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仮説の手前 26

小学校高学年の頃、不登校気味の同級生がいました。その子とはほとんど話したこともなかったのですが、僕の通学路の途中にその子の家があるからか、担任の先生から朝その子の家に寄って、できたら学校に連れてきてほしいという依頼がありました。

当時は遊び盛りでもあるし、何よりほとんど喋ったこともない子でもあって、「なぜ僕が?」とちょっとした抵抗感もありつつ、まぁ立ち寄るだけなら、ということで一時期「立ち寄り」をしていました。

どのくらいの期間続いたのかは思い出せないのですが、いざ始めたらそんなに苦でもなく、その役割を引き受け続けている自分がいました。「そういうことをする役回り」だと、なかば当たり前のように思っていた節もあったように思います。

役割。
今月の雑貨屋のコラムはそんなことについて書いたわけですが、これまでの社会人人生を振り返って、役割というか立場というか、いわゆる名称めいた肩書きのようなものは、案外自分で勝手に名乗り始めていたことに気がつきました。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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