よせよせ男
うちの課には、よせよせ男がいる。
何かにつけて、人の行動を阻害するのである。
何でもかんでも、人の行動を否定するのである。
「この企画なんですけど。」
「よせよせ、どうせうまくいきっこない。」
「新しい資格を取ろうと思ってね。」
「よせよせ、どうせ取れっこない、アレは難しいんだ。」
「痩せようと思ってジムに通い始めて。」
「よせよせ、どうせ飽きてぶくぶく太るんだ、金がもったいない。」
「引っ越しを考えてるんですよね。」
「よせよせ、どうせ行った先でトラブルに巻き込まれる。」
「今更だけど英会話習い始めたんだよ。」
「よせよせ、どうせ頭が悪いんだからすぐ忘れるんだ、無駄な事するなあ。」
チームワークを要する職場で、コミュニケーションを深めて絆を深めようとする同僚達を、これでもかと切って捨てる、空気の読めない、非常に仲間達の頭を悩ませる存在なのである。
「全くあのよせよせ男はどうにかならんもんかね。」
煙草を吸わないよせよせ男が絶対にやってこない場所、喫煙所にて本日も第二課の愚痴大会が開催されている。
参加者は部長と俺と、事務担当の古川さんと最年長者の小柴さんに同期の深瀬君。
「昨日なんか浦辺さん化粧品の選び方まで否定されてて気の毒だったもんなあ…。」
「坪内さんが慰めてたけど、結局甘やかすのはよせで終わってたんだ、あそこまで徹底してるとむしろすごいよ。」
「部長、あの人どうにかなりませんか。」
相当に毒をまき散らし、かなりの被害者を出しているのだが。
「まあ…仕事は優秀だからなあ。話しかけなければ被害は発生しないんだ、遠巻きに見守るしかない。」
そう、実に不思議なことに、よせよせ男の仕事能力は、実に優秀なのである。
話しかけなければ、よせよせ男はただ黙々と仕事をこなしている。
仕事の速さはピカイチで、その正確さは類を見ない。
やけに仕事のできるよせよせ男は、うちにの課には絶対必要な人材であったのだ。
「まあ、愚痴は聞くから。つまらない争いを起こして今の業績を壊すようなことは良くない。無難に、落ち着いて、腹立たしいことはスルーしていこう。」
「争ったところでよせよせで返されて終わりますもんね。」
「そうだな、無駄な言い争いなんて、よせよせってね・・・。」
争いごとを好まない穏やかな人が多いから、第二課はきっちり回っているとしか思えない。
気に入らない人はいるけど、俺はこの課が・・・ずいぶん、気に入っている。
「今日からお世話になります、よろしくお願いします!」
四月、新入社員がやってきた。
うちの課には珍しい、新卒の青年だ。
果たして、誰が指導する事になるのかと、第二課総勢8人で部長を見つめる。
「指導係は漆川君にお願いする事にする、よろしく頼むよ。」
「わかりました。」
まさかの、よせよせ男ご指名に、一瞬、6人の目が泳いだ。
大丈夫なのか、新人潰しになりはしないのか、それぞれがニコニコと笑う青年の身の上を案じた。
「漆川さん、お願いします!」
「よし、こっちにこい。」
「漆川さん、確認お願いします!」
「よし、OKだ。」
「漆川さん、次なにやりますか!」
「よし、これをやれ。」
ところが、どうしたことか、やけに馬が合っている。
黙々と仕事をこなすタイプのよせよせ男と、ただ実直な新人君は実にしっくりとかみ合っているのだ。
このまま穏やかに時が過ぎてゆくことを信じていた第二課のメンバーだったのだが。
「漆川さん、これやらせてください!」
「よせよせ、お前にはできっこない。」
ついに、よせよせ男の本領が発揮される日がやってきた。
秋も深まる頃、イベント企画の立案会議でついに発動されてしまったのである。
「できるかできないかはやってみないとわかりませんよ!」
「よせよせ、どうせ失敗して落ち込むんだ、諦めろ。」
やけに力の入る新人君をハラハラして見つめる第二課メンバー。
「失敗は成功のもとって言ってたじゃないですか、やらせてくださいよ!」
「よせよせ、もとかもしれんが成功するとは限らんだろう、お前は温泉の元にそのまま浸かるのか?温泉の元は湯があって、入る人がいて温泉になるんだ、それでもなお温泉そのものではない事実があるんだ、お前はちゃんと湯に浸かれると思っているのか?湯の沸かし方も知らんくせに!!」
やけに饒舌なよせよせ男の物言いに、固唾を飲んで見守る第二課メンバー。
企画書を握りしめ、への字に口を閉め。
ああ、新人君も、これで漆川さんのよせよせに沈み込むのか、気の毒に、そんな空気が流れ始めたのだが。
「よしません!これは相当いい企画なんです、漆川さんだけが反対してるんです、多数決を取りましょう、お願いします!!」
「わかった、じゃあ、この企画に賛成する人は…挙手を。」
部長の声に、手をあげたのは一人、二人、三人、四人、五人。
「ほら!!企画立案は通りましたよ!!」
「こんな企画内容を吟味しない安易な多数決はダメだ、強行突破以外の何物でもない!」
企画の賛成をもぎ取った新人君に対して、よせよせ男が苦言を申し立てる。
「漆川さんだっていつも企画強行突破してるじゃないですか!」
新人君の、よせよせ男に対する慣れがそうさせるのか、やけに強引な物言いが続く。
若さって、こういう事なのか…。俺にはもうできない芸当だ。
「俺はいいんだよ。」
「じゃあ僕だっていいんですよ、ねえ、部長!!」
固唾を飲んで、事の成り行きを見守る、第二課メンバー。
「…よし、立花君に任せてみよう。みんな、サポートをきっちりするように。」
かくして、新人君の企画のもと、イベントは運営されることとなったのだが。
「すみません…やっぱり、やめておけばよかったです…。」
人っ子一人いない、駅前に設置された企業展の片隅に、青い顔をした新人君と、第二課メンバーがいた。
新人君の企画したブースはまるで人気がなく、せっかく作った資料も一部として参加者に手に取ってもらえず…ただ立ち尽くすばかり。
「何を弱気な。俺を丸め込んだんだ、最後まできちっと丸め込めよ。なんだ、あれだけ大口叩いておきながらこんなところでちびってんのか?便所行って来い!!!」
よせよせ男は、落ち込む新人君にも容赦はしない。ふらつきながら、新人君はお手洗いに向かった。
「どうします、もう撤退しますか。」
人の来ないブースに6人もの人員を割く余裕はない。やらなければいけない案件が、第二課にはたくさんあるのだ。
イベント開始から二時間、一向に減っていかない山積みのパンフレットを目の前にして、イベント参加組の六人が腕を組んで模索する。
イベント終了まで、人員を割かずにパンフレットのみここに置かせてもらい、残ったパンフレットをイベント終了後に回収に来て…すべて、廃棄することにすれば。
第二課でうんうんうなって練り上げて、ひいひい言いながら仕上げたパンフレットを、誰の手にも渡さずに、廃棄、することに、すれば。
「よせよせ、ここで撤退したところで針の筵だ。」
「でも・・・。」
廃棄は痛い、だが、成果の出ない状況で、人件費を使う余裕はない。次のイベント立案までの締め切りも近いし、手配待ちの企画も複数抱えている。…ほかのイベントで、今回の赤字を補填すればいいのではないか。
切り上げることを覚えるチャンスでもあると、皆が思い始めていたのだが。
「よせよせと言ってやめてしまうくらいの気の持ちようでは、なんでもやり通す事なんかできないんだ。あいつは俺を突破したんだぞ。その気概を、意気込みを、俺たちが認めてやらずにどうするんだ。俺たちが諦めてどうするんだ。あいつだけの企画じゃない、あいつの企画に乗った、第二課全員の総意がここにあるんだ。まだ時間はある、成功するチャンスはあるんだ。」
よせよせ男は、山積みになっているパンフレットをがしりと抱え込んだ。
「どうぞ―!!地元名産品の一覧パンフレットです!!お得なチケット付き!!持ってけもってけ―!!」
でっかい声をあげて、会場内へと、飛び出して行ったのを、第二課の四人は、しかと眼に、焼き付けた。
・・・よせよせ男の、よせよせに隠された、芯のある姿を、第二課の四人は、しかと眼に、焼き付けたのである。
「あの!!僕反対側の改札口のほうに回ってきます!!この山、持って行きますね!!」
青い顔をしていた新人君は、やけに血色のいい顔で走ってブースに戻ってきて、勢いよく飛び出していった。
よせよせ男の雄姿を見て、思うところがあったに違いない。
「俺達も、行くか!」
「そうね、できる事を、みんなでしましょう!」
「私は女性に声かけてきます!」
「俺はここでパンフレットの中身読み上げるか!」
よせよせ男は、第二課のみんなが思い思いにみっともなく声を張り上げているのを、横目で確認していたが・・・一度も、「よせよせ」とは、言わなかった。
「漆川さんはね、ちょっと口下手な、優しすぎる人なんでしゅよー!!」
イベントが終了した週末、反省会もかねて、飲み会が行われることになった。
初の企画運営責任者を何とか無事にこなすことができた新人君・・・もう、第二課の大切な仲間か。
立花君は、相当テンションが上がっていて、かなり・・・大丈夫なのか、大丈夫と思えない。
俺はこっそり、立花君の中ジョッキの中身をノンアルコールビールに差し替えておいた。
「ぼ、僕は一生!!うるしぎゃわさんにちゅいていきまちゅー!!!でへへ!!あれ、間違えた、これは部長だったー!!」
立花君が下戸の部長に抱きついている。
「おい誰だ!!!このどあほうに酒飲ませたのは!!!」
「だから俺はよせといったんだ・・・。」
よせよせ男は節度を守って、日本酒をたしなんでいる。
「漆川さんのよせよせが…まるで効かないなんて。」
「立花君恐るべしだ…。」
「あっ!!こんなところにうるしがばたん、もーはなさないじょ!!!」
よせよせ男が酒乱の大虎に捕獲された。
「おい!!よせ!!よさないか!!!」
「よしませんー!!!」
「あはは!!なにこれ、チョーカオス!」
「ふふ、何だ、よせよせ男も・・・案外可愛いんだね。」
「はは、何はともあれ、もう一回、カーンパーい!!!」
「おいおい!!!もうそれ以上飲むんじゃない!!!」
「ちょ…!!おま、はな、離せ!!よせ、よせっていってんのに!!!」
週末の大衆居酒屋に、第二課の笑い声が響き渡ったのだった。
一部悲鳴のようなものが含まれていた気もするけど…まあ、気のせいだろう。
よせよせ男の毒気が、実は意外と奥が深い事に気が付いた第二課一同は、この一件で…ずいぶん見る目を変えた。
口下手ゆえに、やけに突っかかるような物言いしかできなかったのかもしれない。
照れ屋で、憎まれ口しか叩けないことを、悩んでいたのかもしれない。
どことなく壁を感じていて、寂しがっていたのかもしれない。
よせよせは、よせよせ男の人見知りな本体をがっちりと守るためのツールだったのかもしれない。
よせよせという言葉をそのまま受け取って、適当に流しすぎていたのかもしれない。
よせよせの威力に怯んで、戦う気力を失っていたのかもしれない。
戦ってみれば実は案外・・・平和な和解も、あったはず、だと、気が付いたのだ。
「今度の企画、漆川さんでお願いしようと思います。」
「よせよせ、俺は若さが無いから、活きの良い運営ができない!」
「よしません、よろしくお願いします!」
「今度の忘年会、駅前の『ザクザク』でやりますので、お願いします。」
「よせよせ、あそこはまずい料理しか出さないんだ。」
「よしません、ずいぶん美味い料理もあるんで。」
「営業部から一人来るらしいんですけど、漆川さん指導お願いしますね。」
「よせよせ、俺は指導に向いていない。」
「よしません、立花君立派に育て上げた実績あるでしょ。」
見る目も変えたし、返す言葉も変わったのだ。
最近、第二課では「よしません」が大ブームになっている。
如何によせよせ男を丸め込むか、そこに第二課メンバーの第一目標が存在しているのだ。
「部長、第二課がおかしな方向に進んでいる気がしてならないのですが。」
・・・よせよせ男が部長に苦言を申し立てているが。
「私はむしろいい方向に進んだという認識だけどね。なに、君はどのあたりが不満なの。」
「不満というか…居心地が悪いというか…。」
そわそわした面持ちで部長に訴えているよせよせ男を見た、第二課のメンバーから…やけに元気のいい声が飛んでいく。
「何言ってるんですか、漆川さんがいなきゃ、この第二課は始まんないんですよ!」
「毒の効いた一言がいいんですよ!」
「緩みがちな状況を締める人は必要ですからね!」
「最近返しがぬるいんじゃないですか?」
「優しさが隠し切れなくなってきちゃったんだねえ…。」
「さすが漆川さんです!」
「次期部長は漆川さんですね!!」
「よせ!!現役の部長がいるのに失礼だぞ!!」
いつの間にか、よせよせ男は、すっかり第二課のいじられキャラになっていたのであった。
「「「「「よしません!!!」」」」」
ずいぶん遠慮のない人が多いけれど。
俺はこの課が・・・ずいぶん、気に入っている。