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【論文レビュー】新制度派組織論とは何か。:山田(2003)

組織における文化や制度をめぐる研究においては、組織における価値観を明示的に示して組織に属する人々の行動を規範的に促すタルコット・パーソンズ流の構造機能主義的な組織文化論があり、今でも根強く定着していると感じます。機能主義による組織の捉え方への反省から、構築主義的な組織観へと捉え直したのが新制度派組織論です。本論文は、この新制度派組織論を精緻に扱っています。

山田真茂留. (2003). 構築主義的組織観の彼方に--社会学的組織研究の革新 (特集 制度と組織). 組織科学, 36(3), 46-58.

組織観のゆらぎを前提とする新制度派組織論

新制度派組織論が提唱されたのは1970年代後半からのようですが、なぜこのような組織論が出てきたのでしょうか。著者によれば、その背景には、個人のアイデンティティのゆらぎと、それに伴う組織観のゆらぎがあると言います。

近代合理主義はデカルトのいうところの懐疑という思考様式を伴います。懐疑を繰り返した結果としてデカルトは人間理性を打ち出したわけですが、ポストモダンにおいてはその理性すらが相対的なものと見做され、その理性という拠り所を失った結果として、個人のアイデンティティもまたゆらぎ、アイデンティティ構築は永続する開かれた営みと見做されています。

こうした個人のアイデンティティのゆらぎは、個人が参画する組織におけるアイデンティティのゆらぎにもつながったと著者は解説しています。そのため、①行為(ミクロ:個人)、②組織(メゾ:企業など)、③フィールド(マクロ:民族、国家など)という三つの次元を構築主義的に捉えようとする新制度派組織論が登場したと言えます。

構築主義の解説は解説は端折ります。ここではざっくりと構築主義は社会構成主義と捉えていただいて(詳しい方からは異論があるでしょうが)、構築主義が気になる方は以下をご笑覧ください。

新制度派組織論とは何か

何度読んでも本論文で新制度派組織論が定義はされていません。そこで解釈含みますが、少しまとめます。まず新制度派組織論は、組織における「公式構造の存在を実体視せず、またその合理性を所与の前提とはしないという姿勢」(47頁)を示すものです。つまり、組織文化論が前提にしている客観的な組織における規範や合理性を前提とせず、構築主義的に生成するものであると捉えています。

これは新制度派組織論が拠って立つ理論の影響を受けており、シュッツを嚆矢とした現象学的社会学の系譜に連なるものだからのようです。

新制度派組織論の功罪

まず、新制度派組織論がもたらしたものとして、著者は以下のように述べています。

マイクロな水準とマクロな水準とにおける認知的制度化の問題を深く探究することを通じて、組織現象をより広い社会的文脈と結びつけ、また組織論を一般社会学へと密接に関連させたという点に、大きな意義を認めることができよう。(51頁)

つまり、上述した通り、①行為(ミクロ:個人)、②組織(メゾ:企業など)、③フィールド(マクロ:民族、国家など)という三つの層を想定した理論ですので、②組織はその上位層にあたる③フィールドからの影響をお互いに与え合うという現象をも射程に入っています。

たとえば、トヨタやパナソニックは業種や経営状況が異なりますが、GEやIBMと比べると「いかにも日本的な経営」という近しい制度を持つという現象を説明することが可能になります。

しかし、こうしたスコープの拡大は、ともすると制度というものを実体視することに繋がりかねないと、著者はワイクを引きながら警鐘を鳴らします。

マクロな水準において既存の諸制度が発揮する圧倒的な影響力や、マイクロな水準において自明視されたルールに唯々諾々と従う行為者像などといったものを、いずれも実体として措定してしまっているような議論が、少なからず見られるのである。それは、自身が提唱した構築主義的な視覚に対する重大な違背にほかならない。(54頁)

一つの理論が生み出した多くの可能性と、内包するリスクとをバランスよくレビューされている、何度も読み直したい(というか読み直さないと理解できない)深みのある論考でした。

著者の書籍については以前も取り上げたのでご関心のある方は以下もご笑覧くださいませ。


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