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誰の為、何の為。【公式戦振り返り】

2024/9/7
インディペンデンスリーグ2部Dブロック
筑波大学U-22Bvs東京国際大学U-22C
蹴球部に入って、2度目の公式戦。
結果は2-1で勝った。が、僕個人としては上手くいかなかった。


...サッカー人生の中で、何度かそういう試合を経験した。試合、というより時期という表現の方が正しいかもしれない。「嫌な緊張」によってプレーが上手くいなかい時期が必ず訪れる。
そんな時期は環境を変えれば自然となくなるのではないかと思っていたがそうでもないようだ。

この「時期」に対して、俺はしっかりと向き合わないといけない。
試合後2.3日、ずっとこの事について考えた。

上手くいった時期とそうでない時期、その違いは?

上手くいった時期とそうでない時期をざっくり分けると

上手くいった時期→小3〜小6、高3
上手くいかなかった時期→中1〜3、高1〜高2
(正直中3〜高2はコロナや怪我があってあまりプレーできてないから、よくわからないところではある。)

こんな感じだ。
実際小学生の時はよく選抜に選ばれていたが、中学に入って選抜に落ちることが多くなるなど、実際の成果と関連している。

色々考えた結果、出た結論は案外単純なものだった。



小3の時は、なんとしてでもフロンターレU12のセレクションに受かりたくて、朝6時半に起きてから始める朝練がどんどん早くなって、最終的に5時50分に起きて、親を叩き起こして練習していた。

高1の冬に膝の大怪我を負って大学を探した時、筑波大学に出会った。自分のサッカーの実力が足りない事はわかっていたけど、なんとしてでも筑波に行きたくて、練習参加の時までに全員の名前を覚えて、練習参加の時にTOPの選手ほぼ全員に挨拶して回ったりして、少しでも爪痕を残そうと必死だった。

クラブユースも「自分が行きたい大学にオファーをもらうため」に頑張った。クラブユース終了後また筑波に行きたいと決意したから、ひたすら勉強して半年で筑波に受かった。

上手くいってる時の自分は、ただひたすら自分の為に行動していた。

こういう時、僕は「自分の世界」に入ってる感覚になる。「自分のやるべき事」に集中していて、他の雑音が気になりにくい状態。
ゾーンとかフローは1試合の間とか短時間なものだと思うけど、「自分の世界」は長期間続く。

でも、上手くいってない時期はどうだろう?今はどうだろう?

中学の時から、周りを気にするようになった。
チームメイトから「お前はまともじゃない」と言われて、「まとも」になるにはどうすればいいか、周りの顔色を伺って行動するようになった。でも上手くいかなくて、自信を無くしていった。

今だって同じだ。「自分が今三軍で出れてない状況を周りの人はどう思っているのだろう」と。そうやって周りのことを気にすることが多くなった。

この試合だってそうだ。
「初めてB2で試合に出る僕を周りの人はどう思ってるのだろうか」「心配されていないだろうか」「ここで連勝を途切れさせたらどうしよう」「四年生の引退も近いから、何とかして勝たないと」

そこにあるのは、自分の世界じゃなくて、他人を中心に据えて生きてる「他人の世界」だった。
「他者の思いや評価」に集中して、「自分のやるべき事」に集中できない。そんな世界だ。

どっちの「世界」で暮らすべきかは人によると思う。芸能人やインフルエンサーとかは他者に重きを置く事が大事だと思うし、上手く使いこなせるなら「他人の世界」で暮らす事のメリットも大きいと思う。けど僕は「自分の世界」で暮らしたい。

どうしたら1番輝けるのか

よく「チームのために」「仲間のために」「応援してくれる皆さまのために」を原動力としている人がいる。素直にかっこいいなと思う。

でも、その考えは僕には合わない。

僕は自分自身のために行動している時が現時点で1番輝ける。

「でも、そういう行動を取っていると、周りの人は良く思わないのではないか。チームにとってプラスにならないのではないか。」

僕はそう思わない。

フロンターレのセレクションは、ただの少年団のGKだった自分が最終セレクションまで残る事が出来た。

練習参加で爪痕を残そうと必死に頑張った事が功を制して、再び筑波に来た時にTOPチームの多くの人が僕を覚えていてくれていた。

クラブユースの予選でも、僕がシュートを止めて、僕が分析した通りに得点できた事で、格上を2回倒して全国大会出場を決めた。
全国大会では関東と全国を制したことのある強豪大学からオファーを頂けた。

自分の為に行った行動が周りの人が評価してくださる理由になり、チームのためになる。僕はそう思っている。

おまけ 「世界」について


先述した「世界」について話していきたい。
かなり話が脱線するが、僕はYouTubeやSNSがあまり好きではない。
元々好きだったけど、そうでなくなった。

「アンチに負けずに頑張って、登録者をこんなに伸ばしました!ここまで成功しました!」
いわゆる新世代YouTuberが、そういうニュアンスで語るのが多いなと感じる。実際すごく努力をしたんだと思うし、その努力やファンの方々を否定するつもりは一切ない。

ただ、アンチに目を向けてる時点で、そこにあるのは「自分の世界」ではなく「他人の世界」なのではないか。

SNSもそうだ。投稿して、誰から、どれだけいいねが来ているだろう、フォロワーが増えただろう、そんな事を考えて、知らぬ間に「他人の世界」に入っている事がよくある。(そういえばこの試合の前にInstagramで「応援よろしくお願いします!」なんて投稿してたな。試合前からすでに「他人の世界」にいたんだな。)


受験期に「ヨルシカ」というアーティストに出会って、よく聴いていた。
大学に入る頃にはのめり込んでいた。

家にいる時は大体スピーカーからヨルシカの曲が流れているし、ノートを書いている今も「カトレア」が流れている。

コンポーザーのn-bunaさんがある記事でこんな事を話していた。

-ただ聴かせてもらうと、いろいろなことを考えさせられる作品ですよね。音楽家にとって、売れることが正しいのか? とか、たとえ売れなくても、自分が本当に表現したいものを貫くべきなのか? とか。

n-buna:でも、そこらへんって僕は答えが出てるんですよ。売れるために音楽をやるのでも、作りたいものを作るでも、どっちでもいいと思うんです。ふたつとも正解だと思っていて。ただ、自分が憧れているのは後者の方ですよね。自分たちが作りたいものだけを作っていく。他者の評価とか、売れたいっていう気持ちも考えずに、自分にとって作りたいものを作り続けることこそが美しいんだろうなと思ってるんですよ。

(中略)

-もう迷いはないんですか?

n-buna:自分が納得する音楽を作ることだけが正しいことなんだなってわかったので、そこに尽きるんだろうなと思います。もちろん自分のためじゃなくて、いわゆるエンターテイメントとして、人を感動させるような音楽を作ることは素晴らしいと思ってるんですけど、僕がやるのはそっちじゃないなと思うんですよね。

(引用元)
https://skream.jp/interview/2019/04/yorushika.php


n-bunaさんも、「自分の為」に行動していて、「自分の世界」で生きている人間だった。
自分以外にもそういう人がいると安心したと共に、僕がなぜヨルシカの音楽に心が惹かれるのかがわかった気がした。

僕は「自分の世界」で暮らしている人が好きなんだ。

きっとそういう人たちは周りの人とずれていて、僕と同じように「まともじゃない」とか「変」とか「おかしい」とか言われて、多かれ少なかれ傷ついた人もいると思う。

それでも自分を貫いて、周りに流されずに「自分の世界」で暮らし続ける人々に僕はひどく心を惹かれるし、今後そういう人たちに沢山会って、話を聞いてみたいだなんて思ったりする。

※もちろん自分の世界で暮らした結果犯罪を犯すとか人に迷惑かけるとかそういうのはやってはいけないしそれを肯定してるわけではありません。

そして、次の戦いへ

随分と長い文章になってしまったが、そうやって考えをまとめて、次の戦いに挑んだ。
2024/9/14
インディペンデンスリーグ2部Dブロック
筑波大学U-22Bvs順天堂大学U-22C
3-1勝利
フル出場

この試合では、ひたすら「自分の世界」に入って戦った。
誰の為→自分の為。
何の為→高いレベルでサッカーを楽しむ為。

自分のやるべき事がはっきりして、思考も視界もクリアなまま高いパフォーマンスでプレー出来た。

最後失点してしまったため、まだまだ足りないことは多いが、引き続き頑張っていこうと思う。

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