【読書メモ】なぜ、面白い理論の構築にとって逆効果でしかないギャップ・スポッティング的アプローチが支配的になっているのか?:『面白くて刺激的な論文のためのリサーチ・クエスチョンの作り方と育て方』(M. アルヴェッソン+J. サンドバーグ著)第7章
本章では、新しく行われるほとんどの研究が、ギャップ・スポッティングのアプローチになってしまうのかに焦点を当てて説明しています。研究者としてのアイデンティティに関する記載は切実かつ生々しいものがあり、エッセイとしても秀逸だと感じるとともに、翻訳がうまいなぁと感嘆します。
先行研究の大事さ
社会人大学院生が本章を読むと誤解しそうなので、改めての指摘です。著者たちはギャップ・スポッティングを批判的に捉えているだけであり、先行研究を批判しているわけではありません。むしろ、必要不可欠な大事なプロセスであると述べています。
ろくに先行研究もせずに、「私のこの手法は画期的だ!」だとか「現場の真の課題は理論や概念で説明できないものだ!」などと強弁する方がたまにおられます。本当にそうなのかもしれません。しかし、もう少し謙虚な態度でなければ伝わるものも伝わらず、謙虚なアプローチが先人に学ぶという先行研究なのではないでしょうか。
規律的管理体制としてのジャーナル
本章がすごいのは、ジャーナルというしくみを、フーコーを引いて規律的管理体制として形容している点です。個人が主体的に服従しようとする、というアレです。つまり、ジャーナルへの投稿は個人の自由意志に基づいて行っているわけですが、そこでのお作法を通じてジャーナルによって規律を内面化するという作用が生じる、ということなのでしょう。
これはなかなか言い得て妙なものです。さらに著者たちは畳み掛けていまして、そうした内面化を通じて形成されるものが、ブリュデューのいうところのハビトゥスであるというのです。
この辺のストーリー展開は堪らなく興味深く、そうであるが故にすごくこわいなぁとも思います。
研究者としてのキャリア!?
では、どのように私たちはこうしたしくみに対抗することができるのでしょうか。
上記引用箇所を読んでいて、研究者一本のキャリアに舵を切るのは私には無理だし向いていないな、と感じました。ギャップ・スポッティングに対抗するためには、研究者としてのアイデンティティと同等かそれ以上に強いアイデンティティを他に持っていないと難しいと感じます。
このような書き方をするとネガティヴに感じるかもしれませんが、むしろ反対です。他のアイデンティティ(たとえば人事パーソン)を強烈に持っていれば、研究として認められなかったとしても、(すごく悪く言えば)別にどうってことないわけですから。これくらいの開き直りで取り組むことも大事なのかなと思いました。
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