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【読書メモ】アカデミックな価値をつくる:『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(阿部幸大著)

阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』の第2章のタイトルは「アカデミックな価値をつくる」です。修士課程の学生になった当初につらかったのは、諸先輩や先生から「あなたの論文のアカデミックな価値は何ですか?」という質問を何度も受け、回答しても「それはアカデミックな価値があるとは言えない」と言われ続けたことです。いま思い返すと、企業人として働いてきた社会人(当時の私)が事前に考えがちな修士の研究と、研究者の方々が考える研究とにはズレが生じがちなのでしょう。第2章では、このアカデミックな価値について焦点が当たっていますので、特に修士課程に入ったばかりの方や修論に取り組もうとしている方にとって必読の章と言えるかもしれません。

アカデミックな価値(その1)

どのような研究が学術的に意味を持つのかを示すものとして、Matt Mightが提示した有名な図を著者は和訳してくれています。

p.48
p.49

これに類するものを見たことがある方も多いでしょう。この図解からわかるアカデミックな価値として捉えられるものを「これまで誰も知らなかったことを発見して、人間の知識の総量を増やすこと」(p.49)として表現できるとしています。

著者はこの考え方に対して人文学におけるアカデミックな価値という観点から批判的に論じて後述する2つめのポイントを述べておられます。ただ、上記のような捉え方だけではなく他にもアカデミックな価値の提示のしかたはある、というように著者は新たな観点を加えているように読み取れますのでこのnoteでは「その1」「その2」という書き方にしています。あくまで私の印象なので、気になる方はぜひ第2章を読んでみてください。

アカデミックな価値(その2)

では、著者が考えるアカデミックな価値とはなんでしょうか。先ほどのMightの議論は自然科学の知見に寄りすぎているという批判を基に、Mightの円を基にしながら以下のように議論しています。

人文学においては、むしろ円の中心にあって疑われもしないような「常識」をひっくりかえすような仕事にこそラディカルな力が眠っている――つまり、アカデミックな価値が大きくなる可能性を秘めている。

p.51
p.52

従来の研究上で明らかになっていた知見の整理や流れについて、新たな角度から光を照射することで異なる見方を提示することも価値である、ということでしょうか。個人的にはとても納得できる内容です。

学術的な批判=建設的な議論≠喧嘩

前項の箇所で著者は、Mightやそれに近い戸田山先生の先行研究を批判的に論じています。念のため、第1章のポイントを繰り返しますが、批判的に論じるとは建設的な議論を展開することであって、対立や喧嘩を意味するものではありません。むしろ、著者が述べているようにリスペクトがあるからこそ先行研究として取り上げたうえで批判的に論じるのです。

経験の浅い論者は批判を、なにかスキャンダラスな行為だと考えてしまいがちである。だが(中略)、アーギュメントのひとつの条件は反論可能であるということなのだった。批判的引用とは敬意の表明の一形態なのであり、その論文や書籍に価値がないという主張とは異なる――それどころか、まったく正反対である。価値があるからこそ引用・批判して、その基礎のうえにアーギュメントをたてるのだ。

p.53

恥ずかしながらこの部分は目から鱗でした。個人的に敬意を抱いている先生の論文を引用する際には、全乗っかりで書かねばならない、という心理的拘束感をどこか持っていました。ただ、主張に完全に乗っかるのであればわざわざ同じことを書く必要はないのですよね。「批判的引用とは敬意の表明の一形態」という至言を胸に今後の論文を書いていこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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