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米NBC「ゴールデン・グローブ賞」中継拒否問題を考える

こういうことを言っただけで、映画を見たこともない無知なネトウヨ扱いされてしまうのだろうが、あえて言わせてもらう。

ゴールデン・グローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会のメンバーに黒人がいないからと批判するのみならず、NBCが授賞式の中継を拒否するなんて、おかしな話でしかない。
米国人の記者協会なら、メンバーに黒人がいないのは人種差別かもしれないが、これは在米外国人の記者協会だ。

そもそも、アジアなど黒人に分類される人種の記者が少ない地域も多い。
それに、メンバーにはアジア人やヒスパニックもいる。
それのどこが、多様性に欠けているのか理解できない。
というか、白人であっても、外国人である以上は米国社会ではマイノリティではないのか?
もう、黒人中心になっていないものは全て人種差別的とされる最近の米国の風潮は異常としか言いようがない。

結局、米国の黒人連中って、自分勝手なんだよね。自分たちは人種差別の主義者だと言いながら、アジア系を差別しているしね。
ニュース映像などを見ていても、圧倒的にアジア系を差別しているのは白人より黒人の方が目立つ。

それに、黒人の俳優とか映画監督って、白人の俳優が主演で白人の監督がメガホンをとった作品に対して、黒人の出番がないと文句を言うくせに、黒人の俳優が主演で黒人の監督がメガホンをとった作品って、驚くほど、黒人以外の登場人物が出てこないものが多いが、それって不自然だよね。

アフリカを舞台にした作品ならまだしも、アメリカを舞台にした作品、しかも、都市部を舞台にした作品でも主要キャラのほぼ全てが黒人っていう映画が多いしね。

こんな自分勝手な米黒人のワガママに付き合っていたら、米エンタメ界どころか、米社会自体、沈んでいくだけだよと思いたくなる。

自分は人種差別主義者と思われたくないから、この動きに同調している白人の俳優や監督も多いけれど、綺麗事を言ってられるのは今のうちだと思うよ。そのうち、映画会社のトップは黒人でなくてはいけないみたいな風潮になったら、白人の俳優や監督は続々と職を失うことになるのでは?

10代の頃から30年以上にわたり、アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞などの映画賞、グラミー賞やMTV VMAなどの音楽賞の受賞結果をチェックしてきたけれど、もう、チェックするのはやめようかなって思うほど、最近の米エンタメ系の賞の偏りに偏りすぎた受賞・ノミネート傾向にはうんざりしているというのが本音かな。

なのに、こういうことを言うと映画を見たこともない無知なネトウヨ扱いされてしまうんだよな…。おかしな世の中だ…。

米黒人に差別されているアジア人ですら黒人批判できない世の中なんておかしいでしょ!

まぁ、ゴールデン・グローブ賞に対する批判が高まっている要因は黒人問題だけではないけれどね。
米国映画「ミナリ」について、台詞のほとんどが韓国語だからという理由で、メインの作品賞(ドラマ部門もしくはミュージカル・コメディ部門)のノミネート資格はなしと判断し、外国語映画賞の対象にしたことも影響していると思う。

なので、米国社会が全くアジア系に興味がないというわけではなさそうだし、米国でやっと、アジア系を差別するなという声が上がるようになり、アジア系を差別している当事者が明らかに黒人の場合でも防犯カメラの映像などが現地のメディアで流されるようになったから、多少はマシになったのかもしれないが。

そして、そうした動きが起きたきっかけに、ゴールデン・グローブ賞における「ミナリ」の扱いに対する怒りがあることは間違いないと思うしね。

でも、外国語映画賞の対象にしかされなかった米国映画はこれが初めてではないんだけれどね。
これぞ、アメリカンなクリント・イーストウッド監督の作品にもかかわらず、「硫黄島からの手紙」は台詞のほとんどが日本語だからメインの作品賞にはノミネートされず、外国語映画賞のみの審査対象になったわけだしね。

それから、アカデミー賞では、米国が舞台で英語の台詞が多いにもかかわらず、台湾出身のアン・リー監督の「ウェディング・バンケット」は外国語映画賞にノミネートされたりもした。
 
いずれのケースでも、日本人や在米日本人、日系米国人、台湾人や在米台湾人、台湾系米国人などから大きな抗議の声は上がらなかった。
個人的には、「ウェディング・バンケット」の外国語映画賞ノミネートは、「ミナリ」や「硫黄島からの手紙」よりもおかしいと思ったけれどね。

要は、韓国人や在米韓国人、韓国系米国人というのは、米黒人と同様に自分たちの主張が全て正しいとアピールするロビー活動が得意だから、今回の「ミナリ」問題がクローズアップされたという部分はあるのではないかと思う。

というか、外国語映画賞に限らず、ゴールデン・グローブ賞が権威的なのは今に始まったことではないけれどね。
最近のアカデミー賞はポリコレ祭になってしまってつまらないけれど、そうなる前の90年代末から10年代半ばくらいなんて、アカデミー賞よりもゴールデン・グローブ賞の方が保守的だし、ノミネート基準も不可解だったからね。

アカデミー賞では作品賞にノミネートされた「シックス・センス」や「グリーンマイル」は一般的な人気が高い大ヒット作だけれど、ゴールデン・グローブ賞ではノミネートされなかった。

まだ、同じジム・キャリー主演作品の作品賞ノミネートのされ方も不可解だった。「トゥルーマン・ショー」がドラマ部門作品賞候補で、「マン・オン・ザ・ムーン」がミュージカル・コメディ部門の作品賞候補となったのは理解できない。作品の内容を考えたら逆だよね。というか、両方、コメディ扱いでもいいと思う。

また、最近では「オデッセイ」がミュージカル・コメディ部門扱いになったのも理解できないカテゴライズだった。SF映画というだけでコメディ扱いにしているのかと言いたくなる。

80年代には、アカデミー賞が作品賞を授与しなかった「E.T.」に、ゴールデン・グローブ賞は作品賞、しかも、あれだけ笑える作品なのに、ドラマ部門の作品賞を授与したことを考えると、権威化したのは明らかかな。

まぁ、それまでは単なる二番目に開催規模が大きいだけの映画賞だったのが、アカデミー賞の行方を占う重要な賞と騒がれるようになり、ノミネートされる作品も保守化していったという面はあるのかなとは思う。

そもそも、米映画賞で好まれる作品が、一時期のユダヤもの・障害者ものから、最近は黒人もの・女性もの・LGBTQものに移っただけで、映画賞なんて、そもそもつまらないものだったんだけれど、アカデミー賞が作品賞に選ばなかった「E.T.」をゴールデン・グローブ賞が作品賞に選んだあたりから、賞に対する注目度が増していき、勘違いするようになってしまったんだろうね。

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