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オウンドメディアの次の打ち手は、メディア全体に波及しうる

ここ2週間ほど、急ピッチでこの話を進めています。

ここ数年のオウンドメディア(というよりはwebメディア全般)の急速な変化(端的に言えば読者が目減りしている)目の当たりにし続ける中で、自分(自社)のことのみならず、全体的に行き詰まりを覚えているような感覚がありました。

とはいえ、どこからも新しい打ち手がなかったこともあって、このまま悶々とするならばいっそ自分で動いてしまえ、とXなりnoteなりで発信してみたら、あれよあれよという間に話が進んでいる、というところです(おかげで若干息切れ気味です。単に夏バテとも言えますが)。

声に出してみると、案外同じような思いに駆られている人は見つかる。それを肌感として感じています。そしてその感覚はそのまま「次のオウンドメディア」の骨格でもあります

なんとなく感じていることや思っていることをSNSでシェアし合える時代がありました。糸井重里さんが著書『インターネット的』で語られていた「シェア・フラット」という思想です。

コロナ禍以降、そのポジティブとも牧歌的とも言える空気は鳴りを顰め、代わりにSNSの声はより何かを糾弾・非難するためのツールとして伸長しました。人間の生来の本質は「そっち側」なのかと諦めのような気持ちにもなっていたのですが、その裏側では虎視眈々と動きはあって、それは一部ポッドキャストや音声ラジオに見られるような「特定のテーマ(人)」の求心力や、下北沢B&Bで毎夜盛り上がっていた「知(わからない)」を起点とした集まりが復興していたりもします。そんな萌芽を目の当たりにする中で、この空気をオウンドメディア側が仕掛け作ることができるのではないか、と思い始めてもいました。

なぜか。それはここ数年で勃興しているオウンドメディアの多くの発信が「未来・社会・個人」起点であり、ビジネス的なアテンションをとるマーケティング的な思考から、長期的な視座にたったブランティング的アプローチのメディアが増えてきたからです。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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