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私が私を取り戻すまで〜過去を振り返った今〜Episode2

②タイから帰任を申し出たこと

大学を卒業して就職をした私は意識を切り替え、勤めたからにはその会社の社長になることを夢にして、同期にも入社早々社長になると公言をしました。

中国広州支援担当、そして広州への赴任

そして20代は30代で花開かせるための修行の時と捉え、精進をしました。
3年が経った時、このままでいいのだろうかと思い、同じプロジェクトをしていた先輩を飲みに誘い、想いを伝えたところ「ちょっと待っておけ」と言われ、後日直属上司から中国プロジェクト担当の意思確認面談があり、即答。
中国支援担当となりました。

そこからだいたい月に一度一週間程度の中国出張対応が始まりました。
学生時代に海外旅行に行ったことはありましたが中国に仕事で行くという経験は私にとってこれまでの人生にない、刺激溢れるものとなりました。
中国のエネルギー、異文化に触れ、人と出会い、仕事を任されることへの充実感で私の人生が変わっていきました。

順調に立ち上げが進んでいき、3ヶ月の長期出張を終え、日本人赴任者が現地に必要となり、現地のことが良くわかっている私が広州初の日本人赴任者となりました。

広州の地で苦労もありましたが良き仲間に巡り合い、妻と出会い結婚、娘が産まれ、充実した海外生活を送っている中、タイ新会社立ち上げの話が舞い込んできました。

新会社設立、タイへの赴任

その話も即答、晴れて初代現地責任者に選んでいただき、会社設立から携わることができました。
新しい国、新しい会社、新しい仕事、新しい環境、新しい人間関係全てがわからないことばかりでしたが不思議と「中国でやり切ることができたから大丈夫」と自分を信じられていました。

たくさんのわからないことがある中、順調に事業立ち上げができていき、2年目から黒字。
全てはいい流れで来ているはずでした。

私が抱えていたもの、傷ついたこと

当時を振り返ると自信が過信になり、全てを抱え込んでしまっていたのだと思います。
作り上げたものを壊したくない、そのためには細心の注意が必要だと。
私の心の中にはずっと人に傷つけられてはいけない柔らかいものがあると思っていました。
そこを刺激されないようずっと守ってきました。
会社も同じように考えていたのかもしれません。
ある人間関係をきっかけに私の守っていた柔らかいものが傷つけられてしまいました。
その時の感覚を今でも覚えています。
そこから私はメンタル不調を抱え、どんどん崩れていくのを感じました。
そして私はそこから立ち直る術を知りませんでした。

会社を守るために帰任という判断

私はタイに海外に居たかった。
それを自ら手放さざるを得ないと自分で決断して手放した。
この決断は後の大きな転機となりました。

次回は③19年間勤めた会社の退職
 ヨガの道を進むことに決めたこと です。


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