見出し画像

ぼんやり生きていた私が、今ここにいる不思議

東京に住んで約10年がたった。
大人になるほど1年が早く感じるようになってくるけど、改めて時の流れの早さにびっくりする。

私の地元は本州の端っこ山口県。
高校卒業後は大学には行かず就職。家から出てみたいという気持ちと、少し人見知りな性格を変えたいと思い、地元を離れて岡山でバスガイドとして働きました。
たくさんの同期との寮生活は楽しく、私にとってはお金をもらいながら学ばせてもらってる感覚に近かったです。
でも20歳前の私にはいろいろときついこともあり、約2年で地元山口に戻る選択をしました。

思えばあの2年間は、私にとっての初めての旅だったのかもしれません。

その後はフリーター、事務職、携帯電話の販売員とふらふら転職を繰り返し。
30歳を目前にした29歳の私は、「明日死んだら何もない人生だったと思うな」と思っていました。

ぼんやり生きていた私が出会った1枚のポスター

そんなとき一人旅で訪れた沖縄で一枚のポスターに出会ったのです。
それは世界一周の船旅のポスター。
そのころ行きたいと思っていたスペインや一生に一度は訪れてみたいマチュピチュ、イースター島にもいけて130万円。
スペイン10日間で30万円近くかかることを思うと、なんだかお得な気がするぞ…?

残念ながら資料請求のハガキは全部なかったので、こんなのあるんだ…と心のメモ帳に書き込んで帰りました。
そしてその後、地元でもそのポスターを発見し、船での世界一周に旅立つことを決めたのです。

あの決断は、自分でも驚くほど早かったし、旅をより楽しむため、福岡市にあるボランティアセンターで同じ船に乗る人と交流するために週末ごとに車で通う情熱は、周りもびっくりしていたと思います。

下道で片道約2時間。結構な距離ですが、「せっかく行くなら、とことん楽しみたい」と思っていたので全然苦にはならなかったし、もちろん近かったらいいなとは思うけど「行きたいから仕方ない」と考えていました。
自分が「これは絶対にチャンスを逃してはいけない!」という直感があるときのフットワークの軽さは、自分の長所だと思っています。

とはいえ、フラフラしていた&地元では車必須なので車の費用も発生していた私に余裕のある貯金はなく、母親に旅行ローンの保証人のサインをしてもらいました。
 3か月の旅なので当然仕事はやめて旅に出るわけで、父には居間へ呼び出され「ちゃんと考えているのか」と説教されましたが(笑)。
あわせて、父は船乗りだったため、船という閉鎖的な空間で、もし嫌だと思っても逃げ場がない状況になることを心配していたようです。

飛び出した世界はたくさんのことを教えてくれた

そんなこんなで横浜から出航した約3か月の船旅。
仕事のことを考えず、仲間と語り、食べ、どこまでも続く大海原を眺め、たくさんの国の文化に触れた時間は、煌めいていたとしか言いようがない日々でした。

「どこが一番印象的だった?」と聞かれますが、私の答えは「ヨルダン」。
もちろん、マチュピチュやイースター島も感動したけれど、ヨルダンは生まれて初めての砂の街で、その異世界感にびっくりしたのです。

画像1

画像2

砂漠の中をジープで駆け抜け、砂の上に寝っ転がってみんなで星をみて、焚火をかこんで踊り、テントの中の砂だらけのベッドで寝る。
世界は広く、こんな街があるんだと高揚しました。まるで映画の中ようでした。

そして、河の向こうに見えるイスラエルの明かりが輝いていて、それはもう地元の夜景よりめちゃめちゃ明るくて、なんとなく自分の中にあった中東の暗い貧しそうなイメージが、思い込みだったんだなと感じ「先入観」ということについて考えたのがこの国でした。

画像3


訪問先の国だけではなく、航海中の船内でもたくさんの出会いがありました。

船には水先案内人といわれる何かの専門家が乗船します。
写真、音楽、絵…。
イベントのお手伝いは乗船者から募るですが、私が気になって手伝ったのは女流棋士の北尾まどかさん。

日本からインドまでの区間乗船していた彼女は将棋のプロ。今は藤井聡太二冠(2021.2.27現在)のおかげで将棋も若い女性にも人気がでてきましたが、その時は将棋を楽しんでいるのは、ほぼ男性でした。
お手伝いも、一緒に参加した友人と、あとは年配の人がほとんど。

私も「将棋」というゲームはもちろん知っていましたが、実際やったことはありません。それでもお手伝いに手を挙げたのは、彼女に興味があったから。
彼女は自分の「好き」を仕事にしていて、人生をかけてその面白さを世界に広めたいと思っていて、パワフルでキラキラしていて…私の周りには今までいなかった人でした。

画像4


その出会いは私を東京へ連れてきた。そして…

結局、その時一緒にお手伝いをした友人が北尾さんの仕事を手伝っていた関係で、誘ってもらって私も北尾さんたちと仕事をすることになったのです。そして東京へくることになり、今にいたります。
※ちなみに、「東京へ行く」といった時も、また父に居間へ呼び出され説教されました(笑)

残念ながら今は別の仕事をすることになってしまいましたが、そのまま東京生活楽しんでいます。まずまず楽しい人生となっています。

あの旅で考えたいろいろなことがしだいに薄れていくなか、 いま自分が何がしたい?と思ったとき、最近出てきた答えは 「料理とお酒が好き。海外の料理にも興味があるし、日本の郷土料理にも興味がある。 そして、料理を通じて海外の人たちと交流したい」

語学が堪能でなくても、伝えたい、理解したい気持ちがあれば話は通じると旅で実感したけれど、もっとコミュニケーションをとりたいので、英語も学びたいと思っています。


旅先で出会った1枚のポスター。そのポスターとの再会。
今までの自分からしたら大きな決断でしたが、自分の「いってみたい」という気持ちに従い決断したこと。
たくさんの人の中で誰と仲良くなるのか。

偶然の出会いや選択の結果、今東京で一人暮らしをしている私がいるんだなぁと思うと不思議な感じです。
もしあの時、お金や仕事を理由に「参加しない」という決断をしていたら、今も私は山口にいるのかな。どんな自分になっていたのか全然想像ができません。

考えれば、いつだって何かに出会ったのは旅だったし、行くたびに成長させてくれている。
あのときの勇気と思い切りは私の人生を間違いなく変えたと思う。

今は気軽に旅にいけない状況ですが、
でも「どこかへいくこと」だけが旅ではないはず。

まだまだ私の旅は続くのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?