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【読書メモ】ゴッフマンを初めて読むならこの一冊!:『儀礼としての相互行為<新訳版>』(アーヴィング・ゴッフマン著、浅野敏夫訳)

ゴッフマンに以前トライした時は訳になじめず断念したのですが、本書は読めました!訳者は、後書きにおいて「社会学にもゴッフマンにもまったくしろうとである」(p.321)と謙遜されていますが、大変すばらしい訳です。ゴッフマンを理解するための最初の一冊は本書が良さそうです。今回は、ゴッフマンの考え方の概要を知ることができる第1章についてまとめます。

面目

本書の鍵概念の一つに面目(face)があります。日常的にも「面目ない」とか言ったりしますが、その面目です。以下のように定義づけています。

ある特定の出会いのさい、ある人が打ち出した方針、その人が打ち出したものと他人たちが想定する方針にそって、その人が自分自身に要求する積極的な社会的価値

p.5

定義を読んでもよく分かりづらいのですが(失礼!)、他者の面目を尊重したり、自身の面目を大事にしたり、というように面目を取り巻く相互行為は私たちが生きる社会において生じます。

 自尊心の原理と思いやりの原理とが結びつくと、人は自分の面目とその場にいる人たちの面目の両方を立てるように行動する傾向を見せる。その意味は、そこにいる人たちのとっている方針はそのまま認められ、それぞれの人が自分で選んだと思われる役割を当人が実行するのもそのまま認められる、ということである。全員がその他の人の方針を一時的に受け入れる状況がそこに成立する。そうした相互受容が相互行為における基本構造の特徴であると思われる。とくに、対面での談話という相互行為の基本的特徴が相互受容になるだろう。この相互受容は「当面の」受容であって、「本物の」受容ではない。

p.11

少し長いですが、イメージしやすいと思うので引用しました。「「当面の」受容であって、「本物の」受容ではない」という部分は、相互受容は動的なプロセスであり静的なものではないということを強調したいのでしょう。

面目と行為

こうして面目と社会における行為とは密接に関連するものとなります。両者の関係についてゴッフマンは以下のようにまとめています。

 面目ー行為[face-work]という概念を、自分がやっていることを面目と合致させるべく、その人がとるいろいろな行動という意味でわたしは使うことにする。面目ー行為は「偶発時」と正反対の動きをする。

p.12

冒頭で見た通り、面目には社会的価値が付随します。自らの行為を社会的価値へと繋げていこうとすることを面目ー行為というようにゴッフマンは述べていることが分かります。

二つの自己

面目ー行為には自己が関連するわけですが、自己には二つの意味合いがあります。

わたしは自己という言葉を二つの意味で使ってきた。ひとつは、出会いにおけるいろいろな出来事の流れ全体が表出するいろいろな意味で織り成される表象としての自己。もうひとつは、儀礼としてのゲームをするプレイヤーとしての自己。

p.29-30

ミードで言えば前者がmeで後者がIということになりますね。このあたりはいかにも相互作用論の香りが漂う論調です。

儀礼

こうして二つの自己の役割から儀礼が登場します。

 自己の二つの役割がいったん区別されると、人は、面目ー行為にふくまれている儀礼の規範に注意するようになり、その結果、二つの役割がどう関係し合っているかを知ることができる。

p.30

ゴッフマンといえば儀礼ですが、面目、行為、自己と説明がなされてから論じられると、ようやく、なんとなく(?)儀礼というものがわかったような気がします。

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