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伝わる文章を書くなら自分の中に「気づける箱」をつくること

「文章力をあげるためにどんなインプットをしていますか?」

僕の文章に感化されたらしい社員がこんなメッセージを送ってきてくれました。伝える表現を身につけたいけれどなかなかうまくいかないという悩みがあるそうで、いろんなところで書いている僕の文章を見て、その「わかりやすさ」と「伝わりやすさ」を身につけたい、といったようなことが書かれていました。

改めて聞かれるとなかなか難しい質問です。
まずもって、僕自身が「表現力のある、伝わる文章」を書けていると思ってないからです。ましては職業的な書き手ではないため、専門的なスキルもナレッジもないわけです。

何より、こうして月に2回ほどnoteを書いて(もうこの『仮説の手前』も70本を超えました)、月に1回雑貨屋さんでコラムを書かせてもらっていて(こちらはもう6年)、書けば書くほど、「完璧な文章など書けない」ことに気付かされるわけです(なんだか『風の歌を聴け』の冒頭みたいだ)。人に教えられるわけがない。

そう考えると、職業的な書き手ではない僕の文章に「引っかかる」ものがあって共感のようなスイッチを小さくとも押したのだすれば、おそらくそれは僕の「文章(表現)」そのものではなく、僕が「何か言葉にしようと考えあぐねたそのプロセス」に共感してくれているのだと思うんです。

だから「伝わっていない」と悩むのであれば、それは文章ではなく、そのプロセスに目を向けた方がいい、ということになります。ましてや、何かをインプット(読む)するだけで、「表現力が上がる」ということは基本的にはない、と思った方がいいと思っています(好きな作家の文体に寄る、ということはあると思いますが)。そういった「インプット」からできるのは「コピー」であって、なんとなく「いい感じ」なものは、少ない数であればできると思いますが、結局のところ枯渇していきます。やはりフィジカルな言葉(自分の内奥から出てくる言葉)でないと伝わるものにはなっていかないんです(1本だけでもいいから感動させたい、という話なら別ですが)。

ではそのプロセスとは何か、という話になりますが、それは僕の中では比較的シンプルなことで、自分の中に「気づける箱」を用意することだと思っています。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。