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私は運がいい

 …私には、昔から、微妙に助かる癖がある。

 初めて『助かった』と、しみじみ思ったのは…高校を卒業した年の、秋。

 そこそこ仲の良かった友人から化粧の仕方を教えてあげるよと言われて、喜んでお宅にお邪魔した時の事。

 初めて訪ねた古くて大きなおうちには、バリバリに化粧をしたお姉さんと友人がいた。

「初めてのお化粧、不安でしょう?!今日はバッチリ学ぼうね!!」

 化粧の経験のない私は、ばっちりメイクを施されてさんざんお世辞を言われ…すこぶる気分がよろしくなかった。

 そのまま家に帰してもらえるのかと思ったら、きっちりクレンジングで化粧を落とされ…人様のお宅の洗面台でお肌にいい洗顔方法のレクチャーをうけ、匂いのきついタオルで顔を拭う羽目になって泣きたくなった。せっかく洗ったのに、化粧水に乳液、パックに美容液、ありとあらゆるものを塗りたくられて…べたべたのぬるぬるのてかてかになってしまい、げっそりしている隙に目の前に真新しい化粧品セットがずらりと並べられて…もしかしてこれはやばいのではないかとようやく気がついた。

 輪郭にゴールドの箔押しがしてある高そうな箱、よくわからない英語のロゴ、ゴージャスなガラス瓶。大きな石鹸に泡立てスポンジ、化粧水に乳液、美容液にパック、下地にファンデーション、チークにアイライナー、リップにマスカラ。ずらりと並べられた、化粧品セットを見て、ぞっとした。

「これ全部セットで30万円なの!!めちゃめちゃ安いんだよ、小林さんはバイトしてるからローンも組めるよ、安心してね!あたしもほら、使ってるの!月々5000円払いで負担も少なくて!」

「なおちゃんは高校時代ぱっとしなかったでしょう?でもね、この化粧品を使うようになってからこ~んなにかわいくなったの!マナちゃんもかわいくなれるよ!今日はね、印鑑なしでも契約できるんだ、今すぐ申しこも?ねっ!!」

 今日会ったばかりの、ばっちりメイクのお姉さんに馴れ馴れしく名前を呼ばれて困惑した。学生時代、あまり積極的にものをいうタイプではなかった友人の違和感に…戸惑いが隠せなかった。

「大丈夫!何かあったらあたしが保障するから!!」

 何が大丈夫なのか、わからない。高校卒業以来、全く音沙汰がなかったのに…こんな高い買い物を二つ返事でするとでも思っているのだろうか…。

 もともと苗字で呼び合うレベルの友人であり、おうちにお邪魔したのだって今回が初。電話がかかって来なければ会うこともなかった人。久しぶりに近況報告でもしがてら高校の時の話で盛り上がりつつ、お化粧というものについて社会人のお姉ちゃんから聞けるなら…と思ってやってきたのに。お姉ちゃんは友人の姉ではなく、美容販売員のプロのお姉さんで…。

 友人は……、私をカモにするつもりだったのだ。

 久しぶりに会いたいねという言葉を真に受けて、のこのことやってきた自分が恨めしくなった。

 私は化粧品が欲しくてここに来たわけではないし、こんなだまし討ちみたいなやり方をされておとなしく購入するのは受け入れがたい。バイト代だって毎月5万程度しかないし、貯金も大学入学のあれこれでほとんどない。どう考えても購入などできるはずがない。そもそも、化粧経験皆無の自分に、こんな大層なセットを使いこなせるとはとても思えなかった。

 どうやって断ろうか、どのタイミングで帰りますと言おうかと悩んでいた、その時。

「…尚美!!アンタまた…ろくでもないことやってるね?!」

 突如、和室の縁側?の窓が開いて、友人のお母さんらしき人が飛び込んできた。

「ちょ…ママ!!今日は仕事行くって言ってたじゃない!!」

「なおちゃん、どういうこと?!今日は誰もいないって言ってたのに!!」

 ご近所さんのタレこみ?があったそうで、お母様が仕事を抜け出して乗り込んできて、大騒ぎになった。少し経つとお父様まで乱入してきて、私はお母様の車で自宅まで送っていただくことになり…難を逃れたのだ。

 後々判明するのだが、友人は同級生に対して片っ端から化粧品の売りつけ商法をやっていた。断りきれずに契約してしまった同級生が何人もいたらしく、親のほうに苦情が入って…さんざん弁償だの何だのともめていたらしい。

 私はこの友人のネットワークの知人が少なかった上に遠方の大学に通っていた事もあり、情報が微妙に流れてこず…まんまと引っかかってしまったのだった。

 この友人だった人とは、それっきり。

 一円の被害も被らずに悪徳商法のあり方を学べた事と、付き合いたくない近づきたくない人と縁が切れた事に関しては、運がいいのかもしれないと思った。

 就職が決まった大学四年の冬、中学校時代の友達から電話がよく来るようになった。

 彼女は商業高校に進学した才女で、卒業後に地元の銀行に就職しており…社会人四年目の人生の先輩だった。働いている事もあって疎遠になっていたので、少し縁が戻った事がうれしくて…何かと社会人としての心得などを聞く事も多かった。

『立派な社会人になるために、セミナーを受けに来ない?』

 よくわからないが、友人は自己啓発セミナーにハマっていたようだった。数年前に友人にカモにされて以来、私はずいぶん慎重になっていて…そのうち時間があったら、といつもごまかしていた。しかしいよいよごまかしも利かなくなってきて、もしかしたら本当にいいセミナーかもしれないと思って…友人の顔も見たい気持ちもあったためセミナーの申し込みをする事にした。

『じゃあ、13:00、○○駅の改札口ね、参加費忘れないでね!!絶対来てよ?遅刻したら絶交だから!!』

 当日の午前中、大学のゼミに顔を出してから…待ち合わせの駅に向かうつもりだったのだが。

 《お客様にお知らせいたします。ただいま列車の電線断線事故が発生しております、運行再開のめどはたっておりません・・・》

 なんと、電車が止まってしまい…待ち合わせの場所に行く事ができなくなってしまった。

 当時は携帯電話もまだ今ほど普及しておらず、待ち合わせに間に合わないという連絡をする事は叶わなかった。しかも駅がかなり離れていた場所にあったので・・・事故の情報は届かなかったらしい。結局家に帰れたのは夕方五時過ぎで、バイトに行く時間ぎりぎりだった事もあって行けなくてごめんねの電話は次の日になってしまったのだ。

『…もういいよ、じゃあね』

 口ではいいよと言っていたが、私を許す気はなかったらしく…その後友人から電話がかかってくることはなかった。あれほど毎週かかってきていた電話がぴたりと止んで、自分は本当に友人だったのかなと疑問がわいて…人間関係のあり方を疑うようになってしまった。

 なんとなく気まずくて、こちらから電話する事もなくなってしまった結果、縁は完全に切れた。一度顔を出してしまえば、二度、三度と召集がかかっていたかもしれないし、これでよかったんだよねと思うようにしたのだった。

 就職して一年ほどたったある日、学生時代のバイト先で仲の良かった同僚から就職したと言う連絡が来た。

『やっと就職できたよー、何も買わなくていいから、ノルマ達成のために顔だけ出して、お願い!!』

 物品販売系の商社?に就職した彼女は、毛皮商品の販売イベントの入場ノルマを課せられており、私に声をかけてきたのだった。時は就職超氷河期、怪しげな会社でもいいからとにかく就職がしたい…就職できてよかった…そんな時代だった。いろいろと世話になったこともあり、その恩を返すべく会場まで出向くことにした。

「来てくれてありがとー!!ここで手荷物は全部預かるね!!」

 やや大きな商業ホールを貸しきった、毛皮の展示会会場。高価な商品が並ぶためか、手荷物のすべてを入り口でスタッフが預かる仕組みになっていた。リュックを渡し、代わりにプラスチックの札をもらって…手ぶらで会場内に入った。

「本日はご来場ありがとうございます!ご案内させていただきますね!」

 同僚ではなく、別のスタッフが私についた。一人で見ますと言っても、品物が高価なのでマンツーマンで接客する事になっていると言われて振り切る事はできなかった。

 壁際に並ぶ、どこのゴージャスタレントが着るんだというようなミンクのコート、マタギのようなワイルドなコート、つやつやと光るマフラー?にバッグ、帽子、ブーツ、剥製なんかがずらりとならんでいて…ポツリポツリと、セレブっぽいお客さん、普通のお兄さん、お姉さん、おばさん、たくさんのおそろいのスーツを着た販売員がいた。

「お客様にはこういうボリュームのあるものがよろしいですよ、ローンも108回払いまで可能でして…」

「こちらお安いのでおすすめですよ、フェイクではなく、本物の毛皮なんです、これで5万切るのは破格なんです!」

「ご試着できますよ!今ご準備しますね!!」

 いやな予感が胸をよぎり始めたあたりで、なんとなく…目がかゆいことに気がついた。

 はじめはゴミでも入ったのかなと指先でこすっていたのだが、どんどん涙があふれて…鼻水が止まらなくなった。しかし、手荷物はすべて渡してあるのでティッシュがない。くしゃみまで出始めて、回りの人たちの注目を集めるようになってしまったあたりで、スタッフが駆け寄ってきた。

「え…大丈夫ですか?!」

「すぐにここから出たほうがいいよ!!」

 急いで入り口に戻って手荷物をもらい、かばん中のティッシュとハンカチを総動員して鼻水を拭うも収まりそうにない。

「もしかしたらアレルギーかも!ごめんね、せっかく来てもらったのに!!」

 同僚に連れられて会場を出て、風通しのいい公園のベンチで休んでいたら…くしゃみはわりとすぐに収まった。

 ミンクか、ウサギか、馬か、ダチョウか、狐か、ビーバーか…どの毛皮に反応したのかはわからないが、そのおかげであの怪しい空間から逃げ出す事ができたのだ。

 あの後同僚は売り上げノルマが達成できず、会社を首になって…牛どん屋のバイトに舞い戻った。そして常連客と縁があって、結婚と同時に遠く離れた地に行ってしまい…それきりだ。

 どうも…なんとなく、自分は運がいいような気がする。

 逃げ出したいな、そう思うと何かが起きるような…。
 関わりあいたくないな、そう思うと距離感が広くなるような…。
 大金を払わされそうになると、思いがけない助けが入るような…。

 私は、ちょっと運がいい…そんな風にずっと考えてきたのだけれど。

「普通はね、そんな経験しないと思うよ?」
「…運のいい人は、そもそも変な人と遭遇しないのでは」
「運が悪いから、たかったりなめてかかる人と出会っちゃうんじゃないの…?」
「いい人に出会っていたら、そういうひどい目にはあわなかったのかもねえ」

 どうやら…違っているらしい?

 確かに、言われてみればそうかもしれない。
 確かに、わりと落ち着きのない日々が日常だ。
 確かに、周りは癖のある人ばかりだ。

 ……ずいぶん年をとった、今でも。

 自分は運がいいのか悪いのか、いまいちわからない。

 だけど、平日の昼下がり、一緒にお茶をしながら昔話に付き合ってくださるご近所さんがいる事は…恵まれていると思う。

「ハーイ、スコーン第一陣、焼けたよー!!」
「僕一番大きいやつもらう―!」
「じゃ、コーヒー淹れるね!!」
「あ、茉奈さんのカップ、これでいい?」

 …やっぱり、私は、運がいい。
 一番かわいいなって思ってた、猫のマグカップで…美味しいコーヒーがいただけるんだもの。

「うん、ありがと!」

 焼きたてのスコーンに手を伸ばしながら…漂い始めたコーヒーの香りを、胸いっぱいに吸い込んだのだった。

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