第2話 英語に人生をかけると決めたオーストラリアの夜
日本には居場所がないと感じながら大学4年生になった僕は、「3か月だけ行ってこよう」とオーストラリアに旅立った。
「3か月だけ」と思っていたのだが、もう少しもう少しと言っているうち、結果的に1年もオーストラリアで生活をすることになった。
ちなみに前回の話はこちらから
https://note.com/takaooshima/n/n390a09f7c898
1.毎日が楽しいオーストラリア
10万円しかない僕はすぐにアルバイトを探し始める(オーストラリアの物価は日本の1.5倍くらいのイメージ)。
チェリーピッキング(アメリカンチェリーの収穫)やミートファクトリー(牛の解体工場)、個人農園の手伝い(野犬が多い)など、なんでもした。
毎日慣れない肉体労働で疲れていたが、毎日が本当に充実していた。
オーストラリアでは、日本人も韓国人もオーストラリア人もドイツ人も、いろんな人種の人たちと会話をして、気持ちが伝わる瞬間が僕の毎日を刺激的なものにしてくれていたからだ。
今から思えば当時の僕はカタカナのカタコト英語で、周囲の人も困っていたと思う。
特にルームメイトのサム(オーストラリア人)には非常に迷惑をかけたと今になって思える。
サムが”Hi, Taka! I was surprised …”と話しかけてくれても、流ちょうな英語が分からない僕は”Sorry. Again?”と言い、またサムが同じことを言う。
これを3往復する。
お互い目を合わせる。
うなずき、納得して諦める。
いつもこんなコミュニケーションだった。
しかし、僕にとっては英語で生活ができていることが自信になっていた。
一緒に歌を歌ったり、一緒に酒を飲んだり、たいした話をしていなくとも、日本とは違う日常がオーストラリアにはあったのだ。
2.後悔が残るオーストラリアの夜
ただ、悔しい思いも、もちろんある。
ある日ベルギー人やオーストラリア人、ドイツ人など多国籍メンバーでご飯を持ち寄ってディナーをすることになった。楽しい雰囲気に僕は胸を躍らせていた。
10人くらい集まってワイワイ話しているのだが、何を言っているのかよく分からない。
どうやら流行りのドラマの話をしているようだった。
そのドラマを全く知らない僕は、会話に入りたい一心から、
思い切って
”Popular in your country?”
と聞いてみた。
するとピタッと会話が止まり、少し困惑したような表情で”Yes….”と返された。
それからドラマの説明を受けたのだが、何を言っているのかよく分からない。
質問をすると話の流れが止まってしまう。
見当違いでもなんとか僕は受け答えをする。
何だか変な空気が僕たちの間に流れた。
僕一人だけが異国人であることを認識させられた。
それから僕は一人、隅の方で「ご飯が美味しくて話す時間がないよ!」という人を装って、なにも話さず1時間程度過ごし、”Sorry, I gotta go.” そろそろ行かないと・・・と言って誰よりも先に帰宅した。
もっと英語が話せればみんなとコミュニケーションをとることができたのに。
悔しいやら恥ずかしいやら、何とも言えない感情は今でも忘れられない。
3.次こそは・・・
次に来た時にはここを自分の本当の居場所にしたい、と思った。
もっときちんと英語が話せれば今以上に世界が身近なものになる。
今はまだできないかもしれないけど、英語が話せれば世界中どこでも自分の意思で居場所を決めることができる。
大学生の僕は英語の可能性に人生をかけることにした。
もう一人で悔しい思いはしたくない。
・・・と、まだ起業はしていないところで次回へ続くことに。でも英語に対する気持ちはなんとか伝えきれた、かな。
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