見出し画像

目は内側に、足は外側に。2019年の振り返り

年内最終出社日。ビルの外の陽が落ち始めると(19階から眺める落陽はいつもきれい)、徐々にフロアがザワザワしてきました。ノートパソコンに向けていた目をフロアに移せば、なにやら帰り支度をした方たちがお辞儀をしている姿がチラホラ見えます。

声は聞き取れなくても何を話しているかはおおよそわかります。「今年もお世話になりました」「こちらこそ」「来年も頑張りましょうね」「良いお年を」。

年末の風物詩と括ってしまえばそれまでだけど、僕はこのやりとりを眺めるのが好きなんです。

それは、「良いお年を」の言葉の中にはおそらく「色んなことがあったし、来年も変わらず色んなことが起こるんでしょうけど、ま、1年も終わるし、“とりあえず”納めることにしましょうか」というゆるさがあるような気がしていて、そんな「とりあえず感」をもつ日本人の感覚にほっとするんだと思います。

日本人は本来的には飲み屋などの「つけといて」に代表されるように「だましだまし」の気質を持っているんだと、何かの本で養老孟司さんが言ってましたが、そんな「お互い様」のようなやわらかい気質が、形式化された挨拶の中で顕れてくるのはなんとも嬉しいなぁと、しみじみしてしまうわけです。

そんなことを考えていたら、「平山さん」と斜め後ろから声をかけられました。振り返れば、今年何度かお仕事をした他事業部のベテランの方でした。

「はい」と返事をすれば「今年は大変お世話になりました」と頭を下げられました。「え。いや」と慌てて立ち上がりベテランの方に正対する格好で「こちらこそ」と僕も頭を下げました。

わざわざ自席から僕の席まで歩いてきて(1分程度離れた場所ですが)挨拶をしてくれたことに、少し時間を置いてふつふつと嬉しさがこみ上げてきました。

それから立て続けに数名から声をかけられ、型どおりの挨拶を数回交わした頃には、陽は完全に落ち、窓の外は住宅街の灯がチラチラと灯っていました。そんな風にして僕の2019年の仕事が納まることになりました。

昨年の年末はほとんどこういうことがなかったことを思い出し、そういえば今年は「内側」と対峙し続けた1年だったなぁと、電車の中でぼんやり振り返ることになりました。

今年の仕事を一言で振り返るなら、「目は内側に、足は外側に」ということになると思います。

今の職場に転職してからおよそ1年半になります。転職したての頃は、目も足も外側に向いていて、打ち手がどこか噛み合わず空転していました。要するに、内側からの声には耳を貸さず、答えは外、つまりこれまでの「経験」や「知見」の中にあると思っていたわけです。

なぜそこまで意固地になっていたか。今となってはなんとなくわかります。中途入社した人は、「外様」と揶揄されるほど(本当はそんなことはなくても)試される視線を浴びているように感じてしまうもので、僕自身も同じような視線を感じてしまい、それを振り払うように目が「外側」や「後ろ側(過去)」に向いてしまったんだと思います。

「外側」の視点は、これまでやったことのないようなことを「ゼロイチ」で小さく始めるときはとても有効に働きます。でも、イチから大きくしていくためには、もっとシンプルに「続けていく」ためにはそれだけでは足りないんですよね。

そんなことはわかっているつもりでも、転職したての頃はなかなか行動が伴っていかないんです。そうすると余計に「内側」と距離ができていってしまうという負のスパイラルに陥ってしまうわけです(このあたりは世の中的な課題だとも思っていますが今回は割愛します)。

ただ今年はありがたいことに、いろんな偶然が重なって目を内側に向ける機会が多かったんです。そして気付いたんです。ひとりひとりに丹念に話を聞いていたら、内側に宝がたくさんあるということに。

その大切な宝をていねいに「外」につなげること。そのための手法を考え、少しずつアクションに落とし込むこと。大雑把に言えばその繰り返しを今年はひたすらやっていたように思います。

不思議とそういう「繰り返し」を見てくれている人がいて、徐々に声がかかるようになりました。「いっちょあいつに話を聞いてみるか」と呼ばれる機会が増えました。

そういった場所で求められる話は「外側」の話なんですね。僕のこれまでの「経験」や「つながり」が役に立ち、内側と外側がつながり始め、今年の中盤以降から良い還流が生まれ始めてきました。

また、内側に目を向けることで不思議と自我がなくなったのも面白い発見でした。転職してきて1年ちょっとの「外様」の僕から見たら、ずっと「積み上げてきた」人はとても光って見えるんです。そんな人たちを外に連れ出して、「いいね」とされることがとても嬉しかったんです。鼻高々というか。この年齢になってようやく、そんな仕事の喜びがあるんだということに気付くことができました。遅いですね。なんせ集団行動が苦手だったので。

そんなことは眼鏡屋さんのコラムでも書きました。

誰かのために頑張るのではなくて、誰かがいるから頑張れるということ。その先に「同じ想い」が待っているということ。さらにその先には、嬉しさと寂しさが待っているということ。その寂しさは、また誰かと喜びを交換したいと思わせてくれるということ。

(あぁ、そうそう。眼鏡屋さんのコラムも丸2年続けることができました。たまにDMなどで「読んでます」と連絡をいただくのですが、そういう声に支えられてなんとか書き続けられています。いつもありがとうございます)

話を戻します。

内側の人を外側に連れ出す。このアクションによって少しずつ変化が生まれ始めました。「外側」を知った内側の方たちがどんどん貪欲になってきたんです。つまり、外側に目を向け、足を踏み出し、つながる喜びをもっと味わいたいという欲が出てきたということです。

この流れは予想していなかったのですが、とても良い傾向だと思っていますし、来年はこの「欲」をベースに置いて活動を展開をしていきたいと思っています。

ちょっと抽象的な内容になりました(いろいろと制約があります故)。具体的な仕事の内容は以下取材記事などを並べるので見ていただけると嬉しいです。

あ。あともう一点。読んでいただき、もし「何か一緒にやりたい」という方がいたらぜひお声掛けください

▼携わっているもの

・キリンビール公式note

・キリンビール公式通販サイト「DRINX」特集

・オウンドメディア「KIRIN's Story」

▼取材記事

先日、今やっていることについて取材を受けました。とても物腰のやわらかいインタビュアーさんで、ついつい話し込んでしまいました。1時間くらい喋り通して喉が枯れ始めた頃、インタビュアーさんから「平山さんは作り手や社員の想いを背負っているんですね」と言われました。

「背負ってる」なんて重たい言葉、ここ何年も口にしてなかったからちょっとビクッとしてしまい、しばらく返す言葉が見つかりませんでした。

そのインタビューから1週間後、僕らと一緒にメディアを作っているライターさんカメラマンさん編集者さんらパートナーさんと小さな忘年会をしました。

その場で、忘年会らしくこの1年間の感想を聞いてみたのですが、その時にとある方が「俺らは一緒に仕事をしている以上、皆さんの想いを背負っているつもりでやっていますよ」と言ってくれました。

その言葉を聞いて鼻がツンとくるほど嬉しかったんです。そして「あぁ、来年も大丈夫だ」と確信しました。こうやってひとつひとつつないでいけばきっと大丈夫だ、と。

インタビューに話を戻すと、しばらく間を置いて僕はこう答えました。「そうですね。あんなに想いのある人たちを、おいそれとないがしろにできようはすがありません」

今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。
皆さん、良いお年を。

※このnoteは、waseisalonの「働くを考える」アドベントカレンダー用に書いたコラムを大幅に加筆修正したものです。



ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。