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【読書メモ】『ドラッカー✖️社会学 コロナ後の知識社会へ』(井坂康志・多田治著)

企業組織で働いていると、ドラッカーといえばマネジメントというイメージがついて回ります。本書のポイントは、彼のマネジメント論の裏表の関係には社会生態学があるという点です。この点をドラッカー研究者と社会学者とが対談を交えて解説してくれています。

現代におけるドラッカーと社会学

ドラッカーが社会を論ずる上で仮想敵に置いたのが、経済至上主義、近代合理主義、社会主義、そしてナチズムです。これらに通底する考え方は「一元的な主体による理性的・演繹的・還元的な思考」(36頁)であるとし、ドラッカーは徹底的に批判を加えます。

その上で「人間社会にあるがままの、多元的な社会の生態」(36頁)を捉えたのがドラッカーの社会生態学の立ち位置です。彼のマネジメント論の裏表の関係に社会生態学があることを理解して再読すると、新たな発見があるかもしれません。

知識=行動✖️認識

ドラッカーが批判的に論じた近代合理主義とは、ものすごく捨象していえば、事象を分解することができ、部分の集合が全体であるという考え方から成ります。物事を分析することで世界を認識しようとしたデカルトが嚆矢であるといえます。

デカルト批判についてはフッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』も参考になります。フッサールはもうお腹いっぱいなので、ここでの下手な解説はあきらめて、以下をご笑覧ください。

近代合理主義では客観的な世界が正しく存在しているという前提のもとに、理性によって受動的に認識することが全てであるとしています。それに対してドラッカーは、行動と認識からなる知識を重視しています。知識社会においては、世の中を静的に捉える認識だけでは足らず、動的に働き続けようとする認識✖️行動が大事である、というわけですね。つまり、個人による世界への能動的な働きかけと、それによって生成的に世界を解釈するという相互作用です。

と書いてくると、自身の研究テーマに何でも結びつけるのもなんですが、想起するのはジョブ・クラフティングです。ざっくりいえば「仕事を工夫すること」と言えるジョブ・クラフティングに私が惹きつけられるのは、タスクを変えようと働きかけるだけではなく、周囲との関係性への働きかけ(人間関係)や、捉え方を変えようとする(認識)ことも同じように重視しているからです。

このようにジョブ・クラフティングは、タスクや他者との相互作用を重視し、行動と認識とを視野に入れた概念です。大袈裟にいえば、知識社会において、自ら主体的に働きかける相互作用を意味するジョブ・クラフティングという概念が出てきたのは必然とも言えるのかもしれません。

知識人とは何か

知識社会において求められる人材は、文字にすれば自明に思えますが知識人です。では知識人とはどのような人なのでしょうか。

 知識人がアウトサイダーとしての立ち位置を獲得したとき、最もよく機能するということです。(中略)ネットワークを機能させるうえで、アウトサイダー性は重要な要因だと思うのです。
 アウトサイダー性を必然的にもつ仕事としては、ジャーナリスト、学者、コンサルタントなどがあります。これらは権力機構から一定の距離を置いて、はじめて機能する特性をもっています。(172頁)

ここで列挙されている職種の方々だけが知識人であるということを著者たちはおっしゃっているわけではないでしょう。キーとなるのはマージナルな存在であることであり、外部性を有しているということでしょう。

組織において、その組織へのコミットメントが高い存在が多いことは重要です。組織コミット研究をレビューしている中でこの点は着目せざるを得ません。他方で、組織の中にいる権力主体が、ルールに則って時に暴走することも歴史から学ぶべき点でしょう。知識社会における知識人という存在を重視する点は、こうした暴力装置からの攻撃を受けたドラッカーの警句と捉えたいものです。


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