ゲーテとマフィアの一日目

フランクフルトとゲーテ


入国審査の列


着いた! フランクフルト国際空港だ。入国審査。意外としっかり訊かれた。何日の滞在か、どういう旅程かなど。無事パス。

着いたのはターミナル2。フランクフルト市へ行くには、ターミナル1から出て行く電車に乗らねばならない。取り敢えず外に出て、あまり確信なく「これかな~」と思って乗ったバスが、幸い当たりだった。ラッキー!

そこから、電車で市内(フランクフルト中央駅)へ。

フランクフルト中央駅へ向かう電車のホームへ
フランクフルト中央駅

駅着! ここで最初の問題発生。観光のため市内をうろつきたいわけだが、ガラガラをコインロッカーに預けねばならない。でも、フランクフルト中央駅のコインロッカーは本当に"コイン"ロッカーで、ガチの小銭を入なければならない(このへん、最近はキャッシュレス決済が使える日本のJRの方が便利)。俺のガラガラが入るサイズのは5ユーロ。さっきの電車のチケットを買った小銭では足りない。釣銭を作る必要がある。

仕方がないので、駅のスタバでカフェラテを買った。ぐーてんもるげん。わんかふぇらて・とーるぷりーず。だんけしぇーん。ところが、貰った釣銭の数がロッカーを使うのに十分でなかった。あまり金額を吟味せずに(というかユーロの貨幣体系をあまり理解せずに)適当に買い物をしたせいだ。しょうがないので、別の店でおっちゃんからパンを買った。

二度手間だし、金を無駄にしたわけである。反省だ。この反省は翌日に活かされることに……

フランクフルト中央駅を出る。クソ寒い! 雪が舞っているではないか! なんという天候だ。あまり歓迎されていないのかもしれない、と弱気になる。ぶるぶる。

とりあえず駅前から東に向かって歩く。イタリアでもそうだったけど、ヨーロッパのデカい駅の駅前というのは基本的にばっちいし、治安が悪い。道は基本的に、汚れている。四条木屋町とか、新宿東口くらいをイメージすべし。殆どは吸い殻。老若男女問わず道端でスパスパ歩き煙草をするし、ろくに火も消さずにポイ捨てするからだ。勤務中の警備員のおっさんでさえ全然関係なく吸っている。しかも雨でぬかるんでおり、沼みたいな水たまりが出来ている。

特に、後から訊いたのだが、フランクフルト中央駅の駅前はかなり治安が悪いことで有名らしい。朝から路傍で胡乱な目つきのおじさんがたむろしており、何か怪しげなものを売り買いしている姿も目に付く。怖。ひー。見ないようにして足早に歩いた。

ビル街へ。物凄く治安の悪い一画からほんの1,2ブロック歩くと摩天楼が現れるのが不思議だ。フランクフルト・アム・マインは欧州金融の中心地だ。

もっと歩くと、観光エリアへ。しかし、ここで気づいたのだけど、どこをどう回るかを決めていなかった。気づけばあてどもなく迷子。寒さが容赦なく体力を奪い続けている。ぶるぶる。

昔イタリアを旅行した時に学んだことだけど、ヨーロッパの街で迷ったらまずは教会に駆け込むのが良いと思う。あまり褒められたことではないが。綺麗だし、スリや物乞いがいない。何より入ってもお金をとられない。

という訳で大聖堂へ。フランクフルトの大聖堂もとても立派な観光スポットった。さすが帝国自由都市! 神聖ローマ帝国にとっても重要な都市で、歴代の皇帝の選挙と戴冠式がここで行われたらしい。何やら近づいてはいけない祭壇に近づきすぎて、ガードマンのおっちゃんに注意されてしまった。

フランクフルト大聖堂(あったかい部屋)
背の高いゴシック建築だ。この広大な空間をあったかく保つ暖房のパワーよ

教会の椅子に座ってしばし地図とにらめっこ。次の目的地を決める。よし、やはりゲーテの生家はマストであろう。行くぞ。


寒い

意を決して扉を開け、寒さの中に再出撃(本当に寒いので割と覚悟が要る)。しばし歩く。ゲーテのお家は目立たない通りのさらに目立たない入口にあった(でも、少し離れたところから「ゲーテハウス」と書かれた専用の標識が立っており、あとから考えればこれはドイツの観光地としては結構破格の手厚さだと分かった)。
あまりに簡素で静かだったので、「今日はお休みなのかな……?」と思ったくらいだったけれど、重い扉を押し開けることができた。ここに限らず、ドイツの美術館・博物館の扉は非常に重いものが多いし、それゆえかあまり装飾が華美でない。おそらく、暖気を外に漏らさないために、気密性を第一にしているのだ(その一方、ショッピングモールとかは入り口が開けっ放しになっているのだが、入り口に猛烈な温風を常時吹き付けて”熱の壁”を作ることで内外の温度差を維持しているようだ)。

入ると、めっちゃ静かで落ち着いたロビー。受付のお兄さんが物凄く丁寧に説明してくれた。ゲーテの家と、「ロマン主義博物館」という施設が抱き合わせになっている。

博物館から見学。これが予想外に良かった!! とても新しい(2021年開館)らしく、色々工夫を凝らした展示でドイツロマン主義時代の歴史を学べるようになっている。僕はドイツロマン主義というのには全然疎くて※1、シュレーゲル・シラー・ヘルダーリン・グリム兄弟といった人々の名前を聞いたことがあるくらいだったけれど、色々勉強になった。たとえば、ブレンターノという人が↑の人々と同じくらい重要だったそうだ。哲学科の学生諸子に馴染みの深い志向性の哲学者とは別人です。

モダンで楽しい展示が多い。

ゲーテの家。つくりも調度も物凄く立派であった。建物はオリジナルではなく、WWⅡの空襲で酷く損壊したのを精密に再現したのだそうだ(調度は疎開してあって無事だったらしい)。戦後すぐに復刻が始められており、ドイツ人が彼へ篤い尊敬を寄せていることが窺える(日本だと夏目漱石くらいの人であろうかと思うが、調べると漱石の棲家も犬山に移築されて現存しているらしい)。


ゲーテが生まれたとされる部屋。

少し、ゲーテについて。よく知らなかったが、この人は貴族の家系ではないのだそうだ。が、祖父が宿屋経営で一財を為した。そして息子(ヴォルフガング・ゲーテの父)を官吏にしようとした。しかし、息子はあまり渡世の才能に富まず、長じてからはさほど働きもせずに街の名士のようなことをやっていたというから、ゲーテ家の財産増加には寄与していないらしい。
とすると、祖父が、少なくとも二世代に一級水準の教育を受けさせ、さらに文学に傾倒するのを許すくらいの財産を一代で築いたことになる。相当利に聡い商売人だったのだろう。一方で、ヨーロッパ中を虜にする恋愛小説を書くようなのびのびとした貴族的な青年が、そんな商人の子供として直接生まれるということも考えにくいから、ゲーテの父という人が間に居なくてはこそゲーテという人が生まれなかったことも間違いないと思う。おそらく誠実で善良な”お坊ちゃん”であった父と、彼が作ったあたたかな家庭が、経済面ではなく特に情操面においてゲーテを育んだ不可欠な要素であったのかな、と思う。



精巧なからくり時計と、豊富な絵画コレクション。二代にわたる財産と文化資本の蓄積がなければ、ゲーテは生まれなかっただろう


いうなればヴォルフガング・ゲーテの功績は、三代かけて達成されたものだろうし、その辺りは日本の文人に似ている人がいるだろうか。文人ではないが、白洲次郎が少し近いかもしれないとふと思った。

白洲次郎に似ているのは、家系も、どことなく陽性の性格も、ディレッタントであることもそうだけれど、それでいてその人生において政治に携わったことがある、という点も共通している。ゲーテがヴァイマル公国で具体的にどんな政務にどのように従事したのかを僕は知らないけれども、真面目に闊達に取り組んだのだろうと思う。勿論、ただの政治家に収まりたくないと思ったからこそ、その後イタリアにグランドツアーへ行ったわけだけれども、同時に彼は職務になにか重要なものを見つけていたに違いない。


ちょっと不思議なフランクフルト

ゲーテの家を後にすると、ホテルにチェックインできる時刻になっていたことに気が付いた。ドイツに到着して沢山出たドーパミンもどうやら切れてきて、「そういえば疲れていたんだった」と身体が思い出したので、とりあえずホテルに向かうことに。
ホテルはフランクフルト中央駅を挟んで反対側にあった。駅まで戻り、コインロッカーからガラガラを出す。時間比で見れば勿体ないが、必要経費だと言い聞かせる。

ホテルは中心部から外れた、どちらかというと下町っぽい住宅街っぽいエリアにあった。ガラス戸が開かず、しばらくガチャガチャしていると、宿の人が中から空けてくれた。

小柄な痩せた女性だった。おそらくインド系だと思う。どことなく軽やかな印象。俺が不器用にガラガラを持ち上げ、カウンターの前までえっちらおっちら歩いてくるのをちょっと笑いながら見ている。
英語かドイツ語か、と言われて、英語で、というと、「そらそやろな」とばかりに含み笑いして"Ok"。
ネットで予約したんですけど、と言うと、名前で照会してくれて、宿帳を書けと言われた。かじかんだ手でペンを握る。よく分からん欄があり、「あの……」と声をかけると、「助けが必要? Yes or Noで答えて」。きびきびした印象というよりは、ちょっとからかわれているのだ。でも、「Yes. ここが分かんなくて~」というと、丁寧に教えてくれた。見るからに緊張したちっこい東洋人の男はガキに見えるというか、少なくとも全然脅威には感じられないらしい。友達に会いに来ました、というと、それは良いことだとしきりに言ってくれた。

宿帳を書くと、追加の説明。予約時に払った料金とは別に、地元のtaxを少額払う必要がある。カードで払った。日本円とユーロどちらで払うかという表示が出て、日本円にすると、次からはユーロにしな、という指示。為替の関係でextra moneyが生じるのだという。「私は構わないの。貴方のために言ってあげている。二度は言わないよ。マフィアみたいだね」と言っていた。

”It’s like Mafia.”
なにか特別な意味のある表現なのかは分からなかったけれど、予想していなかったどぎつい言葉に一瞬身構えてしまう。とりあえずレクチャーに感謝して、最後に部屋の場所を教えてもらう。「夜までここにいるから、何かあったらいつでも言ってね」とも言ってくれた。
結局それっきり会わなかったけれど、別れ際に”Have a nice day!"と言ったら「ハハハ」と笑っていた。

部屋に入るとき、別の部屋に泊まっていると思しき男性数人とすれ違った。体つきがごついだけでなく、どことなく雰囲気が怖い感じ。ちょっと危ないホテルなのか? 「マフィアだから」というお姉さんの謎の言葉が脳裏をよぎる。まさかそんなことはないと思うが。

部屋で一息つくともう6時近くになっていたので、晩御飯を食べに行くことに。部屋のネットで調べた、近所のドイツ料理屋さんに。二重扉を開けて入った店内で、ポロシャツの髭もじゃオーナーが出迎えてくれた。ビールとスープ、ソーセージとザワークラウトとポテトの山。実は着席した時からかなり身体がだるくなって、少しくらくらしてもいた。出された瞬間に申し訳ないが食べきれないと悟り、どこまで残さずに食えるかの勝負に。結局8割くらい食べて、店の人にごめんなさいをした。おばちゃん(多分オーナーの奥さん)は”No Problem"と優しく言ってくれる。とても美味しかったです、と伝える。カードで払って店を出る(ちょっとチップも)。


ドイツ初ビール。

店を出ると土砂降りの雨! なぜか部屋に傘を置いて来ていた自分を恨むが、しょうがないので息を止めてホテルまで突進! へろへろも相まって死にそう。ホテルまでの道のりは住宅街ということもあってちょっと暗い。

ホテルの前に車が止まっていて、ちょっとコワい系のおじさん達が豪雨の中傘もささずに何人かたむろしていた。「エンシュールディグン(すみません)」と声をかけ、ちょっと緊張しながら彼らの傍らをすり抜けた。何とか部屋に帰還。濡れた服をタオルで拭く。熱いシャワーを浴びながらちょっと考えた。

まじでマフィア? やはりそんなことはないと思うが、ちょっとガラの悪いお兄さんたちと付き合いがある、くらいのことは十分考えられる。いずれにしても、普段からああいう人々と顔を突き合わせているホテルのお姉さんからすると、本当に俺はおもちゃぐらいにしか思えないのであろうな。

シャワーから出るとしんどさが少し和らいでいたので、迷ったが日課の筋トレをしておくことに。よせばいいのに、いつもよりちょっと強度強めにやってしまった。

死体のように眠りこけた。



※118c後半のシュトルム・ウント・ドラングから19cにかけてのドイツナショナリズムの高揚とロマン主義の勃興という流れが正直あまり鮮明にイメージできない理由は、一つには自分は哲学を齧っているので、この時代を「あー、カント~ヘーゲル~シェリングとかそれくらいの時代やね」とすぐ哲学者の名前で認識してしまうというのがある。
また一つには、やはりこの時代はフランス革命とナポレオンの時代であって、ドイツという国のことを、フリードリヒ大王とマリア・テレジアの時代以後はどうしても脇役というかフランスの振舞いに応答する受け身の姿勢で考えてしまう、ということはあると思う。
ところがどっこい、日本で明治文学が花開くちょうど百年くらい前に、この国で多くの才能が綺羅星のごとく現れ、それもフランスにほど近い西ドイツを中心に集まり切磋琢磨を繰り返して、それが後年の「ドイツ人」という国民意識の形成に直結していったのだ、ということをビビッドに学べた。




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