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【社#00】一億総子育て社会に描く未来

こんにちは、アラフォーパパの、たからんです。

【社#】ナンバーを振った記事では、40男の視点から見える日本社会の歪みをなんとか立て直したいとの気持ちを綴っていきたいと思っています。特に、子育てをとりまく現在の社会のありようを見つめなおし、子育てを国民全員で本気で考えることが日本社会を正常な繁栄軌道に乗せるきっかけになるという仮説を立て、私の頭の中でまだまとまっていない、しかし感覚的な確信のある理論を整理していきたいと思います。

何故、『アラフォー』をつけて名乗るのか

特に何の見識もない人間が大それたタイトルを挙げていますが、2021年現在、今アラフォーの年代は、日本社会の重要な変化の場面に立ち会ってきた世代だとの思いがあります。
もちろん、それは自分がその世代だからであって、他の世代にはその世代が感じる思いがあるとは思いますが、
新型コロナによる急激な変化が起こった世界で、これまでの常識では考えられない行動をとりながら、変化の波を乗りきっている有名人もアラフォー世代が多いように思います。

特に、私が感じてきた変化の波で、特に重要なのは次の二つだと思っています。

◆経済の変化◆
子供時代を昭和バブルの最後の最高潮時期に育ち、独り立ちの頃にはバブル崩壊後の不景気をという言葉しか聞かなくなった経済の激変

◆通信の変化◆
中学生から大学生の学生時代に突如あらわれたインターネットと携帯電話の誕生と急発展

これらが同時発生した変化の時代にあって、多感な学生時代に柔軟に変化を感じとった世代が我々アラフォー世代なのではないかと考えています。社会に出てしまうと、そこでの歴史やルールに縛られ、学生のように自由に今を満喫することはできません。10歳上の世代は、社会に出たときにインターネットはまだなく、10歳下の世代はバブル崩壊前に生まれていないのです。

自分の世代だけが賢いなどというつもりはありませんが、いくつかの変化を感じ取れなかった世代と、変化があったことを知らない世代の狭間に、今自分たちがいると感じられてしかたありません。

繋ぐ役割としてのアラフォー

経済の変化によって、ビジネスモデルを変えなければいけなかった。
通信の変化によって、多様な人材活用モデルに変えなければいけなかった。
どちらも考え方をガラリと変える必要があった困難な課題が、日本では同時に起こってしまって変わりきれなかったことで、いま大きすぎる価値観のジェネレーションギャップが生じていると考えています。

変化の前と後しか感じ取れていない上下の世代に対し、どちらの気持ちも理解できるアラフォー世代は、何が違うのかを説明し、上下を繋ぐ役割となることが求められていると考えるのです。

その説明のための一つの切り口になりうるのが「子育て」です。「子育て」をとりまく環境の現状を紐解くと、一見関係ない経済社会も含めた様々な社会課題にすべて繋がっていることを感じることができると考えています。

日本は子育てを忘れてしまったのではないか

私は昭和55年(1980年)の生まれで、今40歳です。
子供のころは、社会を知らなかったとはいえ、
日本が今ほど悲観的な社会だったという記憶はありません。

日本人は心が優しく、人のために動ける思いやりがあり、しかも世界2位の経済大国で、世界を引っ張る、誇らしい国だと何も疑いなく思っていました。
バブル崩壊後も不景気になっていったのは確かですが、学生でいた間はそこまで生きづらい社会だとは思っていませんでした。

ところが、学生を終え、就職して社会に出てから、
学生の時にはあまり意識しなかった、日本社会に聞こえてくる、または身近な人たちに起こる暗い出来事に胸を痛めることが多くなってきました。

なんで、女性が、母親がこんなに働きづらく評価が低いのだろう。
なんで、働きたい母親が #保育園落ちた と諦めざるを得ないのだろう。
なんで、男性(父親)が家庭にコミットしにくいのだろう。
なんで、バリバリ働く男性も鬱でつぶれていくのだろう。
なんで、定年間近の上司が、罵倒を吐きながら希望退職していくのだろう。
なんで、保育士の待遇がこれほど低い評価なのだろう。
なんで、教員がこんなに苦労しなければいけないのだろう。
なんで、若者が恋も結婚も出産も躊躇せざるを得ないのだろう。
なんで、いじめでこどもが自殺する事態をとめられないのだろう。
なんで、若い女性が赤ん坊を生み捨て死なせる事になってしまうのだろう。

このような出来事ばかりが目についてしまいます。

いつから日本社会は、互いを警戒し合うようになったのでしょう
いつから日本社会は、互いを助け合えなくなったのでしょう
いつから日本は、一人で苦しむ国になったのでしょう

自分が子供の頃はそこまでひどくはなかったように思います。

子育ては、幸せで楽しくて、次世代という国の礎を担う大切な仕事ですが、その想像を超える労力と精神的負荷についての理解は浸透しておらず、誤解されている部分も多くあります。
また、子育てに関わる人の、社会的価値評価はあまりに低く、様々な犠牲とネガティブな事象につながる実態があります。

これは、国の礎として必要な要素である、経済と子育てのうち、子育ての価値を社会が忘れてしまったからではないかと考えます。

性別役割分担により女性が無償で子育ての役割を担うという生活スタイルにしたのは、戦後復興のための合理的作戦であったことを忘れ、経済復興後には貨幣という価値媒体をもたない子育てのための労力が過小評価されている。と考えられないでしょうか。

子育ての問題は親になった人だけの問題ではすまない

特に、子育てと縁のない方々に興味をもっていただきたいのは、
ただ単純に、子育てのすばらしさを訴えたり、苦労している人を助けたいという趣旨の精神論や性善説ではないということ。
子育て環境の変革は、日本が生き残るための社会的経済的な戦略だとの考えがあるということです。
ほんの十数年後の未来の消費者、未来の供給者をないがしろにするのは、自分がこれから生きていく社会全体にとっての不利益であると気づいてほしいのです。
子育ての価値意識を見直すことで、新しい価値、新しい働き方、新しい社会構造が生まれ、高度経済成長時代以来ほとんど変わらなかった日本の新しい経済成長モデルにつながる可能性があるとの感覚があります。その感覚を少しずつでも実証していきたい。

パパママの子育て、保育、教育、ジェンダー、企業の働き方、行政の仕組みなど、多方面の人たちが、課題感を一つにして繋がることが、自分たちの住むこの社会を過ごしやすくする第一歩だと信じてやみません。


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