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【読書メモ】『ナラティヴ・セラピー・ワークショップ Book1 基礎知識と背景概念を知る』(国重浩一著)〜背景理論篇〜

今回はナラティヴ・セラピーの理論的な背景についてまとめます。少し拡大解釈も入りますが、ナラティヴは、言説分析脱構築といった構造主義/ポスト構造主義の思想を受けています。

構造主義/ポスト構造主義

ポスト構造主義は、構造主義が所与の状態になった後の思想潮流のことを指し、いつからがポスト構造主義なのかを示すことは難しく、込み入った議論を避けるためにここでは構造主義について触れるのに止めます。

構造主義について著者が触れる際には、内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』からの引用が多いため、私も自信を持って踏襲します(笑)。ちなみに同書は、わけわからない構造主義に関するわかりやすい入門書であり、オススメの一冊です。内田さんによる構造主義という考え方の説明が簡潔でわかりやすいので引用します。

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。(『寝ながら学べる構造主義』25頁)

つまり、私たちはまっさらな状態でものを見ているわけでも、物事を考えているわけでもないということです。自分が所属する準拠集団における物事の捉え方の影響を受けています。こうした物事の捉え方を社会学では言説(discourse)と呼びます。

西欧近代をめぐるフーコーの著作群を起爆剤とした言説(discourse)概念は、言語行為とは異なるやり方で、言葉の「中にある」社会性を追究している。(『社会学の力』58頁)

言説というものは抽象的で少々わかりづらいのですが、上記引用文にあるように、私たちが使う言葉というものは自分自身の100%オリジナルで使うというものではないことが普通です。なぜなら、純粋にオリジナルな言葉は他者に意味が通じないからです。したがって、私たちが使う言葉には社会性が必然的に伴っていて、これが言説と呼ばれるものです。

こうした私たちが無自覚に依拠している言説構造に自覚的になることを支援することがナラティヴ・セラピーの考え方と言えます。つまり、言説そのものは価値中立的なものですが、無自覚にある言説に依拠してしまっていると、他のものの見方ができなくなります。

ナラティヴ・セラピーでは、ある言説に囚われてしまっている状態に気づき、他の言説を選ぶ可能性を支援することを行なっているようです。この一連のプロセスの背景には、脱構築という考え方があることにも留意が必要でしょう。


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