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流浪の月

文春や女性誌を中心に日本映画界に蔓延する性暴行・セクハラ・暴力・パワハラを批判する記事が次から次へと出ている。

正直なところ、今回の一連の報道で最初に大きく取り上げられた榊英雄は映画監督としても俳優としても微妙な存在だが、彼の“共犯者”として木下ほうかという名前の知られた俳優が出てきたことで、一気にこの問題はネットニュースを通じて拡散していった。

そしてその後、榊英雄のことが忘れ去られるくらいに次から次へと大物と呼んでいい監督やプロデューサーが性暴行・セクハラ・暴力・パワハラの加害者であることが明らかになった。

園子温、中島哲也、河瀨直美等々…。
鬼才とか異才とか呼ばれたり、海外の映画祭で評価されたりするような連中ばかりだ。

野党やフェミ、リベラル、パヨクといった連中が、事実上、AVの撮影・発売が不可能になるような法律を制定しようとしているけれど、ぶっちゃけ、規制が必要なのはAVの撮影現場ではなく、日本映画の撮影現場の方だろうって言いたい!

セクハラ・パワハラ・給与など労働条件や契約の問題に関しては、日本映画界の方がクソだよね。

ところでこうした一連の報道をしているのは、いわゆるオヤジ系週刊誌や女性週刊誌が中心だが、本来なら、日本の映画メディアにおける最高権力と言ってもいい、キネマ旬報がやるべきことなのではないのか?

でも、キネ旬はダンマリを決め込んでいる。というか、今回の一連の報道に限らず、映画秘宝編集長の恫喝問題だって無視したし、アップリンク代表のパワハラ・セクハラ問題ですら扱いは小さかった。

キネ旬にしろ秘宝にしろそうだが、一見、洋画に対してのみならず、邦画に対しても批判的な論評をしているように見えるけれど、実際は完全に日本映画界の広報機関なんだよね。特にミニシアター系、サブカル系に関しては何をしても許しているところがある。
海外の映画界でパワハラ・セクハラがあれば、とことん批判するのに、日本の映画界で同様の問題が起きると無視状態になるのは、結局、中立的な報道機関ではなく、連中の仲間だからできないということだしね。

というか、こうしたダブルスタンダードは、日本映画界だけの話ではない。

河瀨直美のネトウヨ化、そして、その思想に基づいて東京五輪の裏側を取材した際の様子がテレビ放送された際に自分たちの思想に都合のいいように捏造したことはおそらく海外の映画関係者だって知っているはずだ。
最近、報道された撮影現場での暴力問題だって伝わっているのでは?

なのに、カンヌ国際映画祭で彼女の最新作である東京五輪のドキュメンタリー映画が上映されているのは何故?

河瀨のやっていることは、ナチスのプロパガンダとなっていた五輪ドキュメンタリーを手掛けたレニ・リーフェンシュタールと同じなのにね。

ポリコレ思想が蔓延し、ちょっとでも、リベラルの思想に反する行為をすれば、キャンセルカルチャーが発動される今の欧米エンタメ界の基準なら、即刻、上映中止になるのでは?

フランスで五輪開催が控えているから、五輪関係のものは中止できないという政治的な理由?

それとも、女性監督にはキャンセルカルチャーは適用されないということなのか?

そういうダブルスタンダードが、フェミやリベラル、左派政党の連中を信用できない理由なんだよね。

ところで、映画ファンの誰もが一連の日本映画界を巡る報道を知って、“あいつならやりそうだよね”と思ったのではないだろうか。

作中で性や暴力の描写が激しい作風で知られる監督は、撮影現場でもカメラが回っていないところでも性暴行や暴力を働いているし、声高に社会的・政治的メッセージを伝える作風の監督は撮影現場やカメラが回っていないところでも攻撃的ってことなんだろうね。

そう考えると、撮影現場のパワハラをなくそうと訴えている是枝裕和や白石和彌に対しても、本当にあなたたちそう思っているのって思ってしまうんだよね。
特に是枝なんて、ネット上ではたびたび、パワハラ疑惑が指摘されているし、是枝の弟子って女性ばかりだから、セクハラもしているんじゃないかって思えてしまうしね。
というか、そんな女性弟子の一人、西川美和も日本映画界では監督専業では生活できないみたいなことを言っていたし、日本映画界は現場のみならず、映画館や映画雑誌も含めて構造的に、パワハラ・セクハラ・やりがい搾取の温床なんだろうね。

やっぱり、AVの方がクリーンな現場に思えてくる…。

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本題に入るが、本作の監督、李相日も性や暴力の描写が目立つ作品や社会的メッセージを声高に主張する作品で知られている。

本作の撮影にあたって、広瀬すずと横浜流星に膝枕をするように指示したということだが、完全にそれってセクハラだしね。

というか、広瀬すずに関しては李相日の長編映画としては前作にあたる「怒り」でもレイプされる女子生徒役を演じていて(ヌードは見せてはいないが)、本作では少女時代の自分を誘拐した“ロリコン”と絆を深める女性役だ。

本作では衣服(下着?)の上から胸を揉まれたり、股を広げられたりするシーンがあるけれど、胸も尻も見せないんだよね。その中途半端な性描写ってなんなんだろうか?衣服の上からなら揉まれてもいいが実際に胸を見せるのは嫌だということ?よく分からない基準だ。

とりあえず、李相日が広瀬すずを性的な対象として見ているから、連続して性的被害者の役に彼女を起用しているのではと思ってしまった…。

まぁ、自分も広瀬すず目当てで本作を見ようと決めたわけだから、李相日のことを言えた立場ではないのかもしれないが…。

というか、本作を見ていると自分もそっち側の人間なのではないかと思えてしまって仕方なかった。

ロリコン誘拐犯にされてしまった男の気持ちがちょっと分かるし、この男に恋愛未満の感情を抱く被害者扱いされてしまった女性の気持ちもよく分かる。

ただ、この女性の少女時代の描写が妙にロリ属性のある奴が見たら興奮しそうな感じになっているのはどうかと思う。

フェミみたいな連中は見もせずに、本作を批判するのは間違いないしね。

でも、批判したくなる気持ちもよく分かるんだよね。少しでも、そっち側の属性がある人間は年下女子に呼び捨てとか君付けで呼ばれたいって感覚を持っているからね。

元“誘拐犯”は、元“被害者”に下の名前の呼び捨てで呼ぶように指示し、彼女もそう呼んでいたし、15年後に再会した2人のもとで面倒をみることになった女児は、特に指示したような場面もなかったけれど君付けで呼んでいた。

こういう場面の描写は結構リアリティがあったと思う。

自分も風俗嬢とかマッサージ嬢に“何て呼んで欲しい”と聞かれた時に、下の名前呼び捨てをリクエストすることが多いけれど、なかなか、了承してもらえないんだよね。君付けしてくれる娘にはたまに出会えるけれどね。

それだけ、日本の女性にとって、年上の男を呼び捨てにするのって、ハードルが高いことなんだろうね。

まぁ、年下女子に呼び捨てされるのっていいよねと思わせてくれたのは赤松健の「ラブひな」の影響なんだけれどね。

21世紀になってからのハーレム系コンテンツの全てが「ラブひな」の影響下にあると断言しても過言ではないくらいなんだけれど、それだけの作品を生み出した赤松健が単なるフェミ・リベラル批判したいだけの無知なネトウヨ=自民の犬になってしまったことにはガッカリだ。

全体的にはご都合主義展開は多いものの、世の中の偏見に対する問題提起もされていて、それが本作を傑作と呼んでいいレベルの作品に押し上げている要因だと思う。

確かに、同情して保護したとはいえ、未成年を自宅に連れ込むことは犯罪だけれど、この“被害者”は自宅で性的虐待を受けていたわけだし、大人になった“被害者”の婚約者はDV野郎だし、15年ぶりに再会した“誘拐犯”と“被害者”を再び襲う誘拐疑惑は、“被害者”のバイト先の同僚が彼氏との付き合いを優先するために娘を見捨てたことによるものだからね。

そういえば、横浜流星はDV婚約者役なんだから、膝枕で距離感をつかむ必要性って全くないよね。

やっぱり、李相日ってセクハラ・パワハラ体質だな…。

話は戻るが、世間や警察はそんなことには見向きもせず、子どもが好きというだけで“誘拐犯”扱いされた男を極悪人の変態と見てしまう。“被害者”には全く性的なことをしていないのにね。というか、できない体質のようだ。

そういう偏見だらけの世の中に対する批判精神は我々、マニアとかオタクとかシネフィルと呼ばれる人種にとって深く心にささった。

あと、婚約者と一緒にいる時の広瀬すずの演技は微妙に見えたけれど、その後、“誘拐犯”と再会してからは、まるで、小学生の時に戻ったような無邪気さを見せていて、“あれ?演技うまいじゃん!”って思った。

これまでの自分の広瀬すず評というのは、主演・ヒロイン役の時の演技は微妙、助演だと好演という感じだったが、本作は初めて主演作で演技を評価できる作品になったと思う。

ところで、“誘拐犯”の運営するコーヒー店の下にあるアンティークショップの存在が途中からなくなったが、あれってどうなったんだ?

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