
机の上に置きっ放しにされていたスケッチブックを、神経質な母親に見られてしまった。
――へたくそな絵だねえ!才能ないんだから絵の具無駄に使うな!
――こんなの描いてるからいつまでたってもあんたは頭が悪いんだよ!
一瞬で、自分の宝物が…ゴミクズに変わる。
私の世界は、無駄なもの。
私の世界は、必要とされないもの。
私の世界は、家族に蔑まれる原因となるもの。
――せっかくもらったスケッチブックなのにこんなもん描いて!
――もう使えないよ!捨てて!
スケッチブックは、夏休みの作品募集のポスターを描いて、参加賞で貰ったものだった。いざというときに使うから、勝手に使うなと言われていたのだ。……絵を描いてしまったから、もう、捨てるしか、ない。
――廃品回収の日に出すから針金抜いといてよ!
ゴミクズをまとめている針金を取らなければいけなかった。
表紙を破り、中身を破り。
新聞の重ねられている棚に、バラバラになったゴミクズを置いた。
ゴミクズをまとめていた針金は、鉄ゴミの回収のドラム缶に放り投げに行ったことを…思い出す。
「服、脱いでいい?」
「あ、うん、…寒くなる前にちゃんと着るなら。」
息子の声を聞き、我に返る。
汗ばんだ顔でこちらを見ている息子は…半そで姿だ。
今しがた健康器具コーナーで腹筋やらツイストやら垂直跳びやらやっていたので、脂肪が煮えたぎって熱いのだろう。
……秋だろうが冬だろうが、半そでの人はいるってね。
……赤色に黄色に茶色、派手な色を持つ木々はあちこちにあるってね。
……描きたい気持ちにへたくそも何もないんだよってね。
……使わずに固まった方が絵の具はもったいないんじゃないのってね。
……頭は悪いかもしれないけどさ。
……スケッチブックは、描きたいと思った時に使うもんなんだよ。
……どうして自分のモノじゃないのに捨てることを決定するんだよってね。
あー、いかんなあ……。
イヤな記憶ってのは本当にいつまでも残ってるもんだ。
イヤな記憶ってのは本当に腹立たしさを呼ぶもんだ。
……こんなにきれいな景色なのになあ。
「あの木、きれいだね。」
息子が指差す先に目をやると、真っ赤に染まる紅葉の木と、遠くに見える黄色い木が重なって見える。
「ホントだ!…そうだ!写真撮っていこう!!はい、君ちょっとあの木の下に立ってくださいな。」
「はい。」
ほっぺたの赤い息子を紅葉の横に立たせて、写真を一枚。
赤い木、黄色い木、赤いほっぺの子ども、水色の空、青い半そでTシャツ、茶色い落ち葉、緑色の芝生、焦げ茶の木の幹に……。
遠い記憶の彼方に消え去った、宝物であったスケッチブックの絵がふわりと思い出される。
……あの日失った絵を思い出す、一枚の写真が、今。
「ふふ……。」
……なんだ、こんなところに。
思いがけず、笑いがこぼれた。
「きれいだねえ。」
スマホをのぞき込み、にこにこと笑う息子を見て。
……私もニコニコと、微笑みを返したのであった。
子どもは大人の不満や怒りを向つけるために存在しているのではないのですよ。あたたかい気持ちになれる瞬間を何度も何度も無償で与えてくれる存在なんですよ。
親と自分と自分の子どもは別の存在。親に嫌な事をされたからといって自分が同じことをする必要はないし、子どもはただただ無垢で何も知らずに真っ直ぐな感情を向けてくれるのです。癒されていけるかどうかは、自分次第なのだと個人的には思っています。
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