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美しさ 【う_50音】

【美しさ】美しいこと。乱れや不整合がなくて心をうつ様子。または、その度合い。 (出典:実用日本語表現辞典)

そもそもが会うべきではなかったのだ。彼が「相談したいことがある」というときは大抵ろくなことがない。今までもずっとそうだったではないか。

相談という体で職場近くの酒場に呼び出した彼は、挨拶もそこそこに今在籍している会社でいかに自分が冷遇されていて、上司がいかに使えないかを2時間かけて口角泡を飛ばす勢いで話し続けた(彼の話を聞かなければ「口角泡を飛ばす」という言葉は一生使わなかったかもしれない)。

要は自分は間違っていない、間違っているのは会社であり社会の方だ、というのが彼の主張だが、話を一通り聞いた後で「ところで相談は?」と聞いた僕に「もういいや」と答えた時にはさすがに「間違っている!」と声を上げそうになった。

彼は自分の話が乗ってくると、片方の口角が上がり、もう片方の口角が下を向く。自分の言葉に悦に浸る喜びと自分の境遇への嫌悪が同時に顔に浮かんでいるようで怖くなった。

「あぁ。歪んでる」酒の入ったぼんやりした頭で僕はそんなことを思っていた。

・・・・・

「で。彼とはもう二度と会いたくないわけね」
そこまで僕が話し終えるのを待って、彼女は飲んでいたコーヒーカップを手元に置いて言った。
「できればもう会いたくないな」
「歪んでいると」
「うん」
そう言うと彼女は小ぶりな鞄の中から手鏡を取り出し僕に渡した。

「自分の顔、見てごらん」
差し出された鏡を開き自分の顔を映して驚いた。彼とそっくりの唇の形をした僕がいた。気付けば「歪んでいる」とこぼしていた。

「そういうこと。歪みは伝染するの。いや呑み込まれると言った方がいいかもね」
混乱する僕をよそに僕から鏡を取りあげ鞄にしまいながら彼女は続ける。
「さて。歪みの反対の言葉ってなんだろうね」

だんだん彼女が先生みたいに見えてきたけど、そこは一旦忘れて問いに対する答えを考えてみる。
「歪んでないってことだから、整っているとでもいうのかな。それも違うな」

「ところで小沢健二の『美しさ』って歌は知ってる?」
「はい?」
「『美しさ』。元々は『さよならなんて云えないよ』って歌なんだけど」
「あぁ。そっちの方なら知ってる」
「その歌をスローアレンジしたバージョンのタイトルが『美しさ』なの」
歪みの反対の話はどこに行ったのだ?という思いは声に出さずに続きを聞くことにした。

「でね。その歌詞なんだけどね」と言いながら彼女はスマホを差し出した。歌詞サイトの中に『美しさ』の歌詞が表示されている。

歌詞を追いかける。
最後まで読み終えたとき、不覚にも泣きそうになっていた。そんな自分に驚いた。

南風を待ってる 旅立つ日をずっと待ってる
“オッケーよ”なんて強がりばかりをみんな言いながら
本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると
そして心は静かに離れていくと

 美しさ;oh baby ポケットの中で魔法をかけて
心から;oh baby 優しさだけが溢れてくるね
くだらないことばっかみんな喋りあい
町を出て行く 君に追いつくようにと強く手を振りながら

いつの日か;oh baby 長い時間の記憶は消えて
優しさを;oh baby 僕らはただ抱きしめるのかと
髙い山まであっというま吹き上がる
北風の中 僕は何度も何度も考えてみる
 
『さよならなんて云えないよ(美しさ)』/小沢健二

「ありがとう」
なんとか声を絞り出してスマホを彼女に返した。

「なんとなくわかった気がするよ。歪みの反対の言葉はわかないけれど、呑み込まれそうな歪みに対抗できるのはたぶん美しさだけなんだね」
そこまで言うと彼女はニッコリ笑って
「なら良かった」
とだけ言った。

・・・・・

家に帰りテレビを点けると、2日前に姿を消した2歳児を、ボランティアで捜索に協力した80歳近い方が見付け救ったというニュースが流れていた。

ボランティアの方は65歳で仕事を辞めた後、「お世話になった人に恩返しをしたい」ということで全国に軽自動車ひとつでボランティアに駆けつけているボランティア界(そんな業界があるかはわからないけど)では有名な方だった。

今回の件はニュースで知って、2日経っても見つかっていない状況を見て、「(2歳児の子に)呼ばれている気がした」とすぐに訪れることを決意したという。

テレビでは、助かった2歳児のお祖父さんがボランティアの方に「家に上がってください。お気持ちですが」とご飯に誘っているシーンを映していた。
「いかんです。それはいかんです」と答えるボランティアの方。「いや。それでも」と食い下がるお祖父さんに「本当にいかんです。決めているんです」ときっぱりとした声で答えていた。

気付けば僕は涙を流していた。
テレビに映るボランティアの方の、黒く焼けた顔と汚れた服、80歳近いとは思えない真っ直ぐで力強い声を聞きながら「なんて美しい人なんだ」と思った。

美しさなど言葉で定義できるものではないかもしれないけれど、今日その輪郭が少しだけわかったような気がした。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。