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藤井香愛5周年記念コンサート「5th Anniversary Concert〜感謝祭 〜」

アイドル出身、アイドル兼任の女性演歌歌手のライブなら行ったことはあるが、そうではない女性演歌歌手の単独コンサートとなると今回の藤井香愛が初めてだと思う。まぁ、彼女はダンスグループのメンバーだったこともあるのでアイドル出身という要素が皆無とは言い切れない気もするが。

団塊ジュニアの水森かおりは既にベテラン扱いなので置いておくとすると、彼女に次ぐポジションとなるのは現在30代の人たちということになる。
この世代では杜このみや丘みどりがアイドル的人気を博していたが(丘みどりは実際にアイドル出身だった)、2人とも結婚・出産によりアイドル的存在ではなくなっている。

また、さらに下の世代となる現在20代の女性演歌歌手には元AKB48の岩佐美咲や民族ハッピー組出身の望月琉叶がいるが、いずれもまだ、アイドル時代のイメージを払拭するには至っていない。後者なんて日本レコード大賞最優秀賞候補の新人賞を受賞しているのにもかかわらずだ。

そういう意味で言うと、アイドル的人気がありながら、アイドル出身のイメージを持たれていない若手(演歌としては)女性演歌歌手で、かつての杜このみや丘みどりのポジションを担える位置にいる人をあげるとすれば藤井香愛ということになるのだろうか。

そして、実際に初めて彼女のコンサートを見て驚いた。これはMIXやガチ恋口上がないだけで、実質アイドルのコンサートだね。

確かに、普通のアイドルのコンサートよりは観客の年齢層が高い。自分が若者グループに入ってしまうくらいだ。
見切り席一歩手前の位置とはいえ(実際、バックバンドのメンバーのうち2人は全く見えなかった)、4列目というそれなりの座席を与えてもらえたのは若者優遇策なんだろうと思う。
乃木坂46や=LOVEのコンサートでは、女性人気、若者人気をアピールするために、オーバー30の男の観客は落選祭りだし、当選しても天空レベルの席しか与えられないが、演歌歌手のコンサートだから、自分は若者扱いしてもらえたということなのだろう。

しかし、客席から聞こえるファンの掛け声はアイドルのライブ会場で耳にするものとほぼ同じトーンだった。地上アイドルのライブで酷い仕打ちを受けている中高年ファンが若手女性演歌歌手の現場に来て、アイドルのライブのノリで声援をおくっているようにも見えた。

というか、演歌・歌謡曲というジャンルを根絶やさないためには中高年のアイドル路線で行くのが正解なのかも知れないと思った。

現在、60代以上の演歌ファンは、ニューミュージック(現在はシティポップなどと呼ばれているが)や80年代アイドル楽曲のカバーを取り入れたセトリに対して、“こんなの演歌じゃない”と不満を持つかも知れない。
でも、バブル世代(アラ還)や団塊ジュニアのように子どもの頃に、「ザ・ベストテン」などの歌番組で、演歌もアイドルもロックもニューミュージックもいっしょくたに聞いていた世代からすれば、演歌・歌謡曲とそれ以外のジャンルを混ぜて披露するセトリというのは自然なものだからね。
つまり、現在の日本で一番金を使ってくれるのはバブル世代から団塊ジュニアなんだから、この世代にアピールできるようにシティポップや80年代のアイドル楽曲を混ぜたセトリにしようというのは至極当然ということなのではないだろうか。

それにしても、全曲バックバンドの生演奏付きで披露しないというのは謎だったな。しかも、自前の曲は基本カラオケ伴奏だからね…。まぁ、アンコール扱いのパートで歌った最新シングル曲はバックバンド付きだったけれど。

3つのセクションにわけて10曲披露したカバー曲コーナーはバックバンド付きだったが本編終盤に披露したカバー曲(1曲は演歌・歌謡曲系、もう1曲は松田聖子)はカラオケ伴奏だった。

全然、統一感がないんだよね…。著作権的な理由ならカバーは全曲生演奏とかになるはずだしね…。

ところで、今回カバーした松田聖子“瑠璃色の地球”だけれど、改めて聞くとマイケル・ジャクソンの“キャント・ストップ・ラヴィング・ユー”みたいなところもあるんだよね。
そして、リリース時期を見ると、“瑠璃色”が86年なのに対して、マイネルは87年だ。通常なら、洋楽曲に似ている邦楽曲というのは、パクリ、良く言ってもオマージュであることが多いが、この曲に関してはそうではないということか。

“シティポップ”コーナーで取り上げた“夢で逢えたら”について一言。世間一般的にはラッツ&スターのイメージが強く、彼らがシティポップのアーティストとして語られることはほとんどない。また、彼らのバージョンは96年のリリースだから、時期的にもシティポップの楽曲ではない。
明確な区分があるわけではないが、シティポップと今呼ばれている音楽はかつてニューミュージックと呼ばれていたジャンルの音楽とニアリーイコールである。でも、フォーク寄りのアーティストや荒井由実時代のユーミンはシティポップのイメージはあまりない。また、シティポップにはオシャレなサウンドというイメージがあるが、EPICソニー系のアーティストにはシティポップのイメージはない(TM NETWOPK、渡辺美里、佐野元春など。ラッツ&スターもそう)。

そう考えると、70年代末から80年代半ばくらいまでにリリースされたフォーク色やロック色が薄いオシャレなイメージのあるニューミュージック系アーティストの楽曲をシティポップと呼ぶということになるのだろうか。

まぁ、ラッツの曲と見れば“夢で逢えたら”はシティポップではないが、この曲を最初にレコーディングした吉田美奈子や、作者の大瀧詠一(大滝詠一)の楽曲として捉えればシティポップなのかな。

“80年代女性ボーカル”コーナーではWink“淋しい熱帯魚”を取り上げていた。最近、この曲をClariSもカバーしているが、バブル世代や団塊ジュニア受けがいいってことなんだろうね。あと、現在の10〜20代からするとバブル期を代表するヒット曲のイメージがあるから、80〜90年代の音楽を漁って聞いているような若者にも訴求できるってことなのかな。

それにしても、バックバンド付きで10曲、カラオケ歌唱で2曲と合計12曲ものカバー曲を披露したが(カバー曲の披露自体は、演歌・歌謡曲系歌手のコンサートやアルバムではよくあるから、それ自体はどうということはない)、このうち、演歌・歌謡曲にカテゴライズされる楽曲はたったの2曲しかないんだよね。
会場にいた若い方の観客(40代後半から50代)には受け入れられるセトリだけれど、60代以上には、“こんなの演歌・歌謡曲じゃない”と思う人も多いんじゃないかなと思った。

とはいえ、60代以上は体調面でも金銭面でも徐々に現場からフェードアウトしていくから、40代後半から50代に訴求する音楽性にするのは正しい戦略だと思う。

乃木坂やイコラブなどの地上アイドルの現場で干されている(チケットをゲットできない。当選してもクソ席しか与えられない)この世代のドルオタを取り込むというのはなかなかの良い考えだと思った。

それに藤井香愛はカップリング曲を含めても自前のレパートリーは11曲しかない。デビュー5年で、年1作ペースでのシングル発売だから当たり前と言えば当たり前の数だ。その全曲を歌ったとしても1時間半程度、アンコールやメドレー形式を含めて20曲のコンサートのセトリを埋めることは難しい。つまり、カバー曲をやらざるを得ないわけで、ファン層を増やすためには、この部分の見せ方にかかってくるわけだから、そりゃ、今後の自分の音楽活動を音楽面で支持し、金銭面でサポートしてくれそうなバブル世代や団塊ジュニアに媚びた選曲をするのは当然だと思う。

演歌・歌謡曲から選ばれたカバー曲だって、ド演歌という曲ではないからね。そのうちの1曲であるテレサ・テンの“別れの予感”なんて、今の耳で聞くと、演歌・歌謡曲というよりかはシティポップに聞こえるからね。

そして、今回のコンサートに参戦して思ったことがある。それは、カバーアルバムを出してもいいんじゃないかなということだ。
シングル表題曲は今後も基本、演歌・歌謡曲の範疇に収まる楽曲を発表し、カップリング曲やアルバム、コンサートではカバー曲で新たなファン層を獲得するという路線を取るのもいいんじゃないかなという気もする。

岩佐美咲が古巣のAKB48 の楽曲から、演歌・歌謡曲の名曲、シティポップ的な楽曲、最近の一般邦楽ヒット曲まで幅広いジャンルのカバー曲を取り上げているように、彼女も70〜80年代の楽曲だけでなく最近の邦楽ヒット曲もカバーしてもいいような気もした。
もっとも、懐かしの名曲だとアイドルやシティポップでも演歌・歌謡曲のファンにもある程度受け入れられるが、今のアイドル楽曲だとドルオタも兼任している層には受け入れられるが、そうでないファンには不評となる可能性もある。

人気実力では間違いなくトップクラスの岩佐美咲に対する評価が杜このみや丘みどりと比べて低いのはそういうところかも知れないので、紅白出場などを目指すのであれば、カバー仕事はほどほどにしないといけないのかも知れないが…。

好き勝手なことを色々と言わせてもらったが、まぁ、藤井香愛には色々と可能性があるから、色々と妄想を膨らませられるということかな。

それに香愛という名前通り可愛いしね。
年齢を考えるとキレイと言った方がいいのかな?

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