三月一日 to 'n de 八日


学生生活

この短い4文字では到底言い表すことのできない豊かで、振れ幅のある5年間を過ごしてきたと、大学入学から60ヶ月目の今、私は思う。

しかし”思っている”だけのものとは存外簡単に壊れたり、削れたり、美化されたり、何かと脆いものなのではないだろうか。


例えば大学一年生の初めの頃、その後の友人関係を決定づけるいくつもの出会いがあったタイミングだが、それらは既に5年前である。

5年という歳月を動物界に照らし合わせると、ハイイロオオカミの野生化での寿命が早くてそのくらいなのだそうだ。

強く、気高く、どこか神秘性を帯びたオオカミという動物の一生に値するほどの時間だ。

まあ、だからなんだと言われればそれまでなのだが。


ともかく、この5年間で得た知識、感情、ひっくるめて”経験”と呼ぶに足る事物たちを、どこかに記録しておくタイミングは今をおいて他にないと考えた私は、

「3月1日から一ヶ月間、毎日note更新めざすぞ!」

と意気込んでいた。


しかし、ふとスマホのロック画面に目を落とすと、

そこには「3月8日」の文字が。

「こんなはずじゃなかった、、、」

もし『私の学生生活における頻出フレーズ1500』という単語帳が発売されたら、1ページ目に記載されるであろう言葉だ。

最重要で超頻出、赤マーク必須である。


こうなるとモチベーションが一気に立ち消える。いつだって、自分の成功を妨げる最強のヴィランは自分だと感じる。

たしか一番最初に投稿したnoteにも似たようなことを書いていた。

「人間そう簡単には変われないさ」

都合の良いだけの自分が、鼻を高くして嘯く。

そんなものはその場しのぎの逃げ口上だと分かっていても、すがりつかずにはいられない。


しかし、そんな自分が私の私による私のための脳内会議室に表れても、「ハイハイまた君ね、じゃあ出口はあっちなのでご案内しますよ」と軽くあしらえるほどには、自分の扱い方を掴んできた気がする。

と言いつつ、稀にそいつがとんでもないクレーマーで、手こずることもままあるのだが。(ちなみに私はこの「ままある」という言い回しが好きだ。)


ともかく、「一ヶ月毎日更新みたいなチャレンジはもう無理だしやってもしょうがないよー」怠惰担当の私を払いのけ、ようやくこの投稿に手を付けている。

つまるところ、私はさほど成長していない。優れた人間になったとは言えない。誰に対しても利害を生まないこんなプライベートで勝手にパブリックなブログもどきを書くためにも、ウダウダごたくを並べないと気が済まない。

いわゆるプロローグを用意したい。

かっこつけたい。

めんどくさい。


それでも、変化はあった。

嫌いなものに共感できるようになり、

好きなものを批判できるようになり、

節目のあいさつとかお世話になった人へのお礼とか、

エスカレーターは下側に行くとか人の視線を意識しすぎないとか、

そうやって、できなかったことができるようになることを成長と呼ぶのであれば、

私は学生生活を通じて小さな成長を、確実に積みあげてきた。

以前であれば「成長した」ということすら自信が持てず言い切れなかっただろう。

十年先二十年先も、自分がそう言い切れるように、しっかりとその跡をここに残しておきたい。


そうした変化はもちろん自力ではなく、いろいろな人の助けを借りた。そんな大切な人たちへの感謝の念を忘れないた、という意味合いもある。


何はともあれ、書かなければしょうがない。


おそらく、私はずっと、書かなければしょうがないんだ。






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